第4話「王子の探索」
物語の道具立ては時に、
主役を選び、運命を導く。
本来の役割を離れ、
新たな役目を担うとき、
わたしはその軌跡を記録する。
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靴の試着の日が来た。
朝から宮殿全体に緊張感が漂っていた。
特に女性たちは、自分の番が来るのを今か今かと待ちわびていた。
エラは厨房で早朝から働き始めたが、同僚たちが通常のように仕事に集中できないことに気づいた。皆、王子の靴の話で持ちきりだった。
「私の足は小さいから、きっと履けるわ」
「いいえ、私の方が細いのよ」
「でも、あんな透明な靴、本当に履ける人がいるの?」
エラは黙って耳を傾けながら、野菜を切り続けた。
彼女だけが真実を知っていた—本物の靴は自分の部屋に隠してあること、そして王子が見せている靴は複製であること。
「エラ、あなたも試すの?」
同僚のルーシーが尋ねた。
「ええ、呼ばれれば」
エラは曖昧に答えた。
「みんな呼ばれるわよ」
ルーシーは興奮気味に言った。
「王子様は『すべての女性に』と言ったもの」
午前中、貴族の娘たちの試着が始まった。
まず、舞踏会に招かれた家柄の良い娘たちが謁見の間に集められた。
そこで王子と侍従たちが儀式のように靴の試着を行っていた。
エラたち厨房の使用人は、貴族たちのための飲み物や軽食を運ぶために何度か謁見の間を訪れた。そのたびに、エラは様子を窺うことができた。
オーロラ公爵令嬢、マルグリット伯爵令嬢、エラの継姉妹たち…
貴族の娘たちは次々に靴を試したが、誰も履くことができなかった。
ある者は足が大きすぎ、ある者は細すぎた。完璧に合う者はいなかった。
オスカー王子は礼儀正しく対応していたが、エラには彼の演技が見て取れた。「残念です」「次の方、どうぞ」と言いながらも、彼の目には安堵の色が浮かんでいた。
昼過ぎ、ようやく宮殿の使用人たちの番が来た。
「厨房の女性たち、順番に謁見の間へ」
ヘレン女官長が呼びに来た。
少女たちは興奮して並び始めた。
「まるで夢みたい」
「私たちの中から王妃が選ばれるかもしれないのよ」
「王子様、素敵だわ…」
エラは最後尾に並んだ。
彼女の心は複雑だった。王子の計画を知っていながら、この茶番に参加することに後ろめたさを感じていた。
一人また一人と、女性たちは謁見の間に入り、失望した顔で出てきた。
やがて、エラの順番が来た。
「次の方」と侍従が呼んだ。
エラは深呼吸し、謁見の間に入った。
オスカー王子は少し疲れた様子で椅子に座っていたが、彼女を見ると、わずかに表情が和らいだ。
「名前は?」
侍従が形式的に尋ねた。
「エラです」
彼女は静かに答えた。
「さあ、お座りなさい」
侍従は彼女に椅子を示した。
エラは座り、足を前に出した。
彼女の足は小さく、細かった。
厨房での労働で荒れてはいたが、形は整っていた。
侍従が靴を持ってきて、彼女の足に合わせようとした。
エラは一瞬、緊張した。
もし、この複製の靴が彼女に合ってしまったら?
