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忘れられた童話たちは、まだ終わっていない  作者: 水月 りか
第二章:泡にならなかった人魚姫
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第4話「港町での出来事」

 物語の岸辺には様々な人が集まる。

 海から来た者、森から来た者、そして物語と現実の狭間で生きる者たち。

 交差点となる港町では、物語の糸がさらに絡み合う。

 わたしはその織物を記録する。


 ーーーーーーーーーーーーーーーー


 朝の光が窓から差し込み、グレイは目を覚ました。

 一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。船の揺れに慣れた体には、静かな宿の部屋が不思議に感じられた。


「陸地に着いたんだ…」

 彼は思い出し、ゆっくりと起き上がった。


 窓から見える景色は、朝の活気に満ちた港町だった。

「シーシェル港」と呼ばれるこの町は、歌う海と迷いの森を結ぶ交易地点として栄えていた。

 通りは早くから人々で賑わい、市場では商人たちが声を張り上げて商品を売っている。


 グレイは着替えを済ませ、宿の食堂に降りていった。

 仲間たちはすでに集まっており、朝食を取りながら今後の計画を話し合っていた。


「おはよう、グレイ」

 すでに降りてきていたラプンツェルが、明るく声をかけた。


「おはよう」

 彼も挨拶を返し、席に着いた。

「何か決まった?」


「うん」

 ハインリヒが地図を広げながら言った。

「ジェイムズさんによれば、この町から迷いの森までは二日程の道のりみたい。その間に必要な物資を揃えないといけないの」


「それから」

 エルザが付け加えた。

「この町について情報を集めた方がいいわ。特に最近の出来事や、物語の変化について」


「物語の変化?」

 グレイは興味を示した。


「そう」

 ティモシーが説明した。

「宿の主人から聞いたんだけど、この町でも最近、奇妙なことが起きているらしい。人々の記憶が変わったり、建物が突然現れたり消えたりしているんだ」


「影の書き手の仕業かもしれないわね」

 ラプンツェルが心配そうに言った。


 朝食を終えた彼らは、町を探索することにした。

 まずは必要な物資を揃えるため、市場に向かった。

 乾パン、乾燥果物、水筒、そして森での野営に必要な道具。

 ジェイムズからもらった地図には、迷いの森の入り口までの道は示されていたが、森の中の道は空白だった。

「誰も行ったことがなくて、正確な地図を作れなかったからな」

 彼は言っていた。


 市場は色とりどりの商品と多様な人々で溢れていた。

 漁師、商人、旅人、そして…グレイの目は一人の少女に止まった。

 赤い頭巾を被った少女。


「赤ずきん…?」

 彼は思わず呟き、少女の方へ足を進めた。


 しかし、少女が振り返った瞬間、彼は落胆した。

 似ていたが、赤ずきんではなかった。

 少女はグレイの様子に不思議そうな顔をし、すぐに母親の元へと駆け寄った。


「どうしたの?」

 ラプンツェルが彼に近づいた。


「いや……」

 グレイは首を振った。

「ちょっと見間違えただけ」


 彼らは買い物を続け、必要な物資をすべて揃えた。

