第2話「魔法の鏡」
映すものは真実か、見たいものか。
鏡の向こうには、語られなかった物語が眠る。
千の顔を映し、時に嘘をつく鏡よ。
あなたの真の姿を
わたしは記録する。
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朝日が窓から差し込み、私の目を覚ました。小人たちの家の小さなベッドの上で、しばらく天井を見つめる。本当に生きているのだと実感するために、自分の指先で頬に触れてみる。冷たかったはずの肌に温もりがあった。
「私は生きている……」
昨日の出来事が走馬灯のように思い出された。水晶の棺から目覚め、老婆と出会い、赤いリボンを手に入れたこと。そして小人たちの空き家を見つけ、彼らが残した手紙を読んだこと。
ベッドから起き上がり、窓辺に立った。森は静かで、木々の間から漏れる朝の光が美しかった。でも、この美しさの中にも何か違和感があった。私の知っている森とは少し違う。色も香りも、鳥のさえずりも。
「物語が書き換えられた…」と老婆は言った。私はまだその意味を完全には理解していない。
小さなテーブルに座り、小人たちが残しておいてくれた簡素な食べ物を食べながら、断片的な記憶を整理しようとした。
王宮での幼少期。父の死。継母の登場。そして、私が美しくなり始めた頃からの彼女の変化。
継母は美しかった。誰もが認める王国一の美女だった。彼女の部屋には大きな魔法の鏡があり、よく話しかけているのを見かけた。
「鏡よ、鏡。壁にかかった鏡よ。この国で一番美しいのは誰?」
鏡は必ず「あなたです、王妃様」と答えていた。
幼い私は、その美しさが羨ましかった。でも、同時に恐ろしかった。彼女の目には常に冷たい光があり、笑顔の奥には何か暗いものが潜んでいるように感じられた。
ある日、私が14歳になったとき、事態は急変した。王妃の部屋から怒りの叫び声が聞こえ、私は廊下に隠れて見ていた。
「嘘よ!」
彼女は鏡に向かって叫んでいた。
「どうして白雪姫が私より美しいの?彼女はまだ子供よ!」
その日から、王妃の私への視線はさらに冷たくなった。しばらくして、彼女は狩人を呼び、こう命じた。
「白雪姫を森に連れていき、殺しなさい。証拠として彼女の心臓を持ち帰りなさい」
私はその会話を偶然耳にして、恐怖に震えた。
狩人は私を森に連れていったが、殺すことができなかった。代わりに「逃げなさい、二度と戻ってはいけないよ」と言い、私を解放した。
それから私は森の中を彷徨い、やがて七人の小人たちの家を見つけた。彼らは親切に私を迎え入れ、共に暮らすようになった。
平和な日々は長く続かなかった。王妃は私がまだ生きていることを魔法の鏡から知り、自ら変装して森へやってきた。リンゴに毒を塗り、私にそれを食べさせたのだ。
一口かじった瞬間、世界が暗くなった。それが私の最後の記憶だった。
「物語では、王子様が来て私を目覚めさせるはずだった……」
老婆の言葉を思い出す。でも王子は現れず、私は棺の中で眠り続けた。誰かが物語を書き換えたのだ。
ポケットから赤いリボンを取り出して、光にかざした。「図書館へ」という刺繍が、朝日に照らされて輝いている。
「これが私を真実へと導くの……」
朝食を終えると、家の中を探索することにした。小人たちが残した物を調べれば、何か手がかりがあるかもしれない。
小さな本棚に並ぶ本の中から、一冊の古い日記を見つけた。ほこりをそっと払い、開いてみる。
「今日、姫が眠りについてから百年目の日を迎えた」
私は息を飲んだ。百年?私はそんなに長く眠っていたの?
さらに読み進めると、小人たちが私を守り続けた様子が記されていた。最初は毎日、次第に月に一度、そして年に一度だけ棺を訪れるようになったこと。物語が変わってしまい、彼らも次第に別の物語に引き戻されていったこと。
最後のページには、
「今日で最後の訪問となる。もう私たちが姫を守ることはできない。新しい守り手が現れることを願う」
と書かれていた。
日記を胸に抱きしめた。小人たちへの感謝と悲しみが胸を満たす。彼らは長い間、私を守ってくれていたのだ。
「みんな……ありがとう」
そのとき、何かが閃いた。もし私が百年も眠っていたのなら、継母はどうなったのだろう?彼女は物語の中で罰を受けるはずだった。でも、物語が書き換えられたなら…
急に寒気がした。継母もまた、物語が変わってしまったのだろうか?
