第6話「エラたちの遭難」
選ばれなかった道には
語られなかった物語が眠る。
運命の分かれ道で迷う者たちの
知られざる苦難と勇気を
わたしは記録する。
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東の山へ向かう道は予想以上に険しかった。平坦だった草原が徐々に起伏を増し、やがて岩だらけの厳しい山道へと変わっていった。私たち一行—私、エラ、シャル王子、そして三人の護衛たち—は黙々と前進していた。
「こんなに険しい道だとは思わなかったわ」
エラはため息をつき、少し足を引きずっていた。彼女の靴は明らかに山歩きには向いていなかった。
「大丈夫?」
私は水筒を彼女に差し出した。
「ありがとう」
エラは感謝の笑みを浮かべながら一口飲んだ。
「ガラスの靴よりはマシね」
そう言って小さく笑った。
シャル王子は先頭を歩きながら、絶えず周囲を警戒していた。
「この山には何か……違和感がある」
彼は眉をひそめて言った。
「まるで誰かに見られているようだ」
「影の書き手たちでしょうか?」
私は声を潜めて尋ねた。
「かもしれないな」
王子は頷いた。
「あるいは別の何かかも」
筋肉質の護衛マーカスが立ち止まり、前方を指差した。
「殿下、道が二つに分かれています」
確かに目の前で山道は左右に分岐していた。どちらも同じように頂上へと続いているように見えた。
「どちらを行くべきかしら?」
エラは不安そうに周囲を見回した。
私はリュックから小人たちがくれた光る鉱石を取り出した。
「これが教えてくれるかもしれない」
鉱石を両方の道に向けてみたが、特に反応はなかった。
「おかしいわ……」
「リボンは?」
エラが提案した。
私たちは二人でリボンを取り出したが、やはり特別な反応はなかった。
「困ったな」
王子は眉間にしわを寄せた。
「グレイたちはどちらを通ったのだろう」
地面を調べても足跡などの手がかりは見つからなかった。岩場では跡が残りにくいのだ。
「分かれて調べましょう」
マーカスが提案した。
「私と他の護衛で片方の道を探り、殿下と姫君たちはもう一方へ」
「危険すぎる」
王子は即座に反対した。
「影の書き手たちがどこで待ち構えているか分からない」
「でも時間がないわ」
エラは焦りを隠せない様子だった。
「グレイたちに追いつかなければ」
議論が続く中、私は空を見上げた。夕暮れが近づき、空が紫色に染まり始めていた。
「もうすぐ暗くなるわ」
私は提案した。
「まずは安全な場所で夜を過ごしましょう」
全員が同意し、私たちは左の道を少し進んで小さな平地を見つけ、そこにキャンプを設営した。護衛たちが手際よくテントを立て、王子が火を起こした。
夕食は乾パンと干し肉という質素なものだったが、一日中歩き詰めだった私たちには十分おいしく感じられた。炎を囲んで座り、明日の行動について話し合った。
「地図があればいいのに」
エラは膝を抱えながらつぶやいた。
「物語の交差点の老人が言っていたわ。山の向こうに図書館があるって」
私は思い出した。
「でも具体的な道筋は教えてくれなかった」
「私の国の伝説では」
王子が炎越しに私たちを見た。
「東の山には『記憶の泉』があると言われている。そこに行けば道が示されるとか」
「記憶の泉?」
私は思わず身を乗り出した。
「すべての物語の記憶が保管される場所だという」
王子は静かに説明した。
「ただの伝説かもしれないが」
「探してみる価値はあるわ」
エラは希望を込めて言った。
会話の途中、遠くから奇妙な音が聞こえてきた。女性の泣き声のようだった。
「聞こえる?」
私は声をひそめて尋ねた。
全員が息を殺して耳を澄ました。確かに、風に乗って女性の嗚咽が断続的に届いてくる。
「誰か助けが必要かもしれない」
エラは立ち上がった。
「罠の可能性も」
マーカスは警戒心を露わにした。
「影の書き手たちの策略かもしれません」
「でも、本当に誰かが困っていたら?」
私は言った。
王子は決断を下した。
「マーカス、私と来てくれ。他の二人はここで姫君たちを守れ」
「私も行きます」
私は強く主張した。
「小人たちからもらった魔法の宝石があります。何か役に立つかもしれない」
議論の末、エラは護衛二人と共にキャンプに残り、私と王子とマーカスで泣き声の方向へ向かうことになった。
夜の山道は暗く、松明の光だけを頼りに慎重に進んだ。泣き声は次第に大きくなり、やがて小さな谷間に出た。そこで私たちは一人の若い女性を見つけた。彼女は岩に座り込み、顔を両手で覆って泣いていた。
長い金髪と紫の服—どこか見覚えのある姿だった。
「大丈夫ですか?」
私は静かに声をかけた。
女性は顔を上げ、涙で濡れた顔で私たちを見上げた。彼女の目は驚きと恐怖で見開かれていた。
「助けて……私の髪が……」
彼女は震える声で言った。
近づいてみると、彼女の長い金髪が岩の割れ目に挟まって動けなくなっていた。
「ラプンツェル?」
思わず名前が口から出た。小人たちが話していたグレイと旅をしているはずの一人、彼女に違いなかった。
彼女は驚いた表情で私を見つめた。
「なぜ私の名を?」
「私は白雪姫」
自己紹介すると、彼女の目に認識の光が灯った。
「あなたも……図書館を目指しているのね」
「ええ」
私は頷いた。
「一緒に行きましょう。でも、まずあなたを助けないと」
