15話 悪夢
悪夢は突然の連絡から始まった。
「これはどういうことだ! 実験日までの時間はまだ残っているはずだろう! それが急に、明日デモンストレーションを行うだと? こちらにも準備というものがある!」
私は怒りを露わにして電話の相手――レオに抗議の言葉を叩きつけていた。
「そう言われましてもねぇ。これは軍上層部の決定でして、僕にはどうすることもできない。それに実験のデモンストレーションを行うことは本番のためのいいデータ収集になると考えませんか。そもそも全員を実験にかけるわけではないですし、準備にもそこまで時間はかからないでしょう。では、自慢の一人を選んで研究所に運んでくださいね♪」
レオは自分が決めたことではないと言いつつも、今回のデモンストレーションの決行には前向きなようだった。電話越しの言葉の節々にはそのモチベーションの高さが窺える。
「この実験には少女の命がかかっている。簡単に、はいわかりましたとは言えない」
通常の研究であれば、本番の実験に備えて予行演習ができるのは歓迎すべきことだ。
しかしこの実験に限っては、おいそれと承諾できる話ではなかった。
私が難色を示したことにレオはハッとしたような声で返答する。
「ああ! そういうことですか! いやいや、確かに実験体の数が減るのは本番に支障をきたしますよね! そこまで気が回っておらず……いやぁすいません。しかし安心してください。仮にデモンストレーションが失敗に終わった際には、すぐに補填ができるように準備しておきます。本番まで育成の期間はありますし問題はないでしょう。では!」
そう言って電話は切られた。
明日のデモンストレーションは止められない。
「ああっ、くそっ! 私は、私はどうすればいい……!」
私は苛立ちのせいか両手を強く握りしめ、机に叩きつけていた。
いまやるべきことは無数にある。こんな葛藤に時間を費やしている時間があるならば、明日のデモンストレーションのために成功率を1%でも上げる方法を模索すべきだ。
わかっている。わかっているのに。
私の中の感情は収まる気配がない。
なんだ、私は怒っているのか?
その怒りは何に対して、どこに向かっている?
少女たちは道具のはずだ。壊れてもすぐに補充される素材のはずだろう。
迷うことはない。デモンストレーションを行って本番の成功率を上げるべきだ。
だというのに私は、それを回避しようと考えている。
少女たちが自分と同じ孤児難民のような扱いだから同情しているのか?
――それは、違う、はずだ。
私はお姉さんが最優先で他はどうでもいい。
他人のことはどうでもいいはずだろうが!
「なんなんだ……この感情は。なんなんだよっ、これはッ――」
わからない。
ただ、ただただ怒りに震えている。
出どころのわからないマグマが私の中でうねり、暴れている。
こんな感情は知らない。この感情の源泉を私は知らない。
「しき、かん……」
「ミドリ?! 寝ていなかっ――」
いつの間にか側にはミドリが立っていて、私の手を両手で包んでいた。
彼女の小さな手では私の片手すら満足に包み込むことはできていない。
それは細く、小さく、暖かくて、か弱い手だった。
「しきかん、の手、ふるえ、てる。つめたい」
「ああ、すまない。ちょっと研究が行き詰まっていてな。だから今日はもう寝て――」
私はミドリにデモンストレーションのことを気取られないよう誤魔化すつもりだった。
だが。
「あした、デモン、ストレー、ション。やるの?」
ミドリは気づいていた。
「――――――そうか。聞いていたのか」
「盗み聞きして、ごめんなさい。ミドリ、カラーの練習で、見せたいところ、あって」
「ミドリは何も悪くない。悪いのは、私の方なんだ」
電話で怒鳴っていれば部屋の外にいても聞こえるだろうし、声をかけることも憚られる。
そんな私を慰めるように、ミドリのか弱い手に力が込められた。
「しきかん。デモン、ストレー、ション、だれを、えらぶ、のか、もう、決め、てる? 私が、でる、よ? しきかんの、ため、だし。みんなより、我慢するの、得意、だから」
「ミドリ……それは」
ミドリの言葉に私は戸惑った。
少女たちは私が命令すれば、それを命がけで実行するように作られている。
それが自発的に考えて、自ら立候補するまでに成長していた。
これが普段の出来事なら素直に喜べたはずだ。
だがその選択、その先には。
「このデモンストレーションはとても危険だ。命懸けなんだ。死ぬかもしれない。それでも、やるのか?」
「うん」
ミドリの返答は早かった。
彼女の表情を見ればそれが嘘でないこと、決して物事を楽観視しているわけではないことが伝わってくる。
それが目を見てわかるくらいには、短くとも濃い時間を共に過ごしてきた。
「わかった。考えておく」
この時、私は返答を保留にした。