しかし、王子の言葉を思い出し、彼女は少し安心した。「誰も履けないように作られた靴」だと。
侍従が靴を彼女の足に当てると、確かに大きすぎた。
「残念ながら、合いませんね」
侍従は言った。
「試着をありがとう、エラ」
オスカー王子は公式の口調で言った。
しかし、その目には秘密の理解が宿っていた。
エラは一礼し、部屋を出た。
廊下で、彼女は安堵のため息をついた。
計画通りに進んでいた。
その日の試着は、夕方までに終了した。
結果は明らかだった—宮殿内の誰一人として、その靴を履くことができなかったのだ。
「明日から、町へ出向いて探索を続けます」
オスカー王子は宣言した。
「私は必ず、この靴の持ち主を見つけてみせる」
国王は少し不満そうな表情を見せたが、息子の決意に反対はしなかった。
「早く見つかることを願うぞ」
宮殿は再び通常の活動に戻ったが、空気は依然として期待と噂で満ちていた。
女性たちは落胆しながらも、「町のどこかにその靴の持ち主がいる」という話で盛り上がっていた。
エラは夕食の片付けを終え、自分の部屋へと戻った。
扉を開けると、彼女は動揺して足を止めた。
部屋は荒らされていた。ベッドのシーツは引きはがされ、小さな箪笥の引き出しは開け放たれていた。
「誰が……」
彼女は急いでベッドの下を確認した。
ガラスの靴の箱は、幸い無事だった。
彼女がそれを取り出してチェックしていると、後ろで声がした。
「何を隠しているの、エラ?」
振り返ると、ヘレン女官長が立っていた。
「ヘレン様!」
エラは驚いて立ち上がった。
「これは……」
「私の質問に答えなさい」
ヘレンの声は厳しかった。
「あなたは何を隠しているの?」
エラは箱をしっかり握りしめた。
「私物です。大事なものなので……」
「見せなさい」
ヘレンは命令した。
エラは困惑した。箱の中身を見せるわけにはいかない。
「申し訳ありませんが、これは私的なものです」
「宮殿内ではプライバシーは限られているのよ」
ヘレンは一歩近づいた。
「特に、王子様と秘密の会話をしている者にはね」
エラの心臓が飛び跳ねた。
「あなたは……見ていたのですか?」
「宮殿には壁に耳があるのよ」
ヘレンは冷たく言った。
「さあ、箱を開けなさい」
エラは後ずさりした。
「できません。王子様から……」
「王子様から?」
ヘレンの目が鋭くなった。
「あなたと王子様の間に、何があったの?」
まさにその瞬間、部屋の扉が再び開いた。
「ここにいたのか、ヘレン」
オスカー王子が立っていた。
「王子様!」
ヘレンは驚いて一礼した。
「何をしている?」
オスカーは静かに、しかし権威ある声で尋ねた。
「私は……」
ヘレンは言葉に詰まった。
「宮殿の秩序を維持するために、使用人の部屋を検査していました」
「私の許可なく?」
オスカーの声は冷たかった。
「申し訳ありません」
ヘレンは頭を下げた。
「しかし、この少女が何か隠しているように思えて……」
「エラは私の信頼する者だ」
オスカーは言った。
「彼女の部屋に入るなら、まず私に相談すべきだった」
ヘレンは明らかに混乱していた。
「王子様、この下働きと何の関係が……」
「それは私の問題だ」
オスカーは言った。
「今は下がってくれ、ヘレン」
女官長は不満そうな表情を浮かべたが、命令に従った。
「かしこまりました」
彼女が部屋を出ると、オスカーはドアを閉め、エラに向き直った。
「大丈夫か?靴は?」
「はい」
エラは箱を示した。
「無事です」
オスカーは安堵の表情を見せた。
「すまない。ヘレンが疑いを抱いているとは思わなかった」
「どうして知ったのですか?ここに来られたのはなぜ?」
エラは尋ねた。
「偶然だ」
オスカーは説明した。
「私は靴の試着の後、少し考えごとをしていて廊下を歩いていた。そのとき、ヘレンが使用人の部屋に忍び込むのを見たんだ」
彼は部屋を見回した。
「荒らされてしまったね。すまない」
「いいえ」
エラは首を振った。
「大切なものは無事です」
オスカーは安心したように微笑んだ。
「明日から私は町へ出向く。数日間は宮殿を離れることになる」
