第7話「最初の出会い」
偶然の出会いが
運命の糸を結びつけるとき
物語は新たな流れを生み出す。
異なる道から来た旅人たちが
初めて手を取り合う瞬間を
わたしは記録する。
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霧が私たちの周りを包み込んでいた。はじめは薄かったものの、山を登るにつれてどんどん濃くなり、今では数メートル先さえ見通せない状態だった。私とラプンツェルはマーカスの後に続き、彼の背中を目印に進んでいた。
「この霧、普通じゃない」
ラプンツェルが小声で言った。彼女の長く編んだ髪が湿気を含み、重そうに揺れている。
「魔法のようだわ」
私も同じことを感じていた。この霧には意思があるようで、まるで私たちを迷わせようとしているかのようだ。
「気をつけて」
マーカスが前から声をかけてきた。
「足元が見えないから」
彼の言葉通り、足元の岩場は滑りやすく、霧で濡れて危険だった。私は一歩一歩慎重に進み、時々立ち止まっては方向を確かめた。
「白雪姫……」
風のような囁きが聞こえた気がして、私は振り返った。しかし、霧の中には何も見えない。
「何かしら?」
ラプンツェルが私の表情の変化に気づいて尋ねた。
「声が聞こえたような……」
私は周囲を見回した。
「でも気のせいかもしれない」
再び前を向いて歩き始めようとした時、愕然とした。マーカスの姿が見えない。
「マーカス?」
私は呼びかけた。
「どこ?」
返事はなかった。
「まさか……」
ラプンツェルが不安そうな声を上げた。
「はぐれてしまったの?」
「マーカス!」
私は大きな声で呼んだが、霧に吸い込まれるだけだった。
私たちは立ち止まり、状況を把握しようとした。霧の中で方向感覚を失い、どちらへ進むべきか分からなくなっていた。
「リボンを使ってみましょう」
ラプンツェルが提案した。
私たちは二人でリボンを取り出した。最初は何も起こらなかったが、しばらくするとリボンが微かに光り始め、ある方向を指し示しているように見えた。
「あっちね」
ラプンツェルが言った。
リボンの導きに従って歩き始めた私たちだが、足元の道はますます険しくなっていった。急な斜面を登り、時に小さな崖を迂回しながら進む。
「エラたちはどうしているかしら」
私は心配になった。
「大丈夫よ」
ラプンツェルは励ますように言った。
「彼女も王子も強いわ」
さらに進むと、霧の中から奇妙な物音が聞こえてきた。何かが岩にぶつかる音、そして低いうなり声。
「誰かいるわ」
私はラプンツェルの腕をつかんだ。
二人で身を潜め、音の方向をうかがった。霧の向こうに人影が見える。一人ではなく、複数の人が何かの周りを取り囲んでいるようだった。
「影の書き手たちかしら?」
ラプンツェルがささやいた。
近づいて確かめるべきか迷っていると、突然大きな衝突音と共に叫び声が響いた。
「何なんだお前たちは!」
それは少年の声だった。
私とラプンツェルは顔を見合わせ、すぐに行動した。リュックから小人たちがくれた宝石箱を取り出し、赤い宝石—オコリの宝石を握りしめた。
「勇気を貸して」と祈ると、宝石が熱くなり、私の体に力が満ちてくるのを感じた。
ラプンツェルも自分の髪を解き、武器のように構えた。彼女の髪は不思議な力を持っているようで、意思を持って動くことができるらしい。
二人で霧の中へと踏み込んだ。
近づいていくと、状況が見えてきた。灰色の服を着た少年が岩場の端に追い詰められ、黒い影のような人影に囲まれていた。少年は小さなナイフで身を守ろうとしていたが、明らかに不利な状況だった。
「グレイ!」
ラプンツェルが叫んだ。
少年—グレイが振り返った。彼の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「ラプンツェル!」
私たちの姿に気づいた黒い影たちが一斉にこちらを向いた。彼らには顔がなく、ただ黒い霧のような形をしていた。影の書き手たちの手下に違いない。
「勇気を出して!」
私はオコリの宝石を掲げた。宝石から赤い光が放たれ、黒い影のいくつかが後退した。
ラプンツェルは髪を振るい、まるでムチのように黒い影に向かって伸ばした。彼女の金色の髪が影に触れると、影はその場で消えてしまった。
混乱に乗じて、グレイは岩場を飛び越え、私たちの方へと走ってきた。
「早く!」
彼は叫んだ。
「洞窟に隠れよう!」
彼の指す方向に小さな洞窟の入り口が見えた。三人で駆け込むと、グレイは素早く洞窟の入り口に何かの粉を撒いた。
「結界の粉だ」
彼は説明した。
「影は入ってこられない」
確かに、黒い影たちは洞窟の入り口で立ち止まり、中に入ろうとしなかった。しばらくうろつくようにして、やがて霧の中に消えていった。
