7.魔女の工房(1)
心象の中に種があることに気がついた。
その種には黒い染みのようなものが付いていて、
それを見た瞬間、「浄化」のスキルを思い出した。
思うに、あれは「魔気」だ。
仕事から帰ってくるたびに浄化を使っていたのは、
たぶん一日で溜まった魔気を浄化していたからだろう。
契約の時も、ドラゴンが俺を見てこう言っていたっけ。
「魔気に染まっていない身体とは驚きだ」
自分に使っていたように、種にも浄化が使える――そう、本能的に分かった。
俺は種に手を置き、浄化を施した。
パァッ。
種にあった魔気が減っていく!
そして殻を破って芽を出すその瞬間、
俺はこれまで感じたことのないような喜びを覚えた。
同時に、体に感じる力を両手に集中させると――
ザザザッ。
「う、うわぁ?! これ、なんだよ!!」
俺が掴んでいた腕から、ミノの体が凍り始めた。
冷気は腕から広がって、体を通り、頭まで達し、
ついにはミノは生きているような姿のまま、動きを止めた。
「……」
たしかにこの現象は俺から始まったはずなのに、
俺自身は何が起きたのか、呆然としていた。
浮いた体を地面に下ろすために、
俺はミノの指をそっと開いた。
パキン。
「……?」
地面に落ちた氷柱が砕けるような音がして、
指が粉々に砕け散った。
その衝撃で、右手首から下が跡形もなく消えた。
溶ければ冷凍人間みたいに蘇るかもしれないけど、
もう放っておいた方がいい気がした。
俺は首を撫でながら、部屋を見渡した。
狭いながらも居心地の良かったワンルーム。
今や冷凍庫のように変わり果てていて、
人が住める場所ではなくなっていた。
『けっこう気に入ってたんだけどな…』
金と袋だけを手にして部屋を出た俺は、
次に行く場所を考え、高級ホテルへと向かった。
「404号室になります。ポーターはご利用になりますか?」
「いや、鍵だけでいいよ」
荷物を見たスタッフが人手を要するか聞いてきたが、
さっきの出来事の後で他人に荷物を預ける気にはなれなかった。
鍵を受け取って、指定された部屋に向かう。
ドン。
安全な場所でひとりきりになると、
緊張が解けて体がずしりと重くなり、
何もする気が起きず、そのままベッドに倒れ込んだ。
目を開けたのは夜明け前だった。
目を覚ました後、ルームサービスで料理を山ほど頼んだ。
胃の中に何も入っていなかったからだ。
高級ホテルだけあって料理は一級品のはずだが、
一口食べてからは味もろくに分からずにがつがつと食べ続けた。
「げふっ」
服の中に手を入れて膨らんだ腹を撫でたあと、
冷蔵庫から酒を取り出し、客室のテラスへ向かった。
ゴクリ。
窓の外に見える、かすかな光。
百年前なら、昼夜の区別もつかないほど明るかったのだろう。
だが、テラが魔界に取り込まれてからというもの、
かつての人類文明は色あせ、
中途半端に残った科学と魔法が入り混じった世界――それが今の世界だった。
酒を啜りながら、今日の出来事を振り返る。
体調を崩して、
ワンルームにやって来たミノを殺した。
その過程で魔法のようなことが起こったが、
心象の種を浄化して芽を出させたことに比べれば、
他のことなど些細な出来事だった。
俺は目を閉じて集中した。
心象の中の芽を再び見るためだ。
だが、思ったほど簡単にはいかなかった。
以前うまくいったのはたった二回。
ドラゴンと契約したときと、ミノに殺されそうになったとき。
サンプルは少ないが、どちらも実戦だったことを思えば、
俺は実戦型なのかもしれない。
どうせ暇だし、しばらくはホテルで休むつもりだったから、
心象に入る練習をしてみることにした。
『瞑想がいいか』
椅子にもたれて目を閉じた。
何も見えないと、頭の中に雑念が湧いてくる。
鱗の処分、警備団に見つからないか、そんなことが次々と――
俺はそれらの思考を、一つ一つ水面下に沈めていった。
やがて、音すら聞こえない静寂の中で目を開けると、
俺は心象の中にいた。
『俺って才能あるのか?』
何日もかかると思っていたのに、一発で成功するなんて…
心象に入った俺は、周囲を見渡す。
前と同じく、ここには俺と目の前の芽以外、何も存在しなかった。
俺は、種から芽吹いた若葉をじっと見つめた。
青々としたその姿が可愛らしく、しばらく見つめていたが、
特別な力が感じられるわけでもなかった。
ミノを倒したときに、力を使い果たしてしまったのか。
時間はある、ゆっくりと探ればいい。
自分の意志で心象に入れるようになってから、
俺はホテルに滞在しながら何度も心象を訪れたが、得られた情報はなかった。
「さっぱり分からん」
ホテルに籠もって数日目。
じっとしているのが退屈になってきた。
生まれてこの方、これほど遊んだのは初めて。
たっぷり休んだことだし、そろそろ動き出すときだ。
まずは物を処分しなきゃいけない。
いつまでも自分で持っていられないし、
ちょうど、ミノから聞いた場所もあったから、袋を持って外に出た。
そうして辿り着いたイザベル工房。
道を尋ねながら来たが、思っていたより有名な場所で、見つけるのに苦労はなかった。
外観は古びていて、壁には蔦がびっしりと生い茂っている。
エルフが経営していると言われても信じてしまうほど、自然と調和した店構えだった。
俺は扉を開けて中へ入った。
チリン。
澄んだ鈴の音が、客の来訪を告げるが――
店主は不在なのか、姿が見えない。
「すみません、誰かいませんか?」
呼びかけても返事はない。
店主を待つついでに店内を見回してみたが、物が足元にまで溢れていた。
記憶に残っているのは、
ガラスの瓶に入った眼球、毛むくじゃらの手の装飾品、
そしてどこか不気味な人形などだった。
『ここって雑貨屋か?』
また来ようと、店を出ようとしたそのとき。
入ってきた女性と鉢合わせた――。