17話 禁忌の先へ1
少女たちは皆それぞれに成長していった。
そして――日時は過ぎ去り、実験の日を迎える。
実験当日、天気は曇り、気温は1℃。
私の心は天津の暗い空のように翳っていた。
薄暗い空を眺めながら研究区画への道を進む。
やがて研究区画に入れば、いつも通り騒がしい警備ドローンに迎えられ、目を閉じてでも進めるようになった動く歩道を使ってアイリス研究所へと辿り着いた。
度重なる訪問のせいか入口のチェックにも慣れたもので、私は勝手知ったる風に研究所の通路を進み、その重厚な扉をくぐる。
「おや、早かったですねぇ。ただいまこちらの最終確認中ですので、しばしお待ちを」
いつものようにへらへらとした笑いを湛えた白髪の研究者――レオが言った。
「こちらの要望通りの仕様で完成したのか?」
「ええ、もちろん。期限ギリギリになってしまいましたが、アイリス研究所の総力を上げて特務中尉との打ち合わせ通りの仕様で完成させましたとも。少女たちの調整は特務中尉に一任していますからね。こちらはこちらで成果を出しませんと、無理に予算を通させた上層部から殺されてしまう」
「そうか――その言葉を信じよう」
この実験の成功のためにはレオの、アイリス研究所の全面協力が必要不可欠だった。
彼は未だに謎の多い人物だが、研究に関する話であれば信頼できると私は思う。
これは単純な能力とか、人間としてとか、そういう類の信頼ではない――レオは興味と好奇心のため――研究に対してならば掛け値なしの全力を出すというのが私から見た彼の評価だった。
私はレオの研究に対する貪欲でありつつも真摯な姿勢を疑っていない。
CEM幼体の改良に関しては、石橋を叩いて渡るように念入りな打ち合わせを経た上での話になるが。
「……いよいよ、か」
私は昨日のうちに少女たちの搬入を終えていた。
すでに少女たちは実験用の水槽の中で眠りについている。
水槽の計器のチェックはアイリス研究所の研究員たちがやってくれていた。
つまり私がやれることは全て終わっているのだ。
そんな私がレオのように笑えないのは、今まさに少女たちの命が天秤に掛けられようとしているからだろう。
これは死ぬ危険性があるとか、死ぬ確率が高いという可能性の話ではない。
『実験に失敗すれば、使用された素体は怪物に変貌して確実に死ぬ』
実験を受けた少女たちは命を弄ばれるだけではなく、自分の意思に反して人間を殺し尽くす怪物へと変えられる。
人間が同じ人間の命を弄ぶ権利などない。
自分の命は等しく自分自身のもののはずだ。
ならば、その行為が罪だというなら――私が全て背負うべきだ。
私がこの天津で一番、この実験の成功率を上げることが可能な人間だから。
私がこの天津で一番、少女たちを生き残らせることが可能な人間だから。
そして――一番の大罪人たる存在は。
この私、プラーズ・ペイントなのだから。
「うん、うん、いいね。よしよし、どこにも異常ないかな。はぁ……完璧、だ。くくっ……さて特務中尉、我々の準備は整いました。ついにこの時がきました。ふふははっ……準備完了、です。さぁ、あなたの実験成果を私に見せてください」
レオは数人の研究員たちとデータパッドを見比べた後、一度深呼吸してからこちらに向き直り、私に実験の準備完了の言葉を告げる。
だが告げたレオの表情には高揚と翳りが混在していた。
私はレオから受け取った端末に表示された各種データの最終確認を行う。
「少女たちの状態に問題はない――確認した。CEM幼体のカラーコードも問題なし――レオ、その顔はなにか……いや、やめておこう」
「ええ、ええ。どこにも、問題はありません。僕に世紀の瞬間を目の当たりにさせてください。僕が、我々アイリス研究所が実現できなかったカラードの完成を!」
たとえその表情に翳りがあっても、レオが問題ない言葉にしたならば、それが真実で間違いないはずだ。
「ああ、そのつもりだ」
「ありがとうございます。では特務中尉、実験開始の承認をお願いします」
渡されたデータパッドにIDの認証画面が映し出される。二人分の入力画面の片方はすでに埋められており、こちらは研究所側の主任であるレオが入力したものだ。
後は私が自分のIDを入力すれば実験が承認され――この実験は開始される。
私は天津に登録された自分のIDを入力していく。
たった12桁の英数字を入力するだけの行為に、私の指先は震えていた。
この指先の重さは自分の罪と愚かさを己の魂に刻むための時間なのかもしれない。
私はミドリが死ぬ光景を先のデモンストレーションで目の当たりにした。
それなのにいまの私は、またそれを積み重ねて繰り返そうとしている。
いや、そうはならない。
そのために私は――少女たちとこの1年間を過ごしたのだから。
「実験を承認した。実験日――開始時間――実験監督官プラーズ・ペイント、実験番号2414号、被検体コード――、――、――、――、――、CEM幼体――を使用――」
私が実験内容を読み上げ終えると、天井に吊るされた複数のクレーンが動き始める。
その動作に、この研究所を初めて訪れた日の記憶が重なった。
天井を這うクレーンは少女たちの入った水槽の真上で停止して、降下したクレーンが水槽に接続された。
ドボン、という水音を立てて水槽に入れられたCEM幼体は、その体を小刻みに動かしながら新たな環境に自身を適応させていく。
それは寄生先の母体を探すため、丸まっていた体を自由に伸ばして水槽の中を泳ぎ回り、ついに人の身体に触れたかと思えば、その下腹部を撫でるように調べ始めた。
水槽の中の少女たちは未知の生物に体を弄られているという状態にも関わらず、意識が投薬によって一定に保たれているために反応一つ見せることはない。
「興奮剤の投与、開始します」
私が研究員の言葉に頷きを返せば、すぐに水槽の中へと薬液が注入され、無色透明だった水の色に変化が起こる。
そしてその薬の効果通りに少女たちのバイタルを表示する画面の数値が一部上昇し、それに合わせるようにしてCEM幼体もまた、警戒するように機敏な反応を見せ始めた。
CEM幼体の生命が脅かされる状況が作られたことで、その動きに変化が起こる。
その動きは緩慢になり、体の色が薄くなったことで薬液の効果を確認した。
「合体反応確認できず、投薬を継続します」
私はCEM幼体が行動を起こさないことにも慌てず、研究員の言葉に頷きで返す。
それから投薬が続けられてさらに数分が経過した頃、先ほどよりも弱々しい動きになったCEM幼体が少女たちの下腹部にぴったりと張り付いた。
「ここからですねぇ。特務中尉の真価が試されるのは。くっくっくっ」
私はレオの言葉に反応することなく、ただただ少女たちのことを見つめる。
ここまで実験はなんの問題もなく進行している。
全ては想定通りだ。
しかしここから先、この先には死が待っている。
どくん、どくん、どくん、とうるさいほどに心臓が早鐘を鳴らす。
私は少女たち全員の顔を見つめた。
少女たちは皆、穏やかな顔をしている。
今からその顔が苦痛に歪むと思うと、心が痛んだ。
そう――地獄はこれから、この先にある。
ごくり、と呑みこんだ唾がからからに乾いた喉を通過していった。
私は、その訪れる一瞬すら見逃すまいと少女たちのことを見据える。
そして――――その時は訪れる。
CEM幼体は少女たちのへその穴から――――人体の内部へと侵入を開始した。