「危なかった……グレイも無事でよかったわ。」
「けれど、他のみんなは……?」
ラプンツェルはため息をつきながらグレイに尋ねた。
「影の書き手に連れ去られた……」
グレイはうつむきながら言った。
ラプンツェルにそう告げてから、私に視線を向けた。
「君は……白雪姫?」
「ええ」
私は頷いた。
「リボンの持ち主の一人よ」
彼は灰色のリボンを胸ポケットから取り出した。「僕もだ」
三つのリボンが一度に反応し、洞窟内に明るい光を放った。私の赤、ラプンツェルの金、そしてグレイの灰色。それぞれが光を放ち、互いに呼応している。
「三つのリボンが揃った」
グレイは感嘆の声を上げた。
「あと一つだけだ」
「眠れるもりのお姫様のリボンね」
私は言った。
「お姫様はどこにいるんだろう?」
「わからない」
私は正直に答えた。
「でも彼女のリボンが必要なのは確かよ」
彼は少し考え込み、それから頷いた。
「そうだね。五つのリボンがなければ、図書館には入れない」
洞窟は幸いなことに奥まで続いておらず、暖かく乾いていた。三人は一息つき、これまでの経緯を話し合った。
グレイは自分の物語について語ってくれた。本来、彼は赤ずきんの物語で赤ずきんを食べてしまう狼だったはずだが、影の書き手たちが物語を書き換え、彼の物語から赤ずきんがいなくなってしまった。しかし、彼の生存は物語のバランスを崩し、彼は「物語のない存在」となってしまった。
「存在自体が曖昧になっていく」
彼は静かに言った。
「だから僕は図書館へ行かなければならない。本来の物語を取り戻すために」
「でも、それは……」
私は言葉を詰まらせた。
「本来の物語では、あなたは……」
「死ぬことになる」
グレイは平静に言った。
「知っているよ。でも、それが正しい結末なら」
彼の覚悟に、私は言葉を失った。自分の死を受け入れてまで、物語の正しい形を取り戻そうとする彼の勇気。
「エラはどこ?」
ラプンツェルが話題を変えた。
「別の道を調べているわ」
私は説明した。
「王子と護衛たちと一緒に」
「王子?」
グレイは驚いた様子で尋ねた。
「シャル王子よ」
ラプンツェルが答えた。
「エラの物語の王子様」
グレイは何か考え込むような表情をした。
「物語の主要人物たちが集まっているんだね」
「そうね」
私は頷いた。
「でも、私の王子様はまだ見つかっていないわ」
「私の王子も別の物語にいるわ」
ラプンツェルは少し寂しげに言った。
「きっと見つかるよ」
グレイは二人を励ました。
「物語が正しい形に戻れば」
洞窟の外では霧が少し薄れてきたようだった。安全を確認してから、三人は洞窟を出て、山頂を目指すことにした。
「エラたちとはどこで合流するの?」
ラプンツェルが尋ねた。
「山頂で」
私は答えた。
「そこで待ち合わせているの」
グレイが前を行き、私とラプンツェルがその後に続いた。彼は森や山の道に慣れているようで、安全な道を選んで進んでいく。
「影の書き手たちに追われていたのね」
私はグレイに尋ねた。
「ああ」
彼は頷いた。
「僕のリボンを奪おうとしていたんだ。彼らは五つのリボンが揃うのを恐れている」
「なぜ?」
「図書館が開かれると、彼らの力が弱まるから」
グレイは説明した。
「図書館には全ての物語の原本がある。その力は彼らの書き換えよりも強い」
「あなたは何か聞こえなかった?」
私は突然立ち止まった。
「風のような声」
グレイも足を止めた。
「聞こえるね……でもこれは……」
遠くから叫び声が響いてきた。複数の人の声だった。
「エラたち!」
白雪姫が声を上げた。
三人は声の方向へと走り出した。険しい山道を登り、岩場を越えていく。声はどんどん近づいてきた。
やがて小さな峡谷に出ると、そこで衝撃的な光景を目にした。エラと王子、そして一人の護衛が黒い影たちに囲まれていた。他の護衛の姿は見えない。
エラは青いリボンを高く掲げ、何とか影たちを寄せ付けないようにしていたが、疲れた様子だった。王子は剣で影たちを払いのけようとしていたが、剣が影を通り抜けてしまうようだった。
「助けに行くわ!」
私は叫んだ。
グレイが私の腕をつかんだ。
「待って。作戦を立てよう」
彼は素早く周囲を見回し、計画を立てた。私は再びオコリの宝石を使い、ラプンツェルは髪を武器に、グレイは特殊な粉を使って影たちを惑わせることになった。
「せーの!」
グレイの合図で、三人は一斉に動いた。
私はオコリの宝石を掲げ、赤い光で影たちの注意を引きつけた。ラプンツェルは峡谷の上から髪を伸ばし、エラたちの近くにいる影を払いのけた。グレイは霧のような粉を撒き散らし、影たちの動きを鈍らせた。
「こっちよ!」
私はエラたちに叫んだ。
