第6話「真実の告白」
物語の中の真実と、
現実の中の物語。
その境界が曖昧になるとき、
運命の糸は新たな編み目を作る。
わたしはその変化を記録する。
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「この下働きが靴を盗んでいたのです」
ヘレン女官長の声が書斎に響き、エラの背筋を冷たいものが走った。女官長の後ろには数人の警備兵が立ち、部屋の出口を塞いでいた。
「盗んだ?」
オスカー王子は冷静に答えた。
「それは違う、ヘレン。私が彼女に預けたのだ」
「しかし王子様」
ヘレンは一歩前に出た。
「この下働きは王家の秘密に関わるべきではありません。それに、靴を履いているではありませんか」
彼女はエラの足元を指さした。ドレスの裾からは、光り輝くガラスの靴が見えていた。
「ヘレン」
オスカーの声は厳しくなった。
「この件は私が取り扱う。あなたの懸念は理解できるが、今は下がってくれ」
「しかし、国王陛下は——」
「父上には私から説明する」
オスカーは言葉を遮った。
「今は、私たちに少し時間が必要だ」
ヘレンは明らかに不満だったが、王子の直接の命令には逆らえなかった。
「かしこまりました」
彼女は渋々と頭を下げた。
「しかし、国王陛下にはご報告いたします」
「構わない」
オスカーは頷いた。
ヘレンと警備兵たちが部屋を出て行くと、オスカー、エラ、マーサの三人だけが残された。
「あの女は諦めないでしょう」
マーサが静かに言った。
「国王陛下に直接訴えるはずよ」
「分かっている」
オスカーは深いため息をついた。
「だが、それまでに真実を解き明かす必要がある」
彼は再び母の本を手に取り、シンデレラの物語が書かれたページを開いた。
「この物語は、誰もが知っているものとは少し違う」
オスカーが読み始めた。
「『かつて、一人の少女がいた。継母と義理の姉たちによって使用人のように扱われていた彼女は、王子の舞踏会に行く機会さえ与えられなかった。しかし、彼女は宮殿で働く機会を得る。そこで彼女は王子のために働き、二人は互いに心を通わせ始める。
ある日、王子は妃を選ぶために特別な靴を作らせた。その靴は魔法の力を持ち、真の運命の相手にだけ合うように作られていた。多くの貴族の娘たちがその靴を試したが、誰も履くことができなかった。そして、宮殿の片隅で働く少女がその靴を試した時、完璧に合った。彼女こそが王子の運命の人だったのだ。』」
オスカーは読み終え、顔を上げた。
「この物語は、まさに今、私たちの身に起きていることだ」
エラは言葉を失った。
「これは……予言だったのですか?」
「いいえ」
マーサが静かに言った。
「これは物語が現実になったのよ。あるいは、現実が物語を追いかけているのかもしれない」
「でも、なぜ私なのでしょう?」
エラはまだ困惑していた。
「私は特別な人間ではありません。ただの下働きです」
「物語はしばしば、最も予想外の人を主人公に選ぶものだ」
オスカーは優しく言った。
彼は二つのリボンを並べて手に取った。エラの持っていた三つ目のリボンと、母の本から見つかった二つ目のリボン。
「これらのリボンには何か特別な力があるはずだ」
「王子様」
エラは勇気を出して尋ねた。
「たとえ靴が私に合ったとしても、王子の妃になどなれません。身分が違いすぎます」
「身分?」
オスカーは首を振った。
「それは重要ではない。物語が私たちを選んだのだ。その意味を見つけ出さなければならない」
彼は窓の外を見た。日が傾き始めていた。
「時間がない。父上がヘレンの報告を聞けば、すぐに私を呼びつけるだろう」
「どうすればいいのですか?」
エラは不安げに尋ねた。
オスカーはしばらく考え込み、決断したように顔を上げた。
「真実を話すんだ。すべてを」
「国王陛下に?」
マーサは驚いた様子で尋ねた。
「ああ」
オスカーは頷いた。
「父上は厳格だが、理解のある人だ。特に、母の遺志に関わることなら……」
彼は二つのリボンを大切にポケットにしまった。
「エラ、勇気を出してくれ。一緒に行こう」
エラは恐れを感じながらも、頷いた。
「はい、王子様」
マーサは彼らの背中を押すように言った。
「行きなさい。私も後で陛下にお話ししましょう」
三人は書斎を後にした。オスカーとエラは王の謁見の間へ向かい、マーサは別の用事があると言って別れた。
宮殿の廊下を歩きながら、エラの心は激しく鼓動していた。彼女は王に会ったことがなかった。そして今、ガラスの靴を履いたまま、王の前に立とうとしているのだ。
「怖がらないで」
オスカーは彼女を励ました。
「私がついている」
エラは感謝の眼差しを王子に向けた。
「王子様、どうしてそこまで私を……」
「不思議だろう?」
オスカーは微笑んだ。
「私自身も完全には理解していない。だが、キミに会った瞬間から、何か特別なものを感じていた。だから靴を預けたんだ」
彼らが謁見の間に近づくと、宮廷の人々が驚いた表情で二人を見つめた。王子と下働きの少女が並んで歩く光景は、前代未聞だった。
大きな扉の前で、オスカーは一度立ち止まり、エラの肩に手を置いた。
「準備はいいか?」
エラは深呼吸し、頷いた。
「はい」
扉が開き、彼らは中に入った。
広大な謁見の間の奥には、王が玉座に座っていた。
彼の横にはヘレン女官長が立ち、何やら話し込んでいた。
二人が入ってくると、王は顔を上げ、厳しい表情でオスカーを見つめた。
「息子よ」