「靴の持ち主を探すふりをするのですね」
エラは言った。
「そう」
オスカーは頷いた。
「できるだけ時間を稼ぎたい。そして……」
彼は言葉を切った。
「何か見つかるかもしれない」
「何を?」
「答えだ」
オスカーは静かに言った。
「なぜ私がこの計画を思いついたのか。なぜ靴が重要なのか」
エラは不思議に思った。
「王子様自身もご存知ないのですか?」
「直感だけだ」
オスカーは認めた。
「靴を作らせた時から、これが何か重要な意味を持つと感じていた。でも、それが何なのかはまだ分からない」
エラはリボンのことを思い出した。
「王子様……これをご覧になりますか?」
彼女はポケットから赤いリボンを取り出した。
「先日、老婆からもらったものです」
オスカーはリボンを手に取り、じっと見つめた。
「図書館へ……」彼は刺繍の言葉を読んだ。
彼の表情が変わった。
「このリボン……どこかで見たことがある」
「見たことが?」
エラは驚いた。
「子供の頃、城の古い部屋で」
オスカーは記憶を辿るように言った。
「私の母が持っていた本に、似たようなリボンが挟まれていた」
「お母様?」
「ああ」
オスカーの表情が柔らかくなった。
「彼女は私が小さい頃に亡くなった。でも、彼女は多くの本を読み、物語を愛していた」
彼はリボンをエラに返した。
「これは大切にしておくといい。意味があるはずだ」
「はい」
エラはリボンをポケットに戻した。
「私が不在の間、靴を安全に保管していてくれ」
オスカーは言った。
「そして、ヘレンには気をつけて。彼女は何か勘づいているようだ」
「分かりました」
エラは頷いた。
オスカーは去る前に、もう一度彼女を見つめた。
「エラ、なぜ私がキミを信頼しているのか、自分でも完全には理解していない。でも、キミは特別な存在だ。それだけは確かだ」
彼は静かに部屋を出て行った。
エラは一人残され、窓から夕暮れの空を見つめた。
ガラスの靴と赤いリボン。
王子の秘密と彼女の役割。
すべてが不思議な糸で繋がっているようだった。
「私は特別な存在?」
彼女は呟いた。
「でも、どういう意味で……」
翌朝、オスカー王子は侍従たちを率いて宮殿を出発した。
彼らは王国中を回り、靴の持ち主を探す旅に出た。
宮殿は少し静かになり、日常の業務に戻っていった。
エラは通常通り厨房で働いたが、ヘレン女官長の視線を常に感じていた。
彼女は警戒しながらも、靴を安全に保管しておくことに全力を注いだ。
数日が過ぎ、王子からの知らせが届いた。
まだ靴の持ち主は見つからないという報告だった。
宮殿内では、この探索がいつまで続くのかという噂が広まり始めていた。
「このままでは、王子様は一生結婚できないわ」
「いっそ諦めて、貴族の娘から選べばいいのに」
「本当にその靴の持ち主なんているのかしら」
エラはそれらの会話を聞きながら、自分の役割について考えていた。
彼女はただの道具だったのか、それとも何か大きな物語の一部だったのか。
ある夜、エラは部屋で靴を眺めていた。
月明かりに照らされたガラスの靴は、美しく輝いていた。
「一度、試してみようかな……」
彼女は思わず靴を手に取った。
王子の言葉が頭に浮かんだ。
「誰も履けないように作られた靴」
しかし、好奇心に駆られて、彼女は靴を自分の足に当ててみた。
彼女は靴を滑らせ……
「まさか……」
靴は完璧に合った。
まるで彼女のために作られたかのように。
エラは驚愕して立ち上がった。
靴は彼女の足にしっかりとはまり、光を放ち始めた。
ポケットのリボンも同時に輝き出した。
「どういうこと?」
彼女は混乱した。
「王子様は誰も履けないと言ったのに……」
そのとき、廊下から急いだ足音が聞こえた。
誰かが彼女の部屋に向かって来ているようだった。
エラは慌てて靴を脱ごうとしたが、それは彼女の足にぴったりとくっついてしまい、外れなかった。
「どうしよう……」
ノックの音が響いた。
「エラ、開けなさい」
ヘレン女官長の鋭い声だった。
エラの心臓が激しく鼓動した。
運命の時が来たのかもしれない。
(つづく)




