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忘れられた童話たちは、まだ終わっていない  作者: 水月 りか
第一章:赤ずきんのいない森
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第4話「赤いリボンの行方」

 物語の境界線を越えるとき、登場人物たちは変化する。

 それは進化と言えるかもしれないし、あるいは変容と言うべきか。

 彼らが本来の姿を見出すとき、新たな物語が始まる。

 わたしはただ見守る。そして、記録する。


 ーーーーーーーーーーーーーーーー


 二日目の朝、狼は露が滴る草原を歩いていた。

 夜明け前に目を覚まし、すぐに出発したのだ。

 マルヘン町まではまだ遠い。しかし、彼の足取りは軽かった。


 ポケットの中の赤いリボンが、時折彼の指先に触れる。

 それは彼にとって道標であり、希望だった。


 空はますます明るくなり、地平線からは金色の光が溢れ出す。

 その光に照らされ、狼の姿はより鮮明になった。


 昨日よりもさらに変化していた。

 背筋はより伸び、毛皮は所々で人間の肌に変わりつつあった。

 特に顔と手の部分が顕著だ。

 耳はまだ狼のままだが、顔つきは人間に近づいていた。


 彼は変化に戸惑いながらも、それを受け入れていた。

 物語の境界を越えたことで生じる変化だと。

 これが彼の本来の姿なのかもしれない。


「物語の中では俺は単なる悪い狼だった」


 彼は独り言を言った。


「だが、ここでは何者にでもなれるのかもしれない」


 草原は少しずつ起伏を増し、遠くには小さな丘陵地帯が見えてきた。

 マルヘン町はそのさらに向こうだと、地図は教えていた。


 彼は歩きながら、ポケットから手紙の束を取り出した。

 おばあさんから赤ずきんへの手紙。まだ読んでいないものがいくつかあった。


 立ち止まり、一通を開く。

 日付はかなり古い。


「親愛なる孫へ。

 あなたがようやく15歳になったことを祝います。

 大人への第一歩ですね。

 私からのプレゼントは、この手紙と一緒に送った赤いリボン。

 あなたのお母さんが同じ年齢のときに使っていたものです。

 いつか森を越えて会いに来てくださいね。

 愛を込めて、おばあさんより」


 狼は手紙を読み終え、考え込んだ。

 赤いリボンにはそんな意味があったのか。

 赤ずきんは15歳だったのだ。彼の記憶の中の少女より、ずっと大きい。


 彼はもう一通の手紙を開いた。

 こちらはさらに古い。


「親愛なる孫へ。

 お母さんからあなたが病気だと聞きました。

 早く良くなるといいですね。

 この手紙と一緒に、私特製のお菓子を送ります。

 森の薬草を混ぜた特別なレシピです。

 元気になったら、また手紙を下さいね。

 愛を込めて、おばあさんより」


 赤ずきんは病気だったのか。

 でも、彼の知る物語では、彼女は元気にやってきたはずだった。


 さらにもう一通。

 日付は最も新しい。


「親愛なる孫へ。

 これが最後の手紙になるかもしれません。

 森が変わってきています。道も、木々も、生き物たちも。

 私はもうすぐここを離れなければなりません。

 あなたに警告しなければならないことがあります。

 物語の書き換えが始まっているのです。

 もし、この手紙を読んだなら、リボンについている言葉を信じてください。

 図書館へ行きなさい。すべての答えはそこにあります。

 あなたのおばあさんより」


 狼は手紙を手に、しばらく立ち尽くした。

「物語の書き換え」とは何だろう?

 なぜおばあさんは家を離れなければならなかったのか?

 そして、赤ずきんはその後どうしたのだろう?