小人たちの家をさらに探索していると、地下室への扉を見つけた。普段なら見落としてしまうような、床板の下に隠された小さな入り口だった。
恐る恐る扉を開け、小さな階段を降りていった。地下室は薄暗く、空気が淀んでいた。ランプを手に取り、周囲を照らす。
そこには大きな布に覆われた何かがあった。私は震える手で布を引き抜いた。
魔法の鏡だった。
「ここにあったの……」
継母の部屋にあった魔法の鏡とそっくりだった。どうして小人たちの家に?彼らが何らかの理由で持ってきたのだろうか?
恐る恐る鏡の前に立った。表面には薄い霜のようなものが張り、私の姿はぼんやりとしか映らなかった。
「鏡よ、鏡……」
言葉が自然と口から漏れた。でも、途中で止めた。これは魔法の鏡。継母が使っていたもの。危険かもしれない。
しかし、好奇心が私を駆り立てた。もし鏡が応えてくれるなら、真実を知る手がかりになるかもしれない。
勇気を出して、もう一度言葉を紡いだ。
「鏡よ、鏡。壁にかかった鏡よ。私の物語は、どう変えられたの?」
最初は何も起こらなかった。しかし、やがて鏡の表面が波打ち始め、霜が溶けていくように見えた。そして、うっすらと女性の顔が映り始めた。
それは私の顔ではなかった。
「継母……?」
映し出されたのは確かに継母の顔だった。しかし、私の記憶の中の高慢で美しい女性ではなく、疲れた表情で、目には悲しみが宿っていた。
「白雪姫……」
彼女の声が鏡から響いた。
「本当に目覚めたのね」
私は恐怖と混乱で一歩後ずさった。
「あなたはもう死んだはず……物語の中では、罰を受けたはず」
「物語は変わってしまったわ」
継母は悲しげに言った。
「私もあなたも、本来の結末を迎えられなかった」
「あなたが物語を変えたの?」
私は震える声で尋ねた。
継母は頭を横に振った。
「違うわ。影の書き手たちよ。彼らは物語の力を奪うために、結末を書き換えている」
「影の書き手?老婆も同じことを言っていたわ……」
「そうね。老婆はあなたにリボンを渡したでしょう?」
継母は尋ねた。
私は驚き、ポケットのリボンに手を当てた。
「どうして知っているの?」
「私も持っているからよ」
彼女はドレスの袖から赤色のリボンを取り出した。私のものと同じように「図書館へ」と刺繍されていた。
「あなたも?でも、あなたは私を殺そうとした……」
継母の目に痛みの色が浮かんだ。
「そうね。私は憎しみと嫉妬に心を奪われていた。それは否定しない。でも今は……物語が壊れ、私たちは正しい結末を迎えられなかった」
「あなたを信じられない」
私は正直に言った。
「当然よ」
継母は苦笑した。
「でも、私はあなたと対のリボンだけれど、五人のリボンの持ち主が集まらなければ、すべての物語は永遠に失われてしまう」
「五人?」
「そう。あなた、そして他の四人。彼らもまた、物語を書き換えられた者たち」
私は混乱していた。この鏡、継母、リボン、そして影の書き手たち。すべてが不思議で恐ろしかった。
「私は何をすればいいの?」
「北へ向かいなさい」
継母は言った。
「迷いの森を通り抜けて。そこで他のリボンの持ち主たちと出会うでしょう」
「でも、あなたは?」
「私は別の場所にいるの。この鏡を通してしか話せない。いずれあなたたちと合流するわ」
鏡の映像が揺らぎ始めた。継母の姿がぼやけていく。
「急いで……」
彼女の声が遠くなっていった。
「影の書き手たちも動き始めている。物語が完全に失われる前に……」
そして鏡は元の姿に戻り、私の反射像だけを映すようになった。
私は思わず鏡に手を伸ばしたが、冷たいガラスに指が触れただけだった。
地下室から戻り、王宮での記憶と今見たものを整理しようとした。継母は今、味方なのだろうか?それとも、これも罠なのか?
しかし、リボンの存在は確かだった。老婆も同じことを言っていた。図書館へ向かい、本来の物語を取り戻さなければならない。
決意を固め、旅の準備を始めた。小人たちの残した食料や水筒、小さなナイフをリュックに詰めた。
そして夕暮れ時、小人たちの家を後にする準備を整えた。玄関に立ち、振り返る。
「小人さんたち、ありがとう」
私は静かに言った。
「必ず戻ってくるから」
赤いリボンをしっかりと握り締め、私は小さな一歩を踏み出した。未知の世界へ、本来の物語を取り戻すための旅へ。
そして、百年の眠りから覚めた私の新たな冒険が始まった。
(つづく)