 皆でその費用を分担し、残りのお金で情報収集をすることにした。


「町の広場に行ってみよう」

 ハインリヒが提案した。

「そこなら多くの情報が集まるはずだ」


 シーシェル港の中心部には小さな広場があり、そこには噴水と古い時計台が建っていた。

 広場の周りには酒場、書店、雑貨屋などが並び、多くの人々が行き交っていた。


 彼らは広場のベンチに座り、周囲の様子を観察した。

「どうやって情報を集めればいいんだろう?」

 ティモシーが小声で尋ねた。


「話を聞かせてくれそうな人を探すんだ」

 ハインリヒが答えた。

「特に、物語に詳しそうな人がいいな」


 彼らが考えていると、広場の片隅で小さな人だかりができているのに気がついた。

 何人かの子どもたちが集まり、一人の老婆の話に聞き入っていた。


「あの人は…」

 エルザが指さした。

「物語を語っているみたいね」


 彼らは近づいて、老婆の話に耳を傾けた。

「昔々、海の底に美しい王国がありました」

 老婆は語り始めた。

「そこには人魚たちが住んでいて、最も美しい王女がいました…」


 人魚姫の物語だった。

 しかし、グレイが知るバージョンや、マリナが語った実際の出来事とは少し違っていた。


「王女は王子に恋をして、魔女と取引をし、人間の姿になりました」

 老婆は続けた。

「しかし、王子は別の女性と結婚し、王女は海の泡になってしまいました」


 マリナの実際の運命は違っていた。彼女は泡にならず、海に戻り、魔女の弟子になったのだ。

 グレイは思わず口を開きかけたが、ラプンツェルが彼の腕を軽く掴んで止めた。


「話が終わるまで待ちましょう」

 彼女は囁いた。


 老婆は話を終え、子どもたちは拍手をした。

 人々が散り始めたところで、グレイたちは老婆に近づいた。


「素晴らしい語りでした」

 ハインリヒが声をかけた。


「ありがとう」

 老婆は微笑んだ。

「年寄りの楽しみはね、物語を次の世代に伝えることさ」


「あなたは他にも物語をご存知なんですか?」

 グレイが尋ねた。


「もちろん」

 老婆は誇らしげに言った。

「私は50年以上、物語を集めてきたんだよ」


「では、この町で起きている奇妙な出来事についてもご存知ですか?」

 エルザが慎重に質問した。

「物語が変わっているという噂について」


 老婆の表情が変わった。

「あなたたちは…普通の旅人じゃないね」

 彼女は鋭い目で彼らを見つめた。

「物語の変化に気づく者たち…」


「私たちも物語から来たんです」

 ラプンツェルが静かに告白した。


 老婆は周囲を見回し、「ここでは話せないよ」と言った。

「私の家においで。話すことがたくさんある」


 彼女は杖をつきながら、広場を離れた。

 グレイたちは互いに顔を見合わせ、彼女について行くことに決めた。


 老婆の家は港から少し離れた小さな丘の上にあった。

 質素だが、清潔に保たれた小さな家。

 壁には様々な地図や絵、そして古い書物が並べられていた。


「さあ、座りなさい」

 老婆は彼らにお茶を出した。

「私はエレナと言います。かつては『旅する語り部』として知られていました」


 彼らも順番に自己紹介をした。

 グレイは赤ずきんと狼の物語から、ラプンツェルは塔の物語から、ハインリヒは月への旅人の物語から、エルザは氷の心の物語から、そしてティモシーは親指小僧の物語から来たことを説明した。


