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借金完済

 朝の光がカーテンの隙間から差し込む中、涼さんのアパートで昼食を済ます。


 こう聞くと涼さんの家で出てきたのは彼女の手作り料理…ではなく、インスタントラーメンでした。


「…料理とか全くやらないんだよね。ごめん。けど、これに関しては頑張るから今はこれで我慢して」と、少し恥ずかしそうに笑った。


 彼女と過ごす時間が不思議なほど心地よかった。


 そして、婚姻届の話が一段落する。


「今日、お金返しに行こうと思う」


 涼さんがぽつりと呟いた。

コーヒーカップを手に、彼女の声はいつも通り穏やかだが、どこか決意に満ちていた。


「え、1人で?」


 思わず身を乗り出す。

心臓がドクンと跳ねた。

正直、893なんて、テレビや映画でしか見たことない世界だ。


 涼さんがそんな場所に一人で行くなんて、想像するだけで胃がキリキリする。


「千太くん、心配しなくていいよ。慣れてるから」


 涼は小さく笑ったが、その笑顔にはどこか無理があるように見えた。


「いや、でも…危ないでしょ。俺も一緒に行く」

「え、千太くん? やめた方がいいよ。怖い人たちだし、ビビっちゃうよ?」


 彼女の言葉は冗談めかしていたが、目は本気だった。

それでも、引くわけにはいかない。

涼さんを一人で行かせるなんて、絶対に嫌だ。


「行く。そういうのはちゃんとしたい」


 言葉が口をついて出た。

顔が熱くなるが、目を逸らさず彼女を見つめた。


 涼さんは一瞬驚いたように目を見開き、ふっと息を吐いた。


「…ほんと、馬鹿でまっすぐだね。分かった、じゃあ一緒に行こう。でも、絶対に変なことしないでね。私が何をされても」


 彼女の強い意志に、逆らう気は起きなかった。



 ◇


 タクシーに乗り込む前に、涼さんは「ちょっと寄るところがある」と言い、繁華街の高級ブランド店に連れて行かれた。


「893に会うなら、見た目が大事。千太くんがお金持ちの家の子だって設定にするから、ちゃんとした服着て」


 その言葉に従い、店員に勧められるまま、高級なスーツと革靴を選んだ。


 鏡に映る自分は、まるで別人だ。


「これでいいのかな…? でも、こんな高い服、俺に似合うかな…」

「うん、悪くないよ。ちょっとぎこちないけど、まあ千太くんらしい」


 涼さんはくすっと笑い、自分の分もシンプルだが上品なワンピースを選んだ。

彼女の立ち姿は、まるでモデルみたいだった。


「で、どうやって話すつもり?」


 タクシーに乗りながら尋ねると、涼さんは真剣な目で答えた。


「多分、向こうはお金の出どころを聞いてくる。でも、絶対に20億当たったなんて言わないで。そんなことしたら全部持ってかれる可能性あるし。千太くんの家がお金持ちで、私のために出してくれたって話にする。もし借金の元金以上をふっかけてきたら、知り合いの弁護士をチラつかせて。それなら、3500万で納得してくれるはず」


