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忘れられた童話たちは、まだ終わっていない  作者: 水月 りか
第四章:鏡の向こうの真実
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第9話「影の書き手」

 闇には名前がある。

 それは静寂の中で囁かれ、

 忘却の淵から這い上がる。

 物語を捻じ曲げる者たちの

 黒い指先が紡ぐ歪んだ言葉を

 わたしは記録する。


 ーーーーーーーーーーーーーーーー


 図書館の扉をくぐった瞬間、私たちは息を呑んだ。目の前に広がる光景は、想像を遥かに超えていた。


 天井は見上げても終わりが見えないほど高く、そこから降り注ぐ光が全体を優しく照らしていた。無数の本棚が幾何学的に配置され、その間を縫うように階段や通路が張り巡らされている。本棚の高さは三階建ての建物ほどもあり、移動式のはしごが各所に設置されていた。


 そして、その中央には巨大なクリスタルが浮かんでいた。水晶のように透明で、しかし内側から虹色の光を放っている。


「物語のクリスタル……」

 継母がささやいた。

「すべての物語の源泉よ」


 オーロラは弱々しい足取りながらも、その美しさに魅了されていた。

「ここが……図書館」


 私たちは畏敬の念を抱きながら、中央へと歩みを進めた。床は大理石で、一歩踏むごとに小さな音が響く。そして、私たちの足音以外、図書館は完全な静寂に包まれていた。


「人がいないわね」

 エラが周囲を見回しながら言った。


「図書館の番人たちは……」

 継母が言いかけて口をつぐんだ。

「影の書き手たちに捕らわれているのかもしれない」


 グレイが本棚の一つに近づき、背表紙を読んだ。「これらは全て物語の原本なんだ」


 確かに、棚には『シンデレラ』『赤ずきん』『人魚姫』など、私たちが知る童話の名前が並んでいた。そして、それぞれの本は微かに輝いているように見えた。


「自分の物語を探さなくては」

 私は言った。


 まるで私の言葉に反応したかのように、五つのリボンが光り始めた。それぞれが異なる方向を指し示している。


「リボンが私たちを導いているわ」

 ラプンツェルが気づいた。


 私たちはリボンの導きに従って、それぞれの物語を探すことにした。しかし、図書館があまりに広大なため、みんなで一緒に行動することにした。


 最初に赤いリボン—私のリボンが最も強く反応した場所へ向かった。それは図書館の東側、高い本棚が並ぶ一角だった。


「あった!」

 私は『白雪姫』と書かれた本を見つけた。


 その本は他の本よりも輝きが弱く、表紙も色あせているように見えた。私はそっと手に取り、開いてみた。


 ページの一部が黒いインクで塗りつぶされ、書き換えられていた。私の継母が毒りんごではなく、毒の櫛を使ったことになっていた。そして、最後の結末も変わっていた。白雪姫と王子様の結婚式で、継母は炭火で焼かれた靴を履かされて死ぬのではなく、単に追放されることになっていた。


「これが影の書き手たちの仕業ね」

 私は言った。


 継母は沈黙の中で本を見つめていた。彼女の目には複雑な感情が浮かんでいる。彼女自身も自分の運命が書き換えられたことを知ったのだろう。


 次に私たちはエラのリボンに導かれ、『シンデレラ』の本を見つけた。こちらも同様に一部が書き換えられていた。ガラスの靴が銀の靴に変わり、シンデレラが物語から消されていた。


