18話 禁忌の先へ2
『『『『『――ッ、――ッ、――ッ!?』』』』』
水槽の中の少女たちは異物の侵入を拒否するように体を退け反らせた。
しかしその手足は水槽内に固定されており、その状態では満足な抵抗をすることもできないため、CEM幼体はなおも穴を押し広げるようにして体内に侵入を続ける。
そして生物の侵入を許し続け、強制的に押し広げられる少女たちのへその穴の周囲は、CEM幼体と同調したように色めいた淡い光を放ち始めていた。
少女たちをモニターしているバイタルメーターの数値は乱高下を続けて、危険な状態を示すアラートがひっきりなしに鳴っていた。
CEM幼体を取り込むことが人体にとって害であることなど百も承知だ。
だからそのような状態にあっても、この研究所に実験を止める者は誰一人としていない。
それは当然のことだ。
この状況を作り上げたのは――私たち研究者なのだから。
かつての私は、人が生物に犯されている場面を見て心を揺さぶられない人間などいるのだろうか、と吐き気を催しながら考えていた。
そして今回、実験内容を理解したはずの私の心は蝕まれ、軋み、壊れてかけていた。
これは私の心がおかしいのだろうか。
私がおかしいから、こんなにも少女たちの生を願ってしまうのか。
研究者ならば、軍人ならば。
天津に奉仕するものならば割り切って平然としていられるのか。
そんな私の葛藤などいざ知らず、にゅるりという音がきこえて。
CEM幼体は実験の予定通りに少女たちの体内へと侵入を完了。
その体の全てを少女たちの中に収めていた。
「「「「「――ッ!!! ――ッ!!! ――ッ!!!!!」」」」」
少女たちは異物の侵入によるショックで目を見開き、ガクガクと痙攣を繰り返していた。
やがて妊婦のように膨れ上がった少女たちの下腹部には色めく紋様が現れ、そこを中心にした色めく発光は、その存在を蝕むように体全体へと広がっていく。
水槽の中で拘束され、体を内側から引き裂く痛みに耐える少女たち。
私はひたすらに歯を食いしばり、その光景を直視する。
やがて色めく発光がその強さを増した。色めく紋様が体全体に廻り切ると、膨らんだ腹部は収縮を繰り返し始める。
そこではCEM幼体が蠢き、実験は次の段階に移行する。
この段階に入ったCEM幼体は自分が宿主に定めた生物の体の改造を始める。
自分が住みやすいように、共生関係にある宿主を強靭にするために体を改造するのだ。
その行為に母体が耐えられなければ、CEM幼体は宿主の体をただの栄養と見做し、自分の進化の糧としてしまう。
そうなってしまえば実験は失敗だ。
少女の命は怪物の糧にされ、息絶える。
少女たちには自分の体が改造されるという体験を耐え抜いてもらわなければならない。
水槽の中からは声こそ聞こえないものの、少女たちの表情からはその苦痛が痛い程に伝わってくる。
痛いだろう、苦しいだろう。
その辛さは想像を絶するものだろう。
ごめん、ごめんよ。
だが、頼む。
どうか、どうか。
――生きてくれ。生き延びてくれ。乗り越えてくれ。
気づけば私は、ひたすらに少女の生を願っていた。
――頼む。
――頼む。
――頼む。
――耐えてくれ。
――耐えてくれ。
――耐えてくれ
『そのボタンを押せば、苦しむ少女たちを楽にしてやれる』
その時、私の頭の中に黒い声が響いた。
頭に響いた黒い言葉の内容は、最悪の状況を否定したい私が、考えないように避けていたものだった。
それは天津が少女たちに施した安全装置の起動スイッチだった。
いつでも少女たちを自壊させられるよう首に取り付けられた白色のチョーカー。
その起動スイッチは実験監督官たる私の手に握られている。
これは本来、実験体が暴走した時の保険として用意されているものだ。
このスイッチが押されるとチョーカーから溶解液が出る仕組みになっていて、それは瞬時に体内を巡り、少女たちの体をCEM幼体ごと内側から崩壊させる。
確かにこれならば少女たちは実験の苦痛から解放され、怪物に変貌することもない。
「実験体の数値が測定不能状態! 限界です!」
水槽内の異常に研究員が声を張り上げて状況を報告する。
そうだ。私がスイッチを押せばここで終わらせることができるのだ。