だが最終的な判断としてデモンストレーションにはミドリを送り出すことになる。
そして――――――ミドリ・アルファは死んだ。
デモンストレーションは失敗に終わったのだ。
私は小さくてか弱い手のぬくもりを、強くて優しい緑色の少女を、永遠に失った。
デモンストレーションの翌日、私は実験の今後についてレオと話し合いをしていた。
ミドリを喪った私が哀しみに暮れる暇などあるはずもない。
ここで課題を解決できずに立ち止まった先に待つのは、部隊の少女たち全員の死なのだから。
「私たちは今まで、CEM幼体を受け入れても安定するように人間を調整していた。しかしCEM幼体には積極的に手をつけていない、それはCEM幼体の改造が困難だからだ」
「その認識で間違いありません。多少弄りはしたものの、どの試みも失敗でした」
「ミドリ・アルファを被検体としたデモンストレーションで判明したのは、人間側をどれだけ調整しても成功の確率は安定しないということだ。よってそれが困難を極めるとしても、私たちはCEM幼体の改造に本腰を入れて取り組まなければならない」
どうやらアイリス研究所には片手の指で足りるほどだが成功例が存在するらしい。
しかしそれは奇跡的な成功であって再現性のないものだという。
今回のデモンストレーションは、その奇跡がまさに奇跡であることを裏付けしたようなものだった。
だが、成功例のデータは事実として存在している。
「……ですよねぇ。僕もそれは常々思っていたことですが、ようやく重い腰を上げるときがきたというわけですか。やれやれ、この実験に失敗したら首が飛びそうだ」
「私はこれ以上、少女たちを犠牲にする気はない。レオ、何かアテがあるんだろうな?」
私はミドリの犠牲を軽んじることを許さない。
「実を言うとCEM幼体の改造に関しては、常に頭の中で考えていました。上の承認が下りなかったのもありますが、今回のデモンストレーションで上層部の方々もさらなるテコ入れが必要なのは感じたことでしょう。予算の無理も通るというものです。くっくっく」
レオは心底楽しそうに、くつくつと笑った。
そこにはミドリが犠牲になった罪悪感など欠片もない。
「無理程度は通してもらわなければ困る。私は部下を一人失ったんだ」
笑うレオと対照的な私は表情を無にして、言葉には怒気すら滲ませていた。
「おお、そうでしたね。これは失敬しました。でも本当に大丈夫ですか?」
「何が言いたい?」
レオの言葉の意味を測りかねた私は問いに問いで返した。
「これから失った人員の補填を行いますが、最終的には部隊の全員を失う可能性だってあります。――実験体一つ一つに心を砕いていては、部隊を背負う特務中尉の心が粉々になってしまいますよ?」
「……一応、その言葉は忠告として受け取っておこう」
レオが放った言葉とは思えずに驚くが、私の心など、すでに砕けているのも同じだ。
この湧き上がる感情だって自分と少女たちを騙すための偽物だろう。
だが、それでも、ミドリの犠牲には報いたい。
ミドリの存在を魂に刻みつけて、私は前に進む。
CEM幼体の改造をレオに任せた私は少女たちと訓練の日々を送っていた。
あのデモンストレーションから数日後のことだ。
ミドリの補填としてやってきたのは――出会った頃のミドリとそっくりの少女だった。
成長した姿を知る私からすれば、その姿はかなり幼く見える。
補填のためにレオが研究所から寄越した少女は――ミドリのクローンだった。
つまり彼の話す補填という言葉の意味は、少女たちのクローンのことだと私は知る。
「………………」
幼い姿のミドリがこちらを見つめている。
純粋な少女の瞳の中は、虚空をそのまま映したかのように何も映ってはいなかった。
「私が君の新しい指揮官、プラーズ特務中尉だ。君の名前を教えてくれ」
私の言葉にミドリが六桁の英数字である管理番号――カラーコードを口にする。
このやり取りは奇しくも、私がこのアストレアパレスにやってきたときに少女たちと交わしたものと同じだった。
しかし私はもうあの時の私ではない。
私には失敗して学んだことがある。
ミドリが――命をかけて教えてくれたことがある。
「君に新たな名前と任務を与える」
私は的確な命令を与えなければ実行できないその姿に懐かしさを覚えながら、彼女を新たな別のミドリとして教育し、導く決意を固めた。
ならば、その虚空に色を宿すためにはどうすればいい。
この腐った世界の中で自分という個――色を掴み取るためにはどうすればいい。
だから私は新たな名前――自分という存在の根源を認識するためのきっかけを与える。
「ミドリ・ベータ。今日からこれが君の名前だ。君は訓練と調整の後に実験を受け、任務を果たすだろう。ようこそ、実験小隊フォビドゥンバレットへ。私が――ミドリを導く」
この時、私は強い決意の色を己の胸に宿した。
もう二度と――少女の命を犠牲にはしない。