 ラプンツェル、グレイ、そしてオーロラの物語も同様だった。それぞれの本が一部書き換えられ、元の物語とは異なる結末が描かれていた。


「どうやって元に戻せばいいの?」

 オーロラが尋ねた。


 その時、突然図書館全体が揺れ始めた。本棚から数冊の本が落ち、床に散らばった。そして、天井から黒い影が降りてきた。


「影の書き手たち!」

 グレイが叫んだ。


 無数の黒い影が図書館内に現れ、私たちを取り囲み始めた。それらは人の形をしていたが、顔はなく、ただ黒い霧のようだった。そして、彼らの手には羽ペンが握られていた。


「遅すぎたようだな」


 低く響く声が図書館に満ちた。影たちの中から一人が前に出てきた。他の影よりも大きく、そしてより実体を持っているように見えた。


「首席書記官……」

 継母が身震いしながら言った。


 彼は黒いローブを着た高い男性で、顔はフードの陰に隠れていた。手には大きな羽ペンを持ち、その先から黒いインクが滴り落ちていた。


「鏡の女王、お前がそちらに付くとは思わなかったよ」

 首席書記官が言った。

「お前は我々の最も価値ある協力者だったのに」


 継母は怒りを抑えながら前に出た。

「私は二度と物語を歪めはしない」


 首席書記官は低く笑った。

「遅い。我々はすでに新たな章を書き始めている」


 彼が羽ペンを振ると、空中に文字が浮かび上がった。それは新たな物語の一節だった。


「『五人のリボンの持ち主たちは、図書館の中で力尽きた。彼らの物語は永遠に書き換えられ、二度と元に戻ることはなかった』」


 彼の言葉が実体化するかのように、私たちの周りの空気が重くなり、息苦しさを感じ始めた。


「これが物語の力……」

 グレイがつぶやいた。

「彼らは物語を書くことで現実を変えようとしている」


「させない!」

 私は叫び、リボンを高く掲げた。


 五つのリボンの持ち主全員が同時にリボンを掲げると、それらは強い光を放ち、黒い文字を押し返し始めた。


 首席書記官の表情が曇った。

「なるほど、リボンの力か……」


 彼は再び羽ペンを振り、さらに多くの黒い影を呼び寄せた。影たちは一斉に羽ペンを掲げ、空中に文字を書き始めた。


「もっと強く!」

 私は仲間たちに呼びかけた。


 五つのリボンの光が一つになり、大きな光の柱となって上昇した。その光は中央のクリスタルに到達し、クリスタルが虹色に輝き始めた。


「やめろ!」

 首席書記官が怒りの声を上げた。


 しかし、クリスタルの光は止まらず、図書館全体に広がっていった。その光が当たった本は元の輝きを取り戻し始め、黒いインクが消えていくのが見えた。


「みんな、自分の本を!」

 エラが叫んだ。


 私たちはそれぞれの物語の本に向かった。私は『白雪姫』の本を手に取り、リボンを本に当てた。リボンの光が本に吸収され、黒いインクが消え去っていく。


 同様に、エラ、ラプンツェル、グレイ、オーロラもそれぞれの本を手に取り、リボンの力で元に戻そうとしていた。


 首席書記官は激しい怒りを見せ、私たちに向かって突進してきた。

「許さん!我々の物語を壊すな!」


 彼の背後には無数の影の書き手たちが続いていた。彼らの羽ペンから黒いインクが飛び散り、私たちに襲いかかる。


 シャル王子と護衛たちが前に出て、私たちを守ろうとした。彼らの剣は影を一時的に押し返すことはできたが、完全に倒すことはできなかった。


「本を元に戻せば、彼らも消えるはず!」

 継母が叫んだ。


 私たちは必死に本を元に戻そうとした。リボンの力が徐々に効果を表し、ページ上の黒いインクが消え、元の文字が現れ始めた。


 しかし、首席書記官はあきらめなかった。彼は巨大な羽ペンを振り上げ、黒いインクの嵐を作り出した。インクは渦を巻き、私たちを飲み込もうとしていた。


「みんな、一緒に!」

 私は叫んだ。


 五人でリボンを一つにまとめ、その力を合わせた。リボンからは眩い光が放たれ、インクの嵐と衝突した。


 激しい光と闇の衝突。図書館全体が揺れ、本が棚から落ち、床に散乱した。それでも私たちは踏みとどまり、リボンの力を維持し続けた。


「もう少し……」

 ラプンツェルが歯を食いしばって言った。


 突然、クリスタルが強く脈動し、虹色の光が爆発的に広がった。その光は影の書き手たちを包み込み、彼らは悲鳴を上げながら後退した。