 彼は手紙を丁寧にしまい、再び歩き始めた。

 疑問は増えるばかりだが、答えはまだ見つからない。


 歩き続けるうち、彼は小さな村に辿り着いた。

 グリム王国の地図によれば、それはマルヘン町ではなくヴンダー村というところだった。


 村の入り口には小さな石の看板があり、「ヴンダー村へようこそ」と刻まれていた。


 狼は躊躇した。

 これまで人間と接したことはほとんどなかった。

 物語の中では、彼は人間に恐れられ、憎まれる存在だった。


 しかし今、彼の姿は半分人間のようになっている。

 受け入れられるだろうか?


 村は小さいながらも活気があった。

 農夫たちが畑を耕し、商人たちが店先に商品を並べ、子どもたちが通りを走り回っている。


 狼は帽子をかぶり、ショールで体を隠すようにして、おそるおそる村に入った。


 最初は誰も彼に気づかなかった。

 彼は安堵し、村の中央に向かって歩き始めた。


「水を飲める場所があるだろうか」


 彼は喉の渇きを感じながら思った。


 やがて村の広場に出ると、そこには大きな井戸があった。

 彼は周りを見回し、誰も見ていないことを確認してから井戸に近づいた。


 水を汲み上げ、喉を潤す。

 冷たく美味しい水だった。


「旅人さんかい?」


 突然、声がかけられた。

 狼は驚いて振り返った。


 そこには年老いた男性が立っていた。

 白髪と白い髭を蓄え、穏やかな笑顔を浮かべている。


「あ、ああ…」


 狼は言葉に詰まった。彼の声は昨日よりも人間に近くなっていた。


「珍しい出で立ちだねぇ」


 老人は狼の姿を眺めた。


「どこから来たんだい?」


「森…から」


 狼は正直に答えた。


「なるほど、森の向こうから」


 老人は頷いた。特に驚いた様子はない。


「マルヘン町に向かうところかい?」


 狼は驚いた。


「どうして分かるんだ?」


「この村を通る旅人のほとんどはマルヘン町に向かうからさ」


 老人は笑った。


「特に、森からやってくる者たちはね」


 森からやってくる者たち…他にもいるのか?


「そうだ…マルヘン町に行きたい」


 狼は答えた。


「そこからさらに…図書館というところを探している」


 老人の表情が変わった。


「図書館?」


 彼は声を落とした。


「なぜ?」


「大切なものを探すためだ」


 狼は赤いリボンを握りしめた。


「大切な…人を」


 老人は狼をじっと見つめ、やがて頷いた。


「分かった。だが、図書館は簡単に行ける場所ではない」


「行き方を知っているのか?」


 狼は前のめりになった。


「直接は知らない」


 老人は首を振った。


「だが、マルヘン町なら行ったことがある。そこには多くの物語の住人たちがいる。彼らなら知っているかもしれない」


 物語の住人たち…狼と同じような存在だろうか。


「マルヘン町まではまだ遠いのか?」


「徒歩なら丸一日はかかる」


 老人は言った。


「だが、運が良ければ…」


 彼は言葉を切り、遠くを見た。


「ちょうどいいところに」


 村の外れから、一台の馬車が近づいてきていた。

 荷物を満載した商人の馬車だ。


「ヤーコブ!」


 老人は手を振った。


 馬車を操る男性が手を振り返し、馬車を止めた。


「どうしたヨハン?」


「マルヘン町に向かう旅人がいるんだ」


 老人は狼を指さした。


「乗せていってやれないか?」


 男性は狼を見て、少し驚いたように目を見開いた。

 しかし、すぐに落ち着いた表情になった。


「構わないよ。荷物の隙間にならな」


 狼は老人に感謝の言葉を述べ、馬車に近づいた。


「本当にいいのか?」


「ああ」


 男性は頷いた。


「物語からの旅人は珍しくない。皆、同じような顔をしているよ」


 同じような顔?

 狼は疑問に思ったが、とにかく馬車に乗せてもらえるのはありがたかった。


 荷物の間に座り、彼は思った。

 この世界では、彼のような存在は珍しくないのかもしれない。

 物語の境界を越えた者たちが、他にもいるのだろう。


 馬車は揺れながら村を出て、再び道を進み始めた。


(つづく)

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