エラは王子と護衛を促し、私たちの方へと走ってきた。彼らが安全な場所に到達すると、グレイは再び結界の粉を撒き、影たちを寄せ付けないようにした。
「無事で良かった」
エラは私たちを抱きしめた。
「他の護衛は?」
白雪姫が尋ねた。
王子の表情が曇った。
「影たちに連れ去られた……」
悲しい沈黙が流れた後、グレイが状況を整理した。「とにかく山頂を目指そう。そこなら安全なはずだ」
6人で再び山道を登り始めた。四つのリボンが揃ったことで、道は明確になり、霧も薄れていった。リボンたちは互いに呼応し、私たちを正しい方向へと導いてくれる。
「わたしたちが探している鏡の女王、彼女はどこにいるかわかってる?」
グレイが私に尋ねた。
「わからないわ」
私は答えた。
「でも、夢で見たの。彼女も山にいるみたい」
「夢?」
グレイは眉をひそめた。
「リボン同士は繋がっているのよ」
ラプンツェルが説明した。
「だから、白雪姫は彼女の存在を感じたのかもしれない」
山頂に近づくにつれ、景色が開けてきた。霧は完全に晴れ、青い空が広がっていた。そして遠くに、山の向こう側に何かが見えた。
「あれは……」
エラが声を上げた。
巨大な建物の輪郭がかすかに見える。何百もの塔を持ち、広大な敷地を持つそれは、まさに図書館と呼ぶにふさわしい壮大な建物だった。
「図書館だ」
グレイは声を震わせた。
「あと少しで……」
しかし、その言葉が終わらないうちに、突然の風が吹き荒れ始めた。激しい突風が山頂から吹き降ろし、私たちの体を押し戻そうとする。
「これは……」
王子が叫んだ。
風の中から人影が現れた。黒いドレスを着た美しい女性。私の心臓が高鳴った。
「継母……」
彼女は風の中に立ち、恐怖に満ちた表情で私たちを見ていた。そして彼女の後ろには、巨大な黒い影が迫っていた。影の書き手のリーダーに違いない。
「助けて……」
継母の声が風に乗って届いた。
「リボンを……守って……」
私は迷わず前に踏み出した。
「継母!」
グレイが私を引き止めようとしたが、私は彼の手を振り払った。四つのリボンを一つにまとめ、高く掲げる。それらは眩い光を放ち、風を切り裂くビームのようになった。
「来て!」
私は継母に向かって叫んだ。
彼女は一瞬躊躇し、それから決意の表情で黒い影から離れ、私たちの方へと走り出した。黒い影が彼女を追いかける。
「みんな、リボンを!」
私は仲間たちに呼びかけた。
四人のリボンの持ち主が一斉にリボンを掲げると、光の壁が生まれ、継母を守るように広がった。彼女はその光の中に駆け込んできた。
「白雪姫……」
彼女は私の前に立ち、震える手で白雪姫と対になる赤いリボンを差し出した。
「これを……」
私が手を伸ばそうとした瞬間、突然の爆発が起こり、私たちは吹き飛ばされた。
目が覚めると、私は山頂の平らな場所に横たわっていた。周りには他のリボンの持ち主たちや王子、護衛たちも倒れていた。そして、私の手の中には四つのリボンがあった。赤、青、金、灰。
「みんな、大丈夫?」
私は起き上がり、仲間たちを見回した。
一人ずつが意識を取り戻し、状況を把握し始めた。黒い影は消え、風も止んでいた。
「継母は?」
私は周囲を見回した。
彼女は少し離れた場所に横たわっていた。私は急いで彼女の側に駆け寄った。
「継母!」
彼女はゆっくりと目を開けた。
「白雪姫……」
「大丈夫?」
「ええ」
彼女は弱々しく微笑んだ。
「リボンは?」
「ここにあるわ」
私は四つのリボンを見せた。
継母は安堵の表情を浮かべた。
「良かった……」
他のリボンの持ち主たちも近づいてきた。彼らは継母を警戒しているようだったが、彼女の弱々しい姿を見て、表情が和らいだ。
「鏡の女王」
グレイが静かに言った。
「もう、そうではないの」
継母は答えた。
「私は単なる女王に過ぎない」
彼女は私に向き直った。
「許して欲しいとは言わないわ。私はあなたに酷いことをした。でも、物語を救いたい。それが私の贖罪の道」
私は長い間彼女を見つめた。憎しみ、恐怖、そして理解が入り混じる複雑な感情。しかし最終的に、私は彼女の手を取った。
「五つのリボンが必要なの。あなたも含めて」
継母の目に涙が浮かんだ。
四つのリボンを一つに束ねると、それらは輝き、まるで一つの大きなリボンになったかのようだった。そして突然、私たちの目の前に金色の道が現れた。山を下り、いばらのお城へ続く道だ。そこにきっと眠れる森のお姫様がいるはず。
「行きましょう」
私は言った。
「物語を取り戻すために」
リボンの持ち主四人、そして王子と護衛たちが金色の道を下り始めた。いばらの城はすぐそこだ。私たちの本当の結末、正しい物語が待っている。
そして、私は密かに思った—果たして本来の結末こそが、本当に望む結末なのだろうか?
(つづく)




