第6話「森の囁きと決意」
物語の世界が交わるとき、そこには無限の可能性が生まれる。
かつての敵が味方になり、脇役が主役となる。
書かれなかった結末を求めて、彼らは歩み始める。
わたしはその全てを記録する。未来の読者のために。
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マルヘン町の門をくぐった瞬間、狼は圧倒された。
そこは彼の想像をはるかに超える世界だった。
石畳の通りには無数の人々が行き交い、両側には色とりどりの建物が立ち並んでいる。
小さな店からは甘い香りが漂い、広場では音楽が鳴り響いていた。
馬車が通り過ぎ、子どもたちが走り回り、商人たちが大声で商品を売り込んでいる。
「こんな場所があったなんて…」
狼は呆然と立ち尽くし、周囲を見回した。
彼の姿を見て驚く人もいたが、多くは一瞥するだけで通り過ぎていく。
男性の言った通り、この町では彼のような存在も珍しくないようだった。
「すみません」
彼は勇気を出して、通りがかりの老婆に声をかけた。
「北区への道を教えていただけませんか?」
老婆は狼を見上げ、にっこりと微笑んだ。
「まっすぐこの大通りを行って、大きな噴水のある広場を右に曲がりなさい。そこから見える高い塔が北区の目印よ」
「ありがとう」
狼は頭を下げた。
「物語からの旅人ね」
老婆は彼をじっと見た。
「自分の結末を探しているの?」
狼は驚いた。
「どうして…」
「この目は多くを見てきたのよ」
老婆は微笑んだ。
「マルヘン町は物語の交差点。多くの者が自分の物語の続きを求めてやってくる」
「あなたも…?」
「ええ、かつては」
老婆は懐かしそうに言った。
「私は『鉄のかまど』の物語の魔女だった。でも今は、ただのパン屋の老婆よ」
狼は黙って聞いていた。
彼と同じなのだ。物語から抜け出し、新たな人生を歩んでいる。
「成功を祈るわ」
老婆は言った。
「物語屋のフリードリヒはいい人よ。彼ならきっと力になってくれるでしょう」
狼は老婆に礼を言い、教えられた道を進み始めた。
町はますます活気に満ちていた。日が暮れ始めているのに、人々の動きは止まらない。
むしろ、夜の営みのために準備が始まっているようだった。
大通りを進み、噴水のある広場に辿り着く。
美しい彫刻の施された噴水からは清らかな水が湧き出ていた。
噴水の周りでは子どもたちが遊び、恋人たちが語らい、音楽家たちが演奏していた。
彼は右に曲がり、北区へと向かった。
通りの雰囲気が少し変わる。
より静かで、落ち着いた空気が流れていた。
書店、古道具屋、占い師の店など、知識や神秘に関する店が多くなる。
「あれが塔か…」
狼は見上げた。高くそびえる塔は、どこか図書館のような風格を持っていた。
その塔を目印に、彼は北区の中心へと進んでいく。
やがて、彼は目的の店を見つけた。
古い木造の建物で、窓からは温かな光が漏れている。
看板には「物語屋」と書かれ、その下に「すべての物語に、続きがある」というフレーズが添えられていた。
狼は深呼吸し、ドアを押した。
小さな鈴の音が鳴り、彼は店内に足を踏み入れた。
店内は本で溢れていた。
壁一面に本棚が並び、天井近くまで本が積み上げられている。
中央には大きなテーブルがあり、その上にも本が山積みになっていた。
古い革の匂い、紙の匂い、インクの匂いが混ざり合い、独特の雰囲気を作り出していた。
「いらっしゃい」
奥から声がした。
カウンターの後ろに、白髪の老人が立っていた。
眼鏡の奥の目は鋭く、しかし優しさも宿していた。
「物語屋…フリードリヒさんですか?」
狼は恐る恐る尋ねた。
「そうだよ」
老人は頷いた。
「そして君は…森からの旅人だね」
狼は驚いた。
「どうして分かるんですか?」
「君の目に宿る迷いと決意」
フリードリヒは静かに言った。
「それに…」
彼は狼の姿をじっと見た。
「君の物語は有名だからね。赤ずきんと狼」
狼は黙って頷いた。
「はい…僕は狼です。赤ずきんとの物語の…悪役」
「悪役?」
フリードリヒは眉を上げた。
「それは物語の一つの解釈にすぎない。真実はもっと複雑だ」
「それを知りたいんです」
狼は真剣に言った。
「本当の物語を。赤ずきんはどうなったのか。なぜ彼女は森に来なくなったのか」
フリードリヒは狼をじっと見つめ、やがて頷いた。
「座りなさい」
彼はカウンターの前の椅子を指した。
「話を聞こう」
狼は言われた通りに座り、これまでの経緯を話し始めた。
赤ずきんがいなくなったこと、おばあさんの家での発見、手紙の内容、そして「図書館へ」と刺繍された赤いリボンのこと。
フリードリヒは黙って聞いていた。
時折頷き、時折考え込むように目を閉じる。
話が終わると、老人は立ち上がり、奥の部屋へと向かった。
「少し待っていてくれ」
しばらくして、彼は一冊の古い本を持って戻ってきた。
表紙は赤い革で装丁され、金色の文字で何か書かれている。
しかし、その文字は狼には読めなかった。
「これは『物語の書』の一部」
フリードリヒは本を開きながら言った。
「すべての物語の起源と変遷が記されている」
ページをめくると、そこには狼の知る「赤ずきん」の物語が描かれていた。
しかし、続きのページには彼の知らない展開が書かれていた。
(つづく)