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残酷な過去

「何で風俗嬢をしてたか、聞かないの?」


 その言葉に、思わず息をのんだ。

彼女の方からそんな話を持ち出すとは思わなかった。


「…親の借金の肩代わりとか…?そんな話を聞いたことがある…」


 言葉を選びながら、噂で聞いたことを口にしてみる。

風峰さんは小さく頷き、どこか遠くを見るような目で言った。


「せーかい。よく知ってたね。相手が893だったからね。真っ当にやっても、たぶん、一生かかっても返せなかったと思う」


 彼女の声は穏やかだったが、その裏に隠された重さが胸に刺さった。


「…借金はいくらだったの?」

「最初は5000万。今で3500万かな」と、淡々と答えた。


 彼女は小さく息を吐き、話を続けた。



 ◇


 私の父と母はとても優しい人たちだった。

一人娘の私を大切に育ててくれて、何は自由ない生活を送っていた。


 小学生の頃はやりたいと言ったことは全てやらして、水泳、空手、野球、バレー…なんかテレビを見て興味を持ったものはすべてやった。


 けど、才能も努力しつづける力もなかった私はどれも続かず、すぐに辞めていたが、そのことを怒られることはなかった。


 学校も楽しかった。

容姿には恵まれており、男女ともに友達は多く、告白されることもあった。

けど、好きという感情が芽生えることがなかったため、結局誰とも付き合わないまま、高校生になった。


 そして…そこから地獄が始まった。

高校2年の時、父の会社が潰れた。

昔は豪邸に住んで、欲しいものは何でも手に入るような生活だったのが一変した。


 父の会社は建設業で、取引先も多く、町の名士なんて呼ばれてた時期もあった。


 でも、ある日を境に全てが崩れた。

取引先の倒産、資金繰りの悪化、そして父のギャンブル癖。


 気付けば、家族は借金まみれだった。


 父と母は毎日のように言い合いをするようになり、時には父が母に手を出すこともあった。


 幸せな家庭はお金というものがなくなるだけでここまで一変するのか、というくらいに変わってしまった。


 それから少しして、母はストレスで倒れ、父はお金を借りるために893に頭を下げに行った。

なぜか私もそこに連れて行かれた。


 父に逆らったら何されるか分からなかったから、そのままついていった。


 そして、893の事務所のようなところに連れて行かれると、ボス的な人が出てくる。


 どうやら、父とその人は結構仲が良いらしく、楽しく会話をしてからボス的な人が本題を切り出す。


「まぁ、あんたには結構世話になったしな。その娘を担保にして、あんたに生命保険をかけるなら5000万貸してやる。金さえありゃあんたならまた建て直せるだろ」

「…ありがとうございます!」


 父は全く迷うことも、私に相談することもなく、その条件を飲んだ。

それだけの自信があったのか…それとも私なんてどうでも良かったのか…。


 その時に思ったことは、家畜ってこういう気持ちなんだろうな、ということだった。

私は家族のために差し出された質草に過ぎなかった。


 結局、その後両親は離婚して、母の元での生活が始まったが、すぐに借金を踏み倒した父は海外に逃走した。


 そして、ある時893が家に来て私は連れて行かれた。

母は怯えるだけで私を庇う素振りも見せてくれなかった。


 そして、その日に私は地獄を見せられた。

それはこの893を裏切ろうとした女の子の末路だった。

薬漬けにされ、好き放題に犯され、膨れたお腹と意識のない目。


「裏切ったらこうなるから。まぁ、海外に逃げたお父さんが死んだら、5000万は入ってくるから。それまでは君がお金を負担するんだ。返し方はわかるだろ?」


 逃げ場のない私は893に脅され、17歳で風俗の仕事を始めた。


 最初は泣きながらだった。

毎晩、知らない男に笑顔を振りまいて、したこともないみたこともない気持ちの悪いプレイをさせられ、それでも…心を殺して、奉仕した。


 それから1年後には店のNo.1なんて呼ばれるようになったが、嬉しくもなんともなかった。

生活はいつもギリギリ。

体が資本なので食べ物に関しては、893側から提供してもらっていたが、住む場所は893が提携している不動産でボロなアパート。


 ただ、早く…借金を少しでも減らしたかった。

けど、利息もあってなかなかに元金は返せず、1000万を返済するのに、どれだけの夜を耐えたか…もう覚えていない。