王の声は低く響いた。
「説明してもらおうか」
オスカーは一礼し、エラも慌てて深く頭を下げた。
「父上」
オスカーは落ち着いた声で言った。
「これは私の責任です。靴はこの娘に預けました。そして……」
彼はエラの足元を指した。
「彼女に合ってしまったのです」
王は驚いた表情を見せた。
「あの靴が?誰にも合わないはずの?」
「そうです」
オスカーは頷いた。
「そして、これは偶然ではありません。母上の書斎で、私たちは何かを発見しました」
彼はポケットから二つのリボンを取り出し、王に示した。
王の表情が変わった。
「それは……」
「母のリボンです」
オスカーは言った。
「そして、この娘が持っていた三つ目のリボン」
王は玉座から立ち上がり、ゆっくりと二人に近づいた。
彼は威厳ある男性で、グレーの髪と厳格な表情をしていたが、今はその目に驚きと懐かしさが混ざっていた。
「三つ目のリボン……」
王は小さく呟いた。
「彼女の予言は本当だったのか」
「予言?」
オスカーは驚いた。
「そうだ」
王は二つのリボンをじっと見つめた。
「お前の母は臨終の際、私にこう言った。『五つのリボンが揃う日、忘れられた物語が蘇る。そして、王国に新たな希望が訪れる』と」
彼は顔を上げ、エラをじっと見た。
「そして、お前は第三のリボンの持ち主か」
「は、はい、陛下」
エラは震える声で答えた。
「老婆からいただいたものです」
「老婆?」
王は眉を上げた。
「舞踏会の夜に、宮殿で出会った人です」
エラは説明した。
「彼女は私にリボンをくれて、『物語を見に来た』と言っていました」
王はオスカーを見つめた。
「息子よ、お前はこの娘を妃にしようというのか?」
オスカーは迷うことなく答えた。
「はい、父上。彼女が靴に選ばれた以上、それが運命だと思います」
「しかし、彼女は平民だ」
ヘレンが割り込んだ。
「王妃としての教養も、身分も持ち合わせていません」
「それはどうだろうか」
静かな声が部屋の入り口から聞こえた。
振り返ると、マーサが立っていた。彼女の隣には、エラが驚くべき人物がいた。
彼女の継母だった。
「継母様?」
エラは驚いて声を上げた。
「なぜここに?」
継母は恐る恐る部屋に入ってきた。
彼女は普段の高慢な態度とは打って変わって、今は不安げな表情を浮かべていた。
「陛下」
マーサが言った。
「この方はエラの継母です。そして、彼女には言うべきことがあるようです」
王は頷き、継母に語るよう促した。
継母はエラに恐縮した様子で目を向け、それから王を見上げた。
「陛下、私は長年、真実を隠してきました」
彼女は深く息を吸った。
「エラは……平民ではありません。彼女の父は、かつて王国の貴族、アルフレッド・ド・ヴェルモント伯爵でした」
部屋中が静まり返った。
「ヴェルモント伯爵?」
王が驚いて言った。
「十年前に領地の争いで亡くなったあの?」
「はい、陛下」
継母は頷いた。
「私は彼の二番目の妻です。そして、彼の死後、借金を返すために領地を手放し、エラの貴族としての身分を隠したのです」
エラは言葉を失った。
「父が……貴族だった?」
「そうよ」
継母は初めて彼女をまっすぐに見た。
「あなたは正真正銘の貴族の娘。ヴェルモント伯爵家の最後の血筋よ」
「なぜ今まで黙っていたのですか?」
エラの声は震えていた。
「恥ずかしかったの」
継母は顔を伏せた。
「私の浪費が家を破滅させたこと、あなたから相続権を奪ったこと……」
オスカーはエラの手を取った。
「これで問題は解決したな、父上」
王は長い沈黙の後、頷いた。
「ヴェルモント家は古く尊い血筋だ。たとえ今は財産がなくとも、その血は尊重されるべきだろう」
彼はエラに近づき、彼女の顔をじっと見つめた。
「そして、お前の目には、かつて私の友人だったアルフレッドの面影がある」
エラは深く頭を下げた。
「陛下、私はただの……」
「もうただの下働きではない」
王は静かに言った。
「お前はヴェルモント伯爵家の娘であり、そして五つのリボンの持ち主の一人だ」
彼はオスカーに向き直った。
「息子よ、私はお前の選択を認めよう。だが、結婚の前に、残りのリボンを見つけ出し、忘れられた図書館の謎を解き明かすのだ」
オスカーは喜びに満ちた表情で頷いた。
「ありがとうございます、父上」
ヘレンは明らかに不満そうだったが、王の決断には逆らえなかった。
彼女は冷たい視線をエラに投げかけ、静かに部屋を後にした。
「エラ・ド・ヴェルモント」
王は厳かに言った。
「今日から、お前は王宮の賓客として扱われる。継母と義理の姉妹たちもここに迎え入れよう」
エラは頭を下げた。
「ご厚意に感謝します、陛下」
部屋を出ると、オスカーはエラの手を取った。
「驚いたか?」
「夢のようです」
エラは呟いた。
「私が貴族の娘だなんて……そして、王子様の……」
彼女は言葉に詰まった。
「物語は時に、最も予想外の展開を見せるものだ」
オスカーは微笑んだ。
「だが、これはまだ始まりに過ぎない。残りのリボンを見つけ、図書館の秘密を解き明かさなければならない」
エラは頷いた。
「そして、他のリボンの持ち主たちに会うのですね」
「ああ」
オスカーは言った。
「彼らもまた、私たちと同じように運命に導かれているはずだ」
夕暮れの光が宮殿の窓から差し込み、二人の姿を黄金色に照らしていた。
物語は新たな章へと進み、エラの足元のガラスの靴は、まるでそれを祝福するかのように、柔らかな光を放っていた。
(つづく)