 首席書記官も光に押され、よろめいた。彼のフードが落ち、その顔が明らかになった。それは想像していたような恐ろしい顔ではなく、どこか悲しみを帯びた老人の顔だった。


「なぜだ……」

 彼はつぶやいた。

「なぜ元に戻そうとする?その結末は残酷だというのに」


 彼の言葉に、私たちは一瞬躊躇した。確かに、元の物語には残酷な結末もあった。悪役たちの悲惨な最期、そして時には主人公さえも悲しい運命を辿ることもある。


「それでも」

 私は強く言った。

「それが本来の物語。私たちはその中で生きることを選ぶわ」


 私の言葉に、他の四人も頷いた。


 リボンの光がさらに強まり、クリスタルと共鳴して図書館全体を包み込んだ。影の書き手たちは光の中で形を失い、消えていった。


 首席書記官も徐々に透明になっていった。最後の瞬間、彼は悲しげな表情で言った。「物語の結末を変えることはできないのか……」


 そして、彼も光の中に消えた。


 図書館は再び静寂に包まれた。落ちた本が元の棚に戻り、壊れた家具が修復され、すべてが元通りになっていった。


 中央のクリスタルは穏やかな光を放ち、その周りに五つの本が浮かんでいた。『白雪姫』『シンデレラ』『ラプンツェル』『赤ずきん』『眠れる森の美女』そして『人魚姫』。それぞれの本は元の輝きを取り戻し、黒いインクはすべて消えていた。


「私たちは成功したのね」

 エラが安堵の声を上げた。


「しかし、代償もある」

 グレイが静かに言った。


 彼は自分の物語の本を見つめていた。そこには、赤ずきんの物語の本来の結末が書かれていた—狼は最後に猟師に腹を裂かれ、死んでしまうことになっていた。


「それが……本当の結末」

 彼はため息をついた。


 他の者たちも自分の物語を見つめた。エラは義姉たちが罰を受ける場面、ラプンツェルは魔女に裏切られる場面、オーロラは百年の眠りから目覚めても両親はすでに死んでいる現実。そして私は、継母が炭火で熱した靴を履かされて踊り続け、死んでしまう結末。


 継母は静かに私の側に立っていた。彼女も自分の運命を受け入れる覚悟をしているようだった。


「これが本来の結末」

 彼女はささやいた。

「私はそれを受け入れる」


 私は彼女の手を取った。

「でも……」


「大丈夫よ」

 彼女は微笑んだ。

「物語には力がある。そして時に、物語は新たな章を作ることもあるわ」


 クリスタルが再び輝き、五つの本が私たちの前に浮かんだ。それらは開かれ、最後のページが現れた。そこには元の結末が書かれていたが、その下に新たな文字が現れ始めた。


『しかし、物語は続く。彼らの旅は終わりではなく、新たな始まりだった…』


「新しい章が始まるのね」

 ラプンツェルが希望を込めて言った。


 すると、クリスタルから一人の老人が現れた。彼は白い長い髭と優しい目をした老人で、黄金の羽ペンを持っていた。


「司書様!」

 継母が驚きの声を上げた。


「よく戻ってきた、物語の子供たちよ」

 司書は穏やかな声で言った。

「君たちの勇気が図書館を救った」


 彼は私たちに微笑み、クリスタルの前に立った。

「物語には力がある。そして、その力は時に新たな物語を生み出す」


 彼の羽ペンが金色のインクを流し、それぞれの本の最後のページに新たな言葉を書き加えた。


「物語の本来の結末は変えられない。しかし、新たな章を始めることはできる」


 彼の言葉通り、私たちの物語の本には続きが書かれていた。それは私たちがこれから歩む未来の可能性を示していた。


「行きなさい」

 司書は言った。

「君たちの物語はまだ終わっていない」


 私たちは感謝の言葉を述べ、図書館の出口へと向かった。扉の前で振り返ると、司書とクリスタル、そして無数の本たちが私たちを見送っていた。


 扉をくぐり抜けると、私たちは再びいばらの城に戻っていた。しかし、城の周りの茨は消え、美しい花園に変わっていた。


「さあ、行きましょう」

 私は仲間たちに言った。

「私たちの新しい物語を始めに」


 五人のリボンの持ち主たち、そして王子と護衛たちは、新たな冒険へと足を踏み出した。影の書き手たちとの戦いは終わり、そして私たちの本当の物語が今、始まろうとしていた。


(完)

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