 こんなのをあと何年…。

何度も死のうかと思った。


 それでも。将来のことを考えて奨学金を借りて大学には通っていた。

けど、入学してすぐに私が風俗していることがバレて、すぐに周りの人間が私を避けるようになった。


 結局、休まる場所はどこにもなかった。


 そして、893の男たちは、笑いながら言った。


「死ぬまでに返せればいいな」


 その言葉が、胸に突き刺さった。


 そして…そんなある日、向井千太が1億を持ってきた。



 ◇


 話が終わると、部屋は再び静寂に包まれた。彼女の過去は、想像以上に重かった。


 胸が締め付けられるような感覚に襲われ、言葉が見つからない。

でも…何か言わなきゃ、そう思った。


「…でも、風峰さんは大学に来てたし…ゼミにもちゃんと出てた。すごいと思う」


 やっとの思いでそう言うと、風峰さんはふっと笑った。


「すごいって…。大学に通っている間は周りの目はあるけど、普通で居られる気がした。普通の19歳で普通の大学生で。まぁ、いられる気がしただけだけど」と、彼女はなれた手つきでタバコを吸い始める。


 彼女の声は、いつもより少し柔らかかった。普段の無表情な顔に、ほんのわずかな温もりが垣間見えた。


「でも、向井くんはさ…ほんと、馬鹿だよね」と、小さく笑いながら言う。


「1億なんて、普通なら自分のために使うよ。例え20億あったとしても、特に関係性もない、愛想もないゼミが一緒なだけな人に。そもそもお金を受け取ったら逃げるかもしれない女にあげれないよ、普通。好きだとしても行きすぎてる」

「…そうかもね。でも、初めて…好きになった人が風峰さんだったから…かも。自由になってほしいって、そう思っただけ。好きとかそういうのを抜きにしても…」

「てか、風俗嬢なんか好きになって、奥さんにしてもいいことなんてないよ。多分、思い描いている理想の奥さんにはなれない。それでも本当にいいの?」

「いい。それでも…いい」


 風峰さんはしばらく黙り、じっとこちらを見つめた。

その瞳には、戸惑いと、ほんの少しの優しさが混じっていた。


「実は好きじゃないとか言ったけど、向井くんのことはちょっとだけ気になってた。ほら、前に2人きりの時に話しかけてくれたしょ」

「…覚えててくれたんだ」

「うん。クッソつまんない男の子だなーって思ってた」

「…」

「うそうそw…なんかすごいまっすぐな男の子だなーって思った。私を見る目が違ったっていうか。見下すわけでもエロい目でもなく、私を見てたから。指名してきた時、本当は断ろうと思ってた。一応、No.1だからさ。そういう権限だけはあるわけ。だから、同じ大学とか高校のやつが来たらNGするようにしてたの。けど、来たのが向井くんだったからすっごい迷った。どういう思いできたのかなとか、やっぱそういう目で見てたのかなとか、でもお金がないのにここにくるくらい本気なのかな…とか。それを知りたくてOKしたんだ」


 確かそんな噂があった気がした。

初めて行って指名したのに断られたとか…そういうことだったんだ。


「…そうなんだ」

「そしたら、まさか1億あげるとか…ちょっと予想の斜め上すぎたかな」

「…うん」

「私、本当に相当擦れちゃってるから。そこだけは覚悟してね。というか、男ってものを心から嫌ってるし。それは理解して欲しい」

「…うん」


 すると、彼女は吸っていたタバコを俺に差し出す。


「はいこれ。この前、ゼミ室で誕生日って言ってたってことはもう20歳でしょ?」

「タバコ…は…」

「人生経験としていいと思うよ?ほれ」と、言われてそのままたばこを受け取って吸い込む。


 よく分からないので、肺活量を測るテストかと思うくらい、吸い込むと思いっきりむせる。


「ゲホッゲホッゲッホ!!」

「あはははははw吸い過ぎだってw」と、風峰さんは大爆笑する。

初めて見るそんな姿に思わず俺も嬉しくなった。


 そして、ひとしきり笑い終えると、彼女はタイマーに目を向ける。


「よし、とりあえずそろそろ始める?」

「いっ…いい。そういうのは…しなくていい。もう…そういうことは…」

「…そっか。分かった。心から私がしたいって思った時にしよっか。そんな日が来るかは分からないけど。じゃあ、これからよろしくね。千太くん」と、彼女は笑顔で握手を求めてきた。


「…はい。よろしくお願いします…風峰さん」

「…風峰じゃない。結婚するんだから、これからは涼って呼んで」と、彼女は爽やかな笑顔でそう言った。

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