王子とマーカスが協力して、慎重に彼女の髪を岩から解放した。ラプンツェルは安堵のため息をついた。
「ありがとう」
彼女は心から感謝した。
「何時間もここで身動きできなかったの」
「グレイは?」
私は周囲を見回した。
「一緒じゃないの?」
ラプンツェルの表情が曇った。
「はぐれてしまったの」
彼女は髪を整えながら説明した。
「山を登っている時、突然霧が現れて……気づいたら一人になっていた」
「霧?」
王子は眉をひそめた。
「ええ、不思議な霧よ」
ラプンツェルは続けた。
「中から声が聞こえたの。私の過去の声。塔にいた頃の……」
「迷いの森と同じね」
私は思わず身震いした。
「過去の幻が現れる」
「グレイを探していたら暗くなってしまって」
ラプンツェルは自分の髪を見た。
「それで髪が岩に挟まって」
「キャンプに戻りましょう」
私は提案した。
「エラも待っています。彼女もリボンの持ち主よ」
ラプンツェルは喜んで同意し、私たちは慎重に山道を引き返した。道中、彼女は自分の物語について話してくれた。
本来、塔に閉じ込められた彼女は王子に救われるはずだった。しかし影の書き手たちが物語を変え、王子は別の塔へと導かれてしまった。
「一人で塔から脱出したの」
ラプンツェルは静かに語った。
「そして海に出て、人魚姫の物語に迷い込んだわ」
「物語と物語の境界が曖昧になっているのね」
私は言葉に詰まった。
「影の書き手たちの仕業よ」
ラプンツェルは強い口調で言った。
「彼らは物語の力を奪い、すべてを書き換えようとしている」
キャンプに戻ると、エラはラプンツェルを見て歓声を上げた。二人は既に知り合いだったようだ。
「良かった、無事だったのね!」
エラは彼女を抱きしめた。
「グレイが見つからないの」
ラプンツェルは心配そうに言った。
「明日、一緒に探しましょう」
エラは彼女の手を取った。
夜が更けていく中、私たちは情報を共有し、明日の計画を立てた。四人のリボンの持ち主が揃った今、あとはグレイと眠れるもりのお姫様を見つけるだけだ。
ラプンツェルは金色のリボンを取り出し、私とエラのリボンと並べた。三つのリボンが反応し、微かな光を放った。
「私のリボンは人魚姫のマリナと対になっているみたい。色は少し違うけど……」
「残り二つが揃えば、図書館への道が開かれるわ」ラプンツェルは静かに言った。
「でも、眠りの森のお姫様はどこにいるのかしら」
私は不安を隠せなかった。
ラプンツェルは優しい目で私を見た。
「でも、五つのリボンが必要なのは確かなこと」
その夜、寝る前に私は星空を見上げていた。山の輪郭の上で星々が静かに輝いている。どこかでグレイも同じ空を見ているのだろうか。そして継母は……
目を閉じた瞬間、鮮明な映像が浮かんだ。鏡の向こうの継母の姿。彼女も山のどこかにいた。そして何かから逃げている。恐怖に満ちた表情で……
私は目を開いた。
「継母が危険に」思わず声に出していた。
単なる夢だったのか、それとも何か別のもの?リボンを通じた繋がりなのだろうか?
翌朝、私は皆に夢の内容を話した。
「鏡の女王が山にいるの?」
ラプンツェルは驚いて尋ねた。
「夢だったかもしれないけど、とても鮮明だったわ」
私は説明した。
「彼女は何かから逃げていた。怯えた表情で」
「影の書き手たちの罠かもしれません」
マーカスは疑いの目を向けた。
「でも、本当に助けが必要かもしれない」
エラは優しく言った。
「今日は二つの課題がある」
王子は決断を下した。
「グレイを見つけること、そして可能なら鏡の女王についても調べること」
「分かれましょう」
ラプンツェルが提案した。
「私とエラでグレイを、白雪姫と王子で鏡の女王を」
「危険すぎます」
マーカスは再び反対した。
議論の末、私とラプンツェルとマーカスが左の道を、エラと王子と残りの護衛が右の道を調べることになった。山の頂上で合流する約束をした。
「気をつけて」
別れ際、エラは私の手を強く握った。
「あなたも」
私は彼女を抱きしめた。
こうして二つのグループは別々の道へ向かった。私たちの旅はますます危険になっていくようだった。しかし四人のリボンの持ち主が見つかった今、希望も大きくなっていた。
鉱石とリボンを握りしめ、私は山道を上り始めた。グレイを見つけ、できれば継母にも会う。すべてのリボンが揃ったとき、図書館への道が開かれるはずだ。そして私たちは本当の物語を取り戻せる。
山の天候は変わりやすく、歩き始めてすぐに雲が頂上を覆い始めた。
「嵐が近づいています」
マーカスが空を見上げて警告した。
「急いだ方がいいでしょう」
私たちは足早に登り続けた。ラプンツェルの長い髪が邪魔にならないよう、私は彼女の髪を編んであげた。
「昔、小人たちがこうやって髪を編んでくれたの」
私は懐かしく思い出した。
「小人たち、会ってみたいわ」
ラプンツェルは微笑んだ。
「物語が戻れば、きっと会えるわ」
私はそう願いながら言った。
山を登りながら、私たちは物語について、過去について、そして希望について語り合った。影の書き手たちが何者なのか、なぜ物語を書き換えるのか—答えは図書館にあるはずだ。
そして私の心には継母への疑問も残っていた。彼女は本当に変わったのだろうか?私たちを救いたいと心から思っているのだろうか?
答えはまだ見つかっていなかったが、山頂に近づくにつれて何かが明らかになるという予感があった。次第に濃くなる霧の中、私たちは前進し続けた。
(つづく)