3.初めての殺人
ハンスに命を脅かされる状況で、
頭の中に力を与えるという声が響いた。
「悪魔か?」
何がどうなっているのかは分からなかったが、
このまま死ぬくらいなら、あがいてでもみるしかなかった。
「代価は?」
【復讐。】
転生を知っている自分としては、魂ではないという言葉に心の中で安堵した。
『なら、気にすることはないな。』
手足一本ずつ差し出せと言われても渡す覚悟はあったのに、復讐程度ならば安いものだ。
こいつが言っているドラゴンハートというのは、さっき拾った宝石のことだろう。
俺はポケットに入れていたそれを握るために、
短剣を肩の上に押し上げ、自分の体に引き寄せて肩に突き刺した。
ズブリ。
「な、何だと?!」
覚悟はしていたものの、
肩に走る焼けつくような痛みに意識が飛びそうになった。
だが、俺はその一瞬の隙を逃さず、ポケットに手を入れてドラゴンハートを握った。
パッ。
瞬きする間に、一瞬で風景が変わった。
それは星明かりの形だった。
巨大な銀色がまばゆく輝き、
その息吹はまるで銀河を内包するかのように揺らめいていた。
俺はその美しさに圧倒され、ただ見つめていた。
最初に静寂を破ったのは、それだった。
「時間がない。ここはお前の心象空間。現実の時間は流れないが、長くは維持できぬ。問おう、我が名はカル・アイリアン。その力を望むか?」
その前に、代価を確認しなければならなかった。
「俺が差し出す代価は? 本当に復讐でいいのか?」
ドドドドドド。
復讐という言葉に心象が激しく揺れ、
ドラゴンの言葉に合わせて俺のいる空間が地震のように揺れた。
「我を! 故郷を踏みにじった魔王を討て!」
「……」
『魔王って、ラスボスじゃないか?』
あまりにスケールが大きすぎて、復讐を手伝っている間に年を取って死ぬかもしれないが、俺の答えは決まっていた。
「手を貸す。」
「契約は成立した。」
その言葉を最後に、銀のドラゴンが空高く舞い上がった。
果てしなく昇っていく山のような肉体がピタリと止まり、
向きを変えて俺に向かってきた時には、人間の姿に変わって俺と重なった。
パッ。
「くっ。」
一瞬感じた肩の痛みにうめき声が漏れた。
心象では痛みがなかったので、
自分が刃を受けていたことをすっかり忘れていた。
ポケットの中には、もはや石の感触がなかった。
ドクン、ドクン。
そのとき、心臓から激しい痛みがこみ上げた。
「ぐああああっ!!」
焼かれるような苦痛が、ある瞬間には涼やかさに変わり、
肩に刺さっていた短剣が、盛り上がる肉に押し出され始めた。
「な、なんだよ、これは?」
突然の変化に驚いたのもつかの間。
正気を取り戻したハンスが急いで短剣を抜き、振り下ろしてきたが、
俺は回復した腕でその攻撃を防いだ。
カキン。
心象から戻って以来、
体中に爆発しそうなほどの力がみなぎっていた。
今なら、何でもできそうな気がした。
俺は掴んでいたハンスの手をひねり上げた。
ゴキッ。
「ぐっ…だ、だめだ!」
ハンスの絶望に満ちた声。
状況がまずいと気付いたようだが、もう遅い。
人を殺そうとしたのなら、自分も死ぬ覚悟をしておくべきだった。
俺は、ハンスが俺に言った言葉をそのまま返してやった。
「じゃあな。」
ズブッ。
ドロリ。
「ぐっ、ぐああっ……」
熱い血が彼の体を伝って滴り落ちる。
俺はハンスを横に押しのけて、その場に立ち上がった。
そしてしばらくして。
ハンスの目から生命の灯火が消えた。
俺は彼の首に刺さっていた短剣を手に取った。
俺が生きていることが分かれば、インプはそのまま戻るだろう。
内側からは開けられず、外からしか開けられない扉。
俺は拳を固く握りしめた。
だが、感じるこの力が本物なら、
外へ出られるという確信が湧いてきた。
俺は金属製の扉の前へと歩み寄った。
インプが外から鍵をかけたのだろうが、
かんぬきは扉ほど頑丈ではない。
俺は扉に肩をぶつけた。
ドンッ。
衝撃で扉が揺れた。
「な、なんだ?」
外にいるインプの慌てた声が聞こえる。
もう一度。
ドンッ!
先ほどよりも大きく軋んだ。
もう少しで出られる!
「中にいるやつ、誰だ!?」
「死神だ。」
「……死神? それなんだ? この声……お前、ユジンか! よくもまあ生きてたな? おとなしくしてりゃもう少し長生きできたものを…」
インプの言葉に、俺は何も言わずに、
後ろへと大きく下がったあと、扉へと全力で走った。
近づく扉に俺の肩がぶつかると。
ドガァァン!
さっきとは違う轟音が鳴り響いた。
ギイィィ──
ものすごい音と共に扉が開かれたその瞬間、
目の前に燃え上がる炎が飛び出した。
「死ねぇっ!!」
罵声と共に飛んできた魔法に、俺は両腕を交差して頭を守り、インプに向かって突進した。
ボンッ。
ゴォォッ。
頭を腕で守ったおかげで顔は無事だったが、
魔法の余波からは逃れられなかった。
刃に刺されるよりもひどい痛みが襲ってきた。
燃え上がる腕の痛みを耐えながらインプに接近した俺は、
奴が逃げないように肩をガッチリ掴んだ。
「は、離せ! し、しまっ──ぐああっ!!」
インプにも燃え移る炎。
「自分が使った魔法でも耐性はないのか?」
いいことを知った。
俺は短剣でインプの脇腹を突いた。
「ぐっ、がはっ……」
ぐったりするインプ。
終わったと確認した俺は、それまでの緊張が一気に解け、その場に座り込んだ。
『今日は本当に、ひどい日だな……』
インプが死ぬと、
腕に燃えていた炎は消え、
火傷していた腕は癒えていった。
俺は回復も兼ねて、大の字になって横になった。
空に浮かぶ無数の星たち。
前世なら都市の明かりにかき消されて見えなかっただろうが、
この異世界の良いところを一つ挙げるなら、どこでも夜空を見上げれば星が見えるということだ。
人はそれぞれ、自分だけの星を持って生まれるというが、
あの無数の星の中に、俺の星もあるのだろうか?
しばし目を閉じて涼しい夜風を感じていると、拍手の音が聞こえてきた。