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12話 スパルタン

 これは夢だ。

 そこにはかつての私がいる。

 歪みを抱え、学ぶことだけを考えていた私。

 なんでこんな夢を。

 いや。

 それはきっと、少女たちの育成のことばかり考えていたからだ。

 だから私は顧みる。

 かつての私を。


 書庫での決意から三年が経過した。

 私はカナリア園を出て軍事訓練学校への進学が決まっていた。歳は十二の頃だった。

 あの頃から身長は伸び、知識も着実に身に付けて成長している。

 それでも、雫お姉さんが私に注いでくれる愛は、あの頃と同じ平等な愛だけだった。

 当のお姉さんは中華ロシア以外の国からやってくる孤児たちにも、その愛を平等に分け与えている。

 その献身のおかげなのか、お姉さんが天津の偉い人に気に入られたとかで、施設に送られる物資の量が増えていた。

 そしてお姉さんの周りには、いつにも増して高価な身なりをした大人がちらつくようになったと、カナリア園の園長先生が話していたことを覚えている。

 その話をしたのは私が施設を出る日のことで、その何気ない会話の中で尋ねた――子供たちがいつの間にかその数を減らしていることについては、はぐらかされて聞けなかった。

 施設で葬儀が行われることはないため、それが失踪なのか、死亡なのかすらわからない。

 いつの間にかいなくなっていた白髪の少年のことが無意識に気になっていたのかもしれないが、この頃の私はお姉さん以外の一切に強い興味を抱いたことはなかった。

 お姉さんはひどく心を痛めていたが、私はお姉さんがいてくれればそれでよかったのだ。

 僕を満たす全てはお姉さんが与えてくれる――だから他のことはあえて無視した。

 お姉さんの理知的な眼差しが、女性特有の膨らみと柔らかさが、くらくらするような甘い香りが、私を呼ぶ凛々しく美しい声が、私を理解してくれる雫お姉さんの全てが――好きで好きで、大好きでたまらなかった。