「実験を、継続する」
発する言葉の重みを噛み締めながら、口を開いた。
私が罪を背負うのはいい、罰を受けることさえ当たり前だと思っている。
だが、なんの罪もない少女を苦痛に晒し続けるのは本当に正しいことなのか。
自らに、問う。――いや、すでに幾度となく問うてきた。
私は自らに問いを課し続けることで、これまでも、これから先も進めると考えていた。
自問し続けることが私の責任なのだと考えていた。
だから、問う。――また、これからも幾度となく問い続ける。
この選択は正しいことなのかと。
たとえ最後には自分の全てをお姉さんに捧げるとしても。
その一瞬までは正しくありたいと、少女たちに接しながら考えていた。
この世に意味のない命など存在しない。
この世に意味のない死などあってはいけない。
だからこのボタンは、押せない。
だからこのボタンを、押さない。
私の選択によって少女たちが、実験の苦痛に身も心も切り刻まれたとしても、だ。
私がこの部隊を指揮し、実験を成功させると誓った理由を思い出せ。
それがお姉さんの願いを叶えることから始まったことだとしても、今この胸の中に宿した――天津の実験で生まれる犠牲を止めたいという気持ちに嘘偽りはない。
この部隊を預かってから起きた数々の出来事。
少女たちが見せてくれた成長。
ミドリ・アルファの犠牲。
私は決して無駄にしない。
だから今は信じよう。
成長した少女たちと、自分やレオ、研究所の皆の努力を。
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それからどれだけの時間が経過しただろうか。
長かったような気もするし、短かったような気もする。
どうやら意識が飛んでしまったらしい。
辺りは静寂に包まれていた。
シンと静まり返った空間には白煙が満ちていて周囲の様子は把握できない。
この白煙は機材のショートによるものか。
そうだ。
意識が途切れるまえに、爆発が起きた。
その影響で機材は壊れ、その衝撃で私は意識を失ったのだ。
頼みの綱のデータパッドも沈黙している。
どうやら少女たちをモニター中の計器は全て機能を停止しているようだ。
これでは実験の結果がわからない。
「実験はどうなった……少女たちは無事なのか」
成功か。失敗か。
それがどちらの結果であれ、目の前に広がる光景が全てを物語ってくれるはずだ。
私は意を決し白煙の中へと足を踏み出した。
周囲に漂う白煙のせいで視界はひどく悪いが、私は少女たちの入っている水槽の位置を正確に記憶している。
だから私はその場所に向かって迷わずに進んだ。
その場所に近づけば近づくほどに白煙が濃度を増していく。
私は白煙の中をさらに進んだ。
地面に転がる機材の破片を避け、混乱する研究員たちの声を無視して、ただひたすらに目的の場所を目指した。
進む方向が正しいのか不安になりつつ、私は自分を信じて進む。
そしてついに――少女たちを入れた水槽の前へとたどり着いた。
密閉されていたはずの水槽は割れていて、中からは大量の白煙が吹き出している。
水槽は開かれ、中に少女たちの姿はない。
実験は――いや、少女たちは生きているのか!
「みんな無事か! 出てきてくれ!」
そして白煙の中に影が現れた。
私の前に現れた影の数は5つ。
それは少女の人数と同じだった。
「ヘイ! アカリ! キサラ! ミドリ! アオイ!」
私は自分が与えたその名を叫ぶ。
そして全ての影は私の声に呼応するように、ゆらりとこちらに近寄ってくる。
周囲を覆う白煙は影の発する色に吹き飛ばされ――私は影の正体を、見た。
「おお……」
私は目の前の光景に感嘆の声を上げる。
他にかけるべき言葉があるはずなのに、反射的に漏らした感嘆の言葉以外、口にすることができないほどに込み上げるものがあった。
私は生の喜びに打ち震えた。
それは美しく、蠱惑的で、人間が作り出した罪だった。
しかし同時に至高の芸術品のようでもあった。
それは人間とCEMを掛け合わせて生み出された――天津最強の兵士が誕生した瞬間であり――少女たちが自らの生を掴み取って存在価値を証明した瞬間だった。