 確かに。

そんなことを馬鹿正直に話そうものならどうなるかは明白だった。

頭の回転の速さに感心しつつ、緊張がさらに高まる。

映画みたいに銃が出てきたり、殴られたりするんだろうか…。


「…大丈夫だよ、千太くん。何があっても私が守るから」


 涼さんがそっと手を握ってきた。

彼女の手は小さくて、少し震えていた。



 ◇


 繁華街の裏路地にある、雑居ビルの一室。

それが893の事務所だった。


 看板もなく、ただ「関係者以外立ち入り禁止」と書かれたドアが無機質に佇んでいる。


 入り口で屈強な男とすれ違い、思わず足が竦む。

男の鋭い視線に、全身が震えそうになった。


「やっぱ帰ったら?」


 涼さんが小声で囁くが、首を振る。


「いや…行くよ」


 何とか気力を振り絞り、涼さんの後ろについて事務所に入った。


 中は意外に整然としていて、革張りのソファや大きなデスクが置かれている。


 だが、空気には何か重いものが漂っていた。


 そして、奥にある社長室と書かれた部屋をノックする。


 現れた男――組長らしき人物――は、30代後半か40代前半。

ガタイが良く、片目に深い傷跡があり、全身に刺青が覗く。

まるで映画から飛び出してきたような迫力に、膝がガタガタ震えた。


「何だ、涼。まさかお前が男を連れてくるとはな」


 組長の声は低く、どこか楽しげだった。

涼さんは冷静に一歩前に出る。


「今日はお金を持ってきました」


 彼女の声は穏やかだが、揺るぎない。

組長は眉を上げ、ソファにどっかりと腰を下ろした。


「金? 今月分はもう収めてるだろ」

「…いえ。借金を全額返すためです」


 涼さんがアタッシュケースを開け、3500万円の現金をテーブルの上に並べた。


「残り3500万。返します。なので、これで…自由にさせてください」


 組長の目が細まり、じっと涼を見つめた後、こちらに視線を移した。


「…その金、どうやって手に入れた?」


 その瞬間、タクシーでの会話が頭をよぎる。涼さんの指示通り、口を開く。


「…俺の家がお金持ちで、涼さんのために出しました。その代わり、彼女と結婚する約束です」


 声が震えたが、何とか言い切った。

だが、組長はニヤリと笑った。


「なんだそれ。縛られた先が1人か無数かの違いしかねえじゃねえか。結局、お前は檻の中だろ、涼。それならNo.1ともてはやされる人生の方がマシじゃねえか?」

「…あんな気持ち悪いこと、2度としたくない」


 涼さんの声は静かだが、鋭い刃のようだった。組長は一瞬黙り、低く笑った。


「ふーん。けど、残念だな、旦那さん。その女は俺が直々に仕込んだ女だからな。普通のセックスじゃもう満足できない体になってるぜ。まぁ、俺のお古で良ければ使ってくれや」


 下品な笑い声に、思わず拳を握った。

怒りが込み上げるが、次の瞬間、組長の鋭い視線が突き刺さる。


「それと…おい、ガキ。大人を舐めんなよ。嘘をつく相手は選べ。何だその服。タグまでつけて、似合ってねえにも程があるだろ」


 慌ててスーツを見るがそんなものはなかった。

けど、それだけでよかった。

確認するという行為が既に罠なのだ、


「身なりだけじゃ、育ちの悪さは誤魔化せねえんだよ。涼が急に休みを取るって言うから怪しいと思ってな。最後に会った客であるお前のこと、調べさせてもらった。母子家庭で奨学金を借りて大学行ってるガキが、たっかいスーツ着て、急に3500万持ってくるだぁ? 見え透いた嘘も大概にしろよ。唆したのはお前か?それとも涼か?もう一度聞く。この金はどうした?」


 全身から汗が噴き出した。

涼さんが小さく震えているのが見えた。


「…出所のわからねー金は受け取れねえな」


 組長がアタッシュケースを押し返す。

涼さんの顔が青ざめる。


「…じゃあ、いくら払えばいいんですか?」


 彼女の声は震えていた。

組長はふっと雰囲気が変わる。


「…勘違いだ。もうお前は金を払う必要がない」

「…はい?どういう…」

「つい最近、大阪でお前の親父を見つけた。今は泳がしてるが、近いうちに確保する。あいつを殺せば、生命保険で5000万入る。お前で十分儲けたからな。どちらにせよお前は自由だ。ご苦労さん」


 涼の瞳が揺れた。


「…なんで、それをわざわざ言うんですか?黙ってお金を受け取ればいいのに…」

「お前は被害者だ。どう足掻いてもな。未成年でこの世界に巻き込まれて、大人のおもちゃにされて。お前自身には何の罪もないのに。そんなやつを最後に騙したら、俺は組長失格だろうが。この世界に長くいるくせに分かってるだろ。俺たちは悪い人間だが、仁義を欠いたらやっていけねえ。お前の借金は親父のもの。けど、お前は親父の所有物だった。最後のケジメはあいつにつけさせる」


 涼さんの表情が複雑に歪んだ。

彼女は小さく息を吸い、こう言った。


「…もし、5000万払えば…お父さんを殺さないでいてくれますか?」

「残念だがそれは無理だ。例え50億積まれても、俺はあいつを殺す。俺たちをコケにした罪は、しっかり償ってもらう。それに…あいつはお前のことなんか忘れてるぜ。海外で新しい嫁と子供作って、今は平和な顔して日本で普通に暮らしてる。分かるか? お前はあいつにとって、忘れたい過去でしかねえんだ」


 彼女の手がアタッシュケースを握りしめる。


「…それでも…親なんです」

「残念だが無理だ。悪いな」


 彼女の声は小さく、消え入りそうだった。

思わず一歩踏み出し、彼女の肩に手を置く。


「涼さん、もう行こう。ここにいる必要ないんだ」


 組長が低く笑った。


「しっかし…俺に会いにくるのに連れてきたのがこんなひょろガキとはな…。人選ミスも甚だしいな。これでお前はもう自由だ。…ただし、二度と俺たちの前に姿を見せるな」


 涼さんは黙って頷き、アタッシュケースを手に持つ。

彼女の手を握り、事務所を後にした。



 ◇


 涼さんのアパートに戻ると、彼女はソファに崩れ落ちるように座った。


「…ごめん、千太くん。怖かったよね」

「うん…。ビビりまくってたけど…涼さんが無事でよかった」


 彼女は小さく笑い、コーヒーを淹れ始めた。

その手はかすかに震えていた。


「…自由、か。初めてだ、こんな気持ち」


 涼さんの声には、微かな後悔が混ざっていた。


 お父さん…のことだよな。

けど…俺に何ができる…?


「…う、うちも…父さんが小さい時に死んじゃって…その母子家庭だから…」


 うまく言葉が見つからない。

避けられなかった病気とお金で避けられるかもしれない死では意味合いがまた違うのだ。


 こんな慰めなんて…意味はないかもしれない。


「こ、これからは…俺がいるから…。俺が…絶対に幸せにするから…だから…安心して」と、涙ぐみながらも精一杯の笑顔を浮かべる。


 すると、「…うんッ!」と大粒の涙を流しながら、彼女は俺の胸で泣くのであった。

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