 だから私は――お姉さんを守るために努力を続け、軍事訓練学校へと進学したのだ。


 自分を高めるために必要なことはなんでもやった。

 兵士という職業に求められる要素は多く、学ぶべきことは山ほどあった。

 兵士は格闘が強くて銃が撃てればいいというのはただのイメージに過ぎない。

 格闘という言葉で一括りにされる技術も体系的に見れば多岐に渡り、銃を撃つにしても所属する兵科、扱う銃の種類によって必要な技術は様々だ。

 だから私は適時必要な技術を意識して目標を定め、その習得に努めた。

 これら勉強に対する貪欲な姿勢は施設にいた頃と何ら変わることはなかった。

 同期の訓練生たちよりも早く起きて体を鍛え、皆がギャンブルに興じている間に本を読み、皆よりも遅く寝て勉学の時間を確保する。

 私は誰にでもできる当たり前のことを当たり前にやって、積み上げる毎日を過ごした。


 軍事訓練学校で学べてよかったと思えることが二つある。

 その一つは教官相手の格闘教練での出来事だった。


 その教官は鬼教官との呼び声高いロシアの退役軍人で、スパルタ精神の化身のような指導方法から、訓練兵の間ではそのままスパルタンと呼ばれていた。

 「次の教練、スパルタンだぜ。前回は白髪のシャイボーイが気絶したらしいぞ」

 「まじかよ。明日は月に一度の外出日でデートの予定だってのに……」

 「あーあ。今日明日は動けなくなるのが確定だぜ。スイーツを食べにいく予定がぁ〜」

 「俺の恋路は終わりだー体だけがムキムキになっちまう〜モテモテがいいのによ〜」

 教練場への道すがら、私と同じ訓練兵二人組の他愛もない会話がきこえてきた。

 鬼教官の教練は地獄のような内容なので、軟弱な鍛え方では乗り切るのが難しい。

 「(今の私では教官に勝てない。今日は帰ってカラーギア技術の勉強でも――)」

 私はそう考えて教練場とは真逆の方向に足を向けるのだが。

 ――そこには鬼が立っていた。

 その体躯は2mを超える長身で、彫りの深い顔、女房のケツよりデカイと噂される筋肉で膨らんだ上腕、その姿は間違いなく我らが鬼教官――その人であった。

 「こっ、これは教官殿! 自分は本日体調が悪く、教練を休――」

 「おいプラーズ。おまえ前回も同じ理由で教練を休んだな。そんな勝手が軍隊という組織で許されると思っているのか?」

 「は。しかし教官殿の教練は内容のレベルが高いものばかりですので。万全の状態でなければついていけず、参加しても無駄になるかと愚考します」

 プラーズ・ペイントという人間は完璧主義だった。

 テストでは百点を取らなければ満足できない。

 ゆえにそれが格闘訓練であるならば、教官に勝つことが私の中の完璧に相当する。

 だが鬼教官は強かった。

 私が自身の肉体を鍛え、格闘のなんたるかを学ぶことに対して一切の妥協をしていないとしても、彼が戦場で積み上げてきた経験とセンスを上回ったという確信は持てなかった。

 それゆえに私は、鬼教官のスパルタ教練を欠席し続けているのだった。

 「そうか……お前は俺の教練を無駄だというんだな」

 「い、いえ。そんなことは……今のは教官殿の教えを十分に吸収できないという――」

 「そのことはいい。確かに万全の状態で臨むことは大事なことだ。だがな……プラーズ」

 教官は何の感情も読み取れない深い瞳を一度閉じ、私の目を見て決定的な一言を告げた。

 「――おまえは戦場でも同じことを言うのか?」

 その言葉に私の思考が停止する。

 教官は何を言っているのだろうか。

 自分たちはいま、この訓練校で最高の点数を、成績を残すために学んでいるのだ。

 それが卒業後のキャリアに繋がるのであって。

 今ここで戦場を想定することになんの意味があるというか。

 私にはわからない。

 「自分は万全の状態で教官殿を倒すこと、その方法を模索することが目的と考えま――」

 「馬鹿野郎ッ」「がふっ」

 私は唐突に右フックをもらい、真横の壁に打ち付けられた。

 なぜ、私の何が悪かった?

 なぜ、ここでベストを尽くしているはずの私が殴られた?


 「戦争に万全なんてものはない。やれ戦車が足りねぇ。弾薬が足りねぇ。兵士が足りねぇ。戦争はないないづくしなんだよ。お前の体調が悪かろうが、お前の技量が足りてなかろうが、敵さんはお構いなしにやってくるし、出撃の命令は出される。そういったときに対応できるよう準備しなきゃあならん。お前は完璧に戦えなければ目の前の戦場から逃げ出すのか? 大切なものを見捨てて逃げるのか? いいか、戦場で大事なのは対応力――いついかなる時も柔軟に対処する力だ。プラーズ、訓練学校は基礎的な技術と、敵と戦う精神を学ぶ場所だ。そのことを覚えておけ。ほら、わかったら駆け足だ! とっとと教練場に行くぞ。罰としておまえが気絶するまで相手をしてやる! 嬉しいだろ、返事はっ!」 


 「はっ、は――――ありがとうございます!!」


 その後の教練は、私が想像していた十倍以上の地獄だった。

 それでも私は鬼教官殿の教練からとても大切なことを学んだ。

 そしてこの教訓は私の人生に大きな影響を与える、そんな予感がしていた。


 訓練校で学んだ座学の中で、面白いと感じたのは機械分野とカラーの科目だった。

 これが軍事訓練学校で学べてよかったことの二つ目になる。

 私は機械分野を学ぶ過程で機械のことが好きになっていた。

 機械は人間のように面倒な存在ではない。

 機械は素直で嘘をつかず、正しい反応を返してくるからだ。

 そして訓練校で学んだカラーの概念は、他の分野に比べて新しい分野のため判明していないことが多く、分野の研究者の数こそ少ないが、それが逆に私を熱くさせた。

 未知へと手探りで進む感覚、カラーと向き合うのは有意義な時間だった。


 機械とカラーに対する興味が、私の雫お姉さんに会えない心の空白を補ってくれていた(この時、雫お姉さん以外が私の心の空白を完全に埋めることはできないと証明された)。


 訓練校在籍中は敷地内に缶詰にされるため、私はお姉さんに会えない日々を送っていた。

 月に一度の外出日でさえ軍事エリアの外に出ることができないと知ったときは、あまりの絶望に発狂して寝込んでしまった。

 それでも訓練校では志を同じくする同志と出会うことができた。

 カナリア園にいた頃と比べれば、人類を救おうとか愛するものを守りたいとか、少なくとも理想のために行動できるマシなやつが多かったように思う。

 その中には科学者の最高到達点であるネイチャーヘッドへの加入を夢見る者さえいた。

 お姉さんのことしか考えていない私にそのような夢はなかった。

 しかし、だからといって他人の夢を無理だと笑う必要もない。

 私は言葉にせずとも彼らを応援することに決めて、自身の研鑽に没頭する。


 ――全てはお姉さんのために。

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