「なるほど」

 エレナは頷いた。

「あなたたち全員、物語が書き換えられた被害者なのね」


「はい」

 グレイは答えた。

「私たちは図書館を探しています。すべての物語の真実が記されている場所を」


 エレナはしばらく黙っていたが、やがて立ち上がり、古い箪笥から一冊の本を取り出した。

「これを見てごらん」


 それは手書きの記録帳だった。

 ページをめくると、様々な物語の変化が記録されていた。

「私は長年、物語の変化を記録してきました」

 エレナは説明した。

「最初は小さな変化だったの。結末が少し違ったり、登場人物の名前が変わったり」


 彼女はさらにページをめくった。

「しかし、約10年前から、変化はより激しくなりました。物語全体が書き換えられ、時にはキャラクターが完全に消えることもある」


「影の書き手たちの仕業ですか?」

 ハインリヒが尋ねた。


「そう呼ばれる者たちね」

 エレナは重々しく頷いた。

「彼らは物語の力を操る存在。どこから来たのか、何の目的があるのかは分からないけれど、すべての物語を支配しようとしているようだ」


「彼らを止める方法は?」

 グレイが聞いた。


「図書館への扉を開くしかない」

 エレナは答えた。

「物語の源泉に直接アクセスできれば、書き換えを元に戻せるかもしれない」


 グレイはポケットからリボンを取り出した。

「これについて、何かご存知ですか?」


 エレナは驚いた顔でリボンを見つめた。

「それは…鍵の一つね」


「知っているんですか?」


「伝説として聞いたことがある」

 エレナは言った。

「五つのリボン、五つの物語、そして一つの図書館。五つのリボンが揃えば、扉が開くと」


「私たちはすでに二つ見つけました」

 グレイは説明した。

「一つは私のもの、もう一つは人魚姫マリナが持っていた」


「マリナ?」

 エレナは驚いた様子だった。

「彼女にも会ったのですか?」


「はい」

 グレイは頷いた。

「歌う海で。彼女は泡にならず、魔女の弟子になったと言っていました」


 エレナはしばらく考え込んだ。

「それで物語が変わったのね…」

 彼女は呟いた。

「本来は泡になるはずだった人魚姫が、別の道を歩んでいる」


「あなたは他のリボンについて何か知っていますか?」

 ラプンツェルが尋ねた。


「確かなことは言えないが」

 エレナは言った。

「都市伝説によれば、三つ目のリボンは『ガラスの靴』と関係があるとされている」


「シンデレラの物語?」

 エルザが目を見開いた。


「そうだろうね」

 エレナは頷いた。

「でも、その物語も変わってしまったようだ。最近、ある噂を聞いたんだ。王子がガラスの靴の持ち主を探しているが、シンデレラは見つからないという」


「まさに私たちが次に向かうべき場所かもしれません」

 ハインリヒが興奮した様子で言った。


 彼らはエレナからさらに情報を得た。

 シーシェル港から二日かかる迷いの森の向こうには、クリスタル王国という国があるという。

 そこでは王子がガラスの靴の持ち主を探し続けているらしい。

 しかし、その王子も物語の書き換えに気づいているかどうかは分からなかった。


「迷いの森についても警告しておく」

 エレナは真剣な表情で言った。

「あそこは物語が混ざり合う場所。自分の物語を見失わないように気をつけなさい」


「どういう意味ですか?」

 ティモシーが尋ねた。


「迷いの森では、時に人は別の物語に引き込まれる」

 エレナは説明した。

「気がつけば、自分が何者だったかを忘れ、別のキャラクターになっていることもある」


 その警告に、全員が身を引き締めた。


「一つアドバイスを」

 エレナは続けた。

「物語の力が強い場所では、象徴となるものを持っていると良い。あなたの場合は」

 彼女はグレイを見た。

「そのリボンがあなたの錨になるでしょう」


 彼らはエレナに感謝し、出発の準備をすることにした。

 しかし、エレナは彼らを引き止めた。


「もう一つ」

 彼女は言った。

「この町にも、影の書き手の手下がいるかもしれない。用心することね」


 彼らは頷き、エレナの家を後にした。

 夕方になりかけており、港町には薄暗い影が落ち始めていた。


「今晩は宿に戻り、明日出発しよう」ハインリヒが提案した。


 彼らが宿に向かう途中、グレイは不思議な感覚に襲われた。

 まるで誰かに見られているような感覚。

 彼は振り返ったが、通りには普通の人々しか見えなかった。


「どうしたの?」

 ラプンツェルが彼の様子に気づいた。


「いや…」

 グレイは首を振った。

「気のせいかもしれない」


 宿に戻り、夕食を取りながら、彼らは明日の計画を立てた。

 早朝に出発し、できるだけ日が高いうちに迷いの森に近づく。

 そして、森の手前で一泊し、翌日、迷いの森に挑むことにした。


「皆、十分に休むように」

 ハインリヒは言った。

「明日からは厳しい旅になるだろう」


 食事を終え、それぞれの部屋に戻る途中、グレイは宿の裏口が開いているのに気がついた。

 不審に思い、近づいてみると、小さな足音が聞こえた。

 誰かが出ていったようだ。


 好奇心に駆られ、彼は後を追った。

 月明かりの下、彼は小さな影が港の方へ急いで行くのを見た。


「あれは…」


 赤い頭巾を被った少女だった。

 昼間、市場で見かけた少女だ。


 グレイは少女を追いかけた。

 港に着くと、少女は人気のない桟橋へ向かった。

 そこには一人の男が立っていた。

 男は黒い長いコートを着て、顔は帽子の陰に隠れている。


 グレイは物陰に身を隠し、二人の会話を聞こうとした。

 しかし、距離があり、断片的にしか聞こえなかった。


「…見つかりました…」

 少女の声。

「…リボンの持ち主たち…」

 男の低い声。

「…森の向こうに…」

「…急いで報告を…」


 グレイの心臓が早鐘を打った。

 彼らのことを話しているのだろうか?


 突然、男が周囲を見回した。

 グレイはさらに身を縮めた。

 男は何か違和感を察知したようだったが、再び少女と話し始めた。


 そして、男は少女に何かを渡した。

 小さな瓶のようなもの。


 会話が終わり、少女は町の方へ、男は桟橋の先へと消えていった。

 グレイは少女を追おうか迷ったが、先に宿に戻り、仲間に報告することにした。


 宿に戻ると、ラプンツェルが廊下で待っていた。

「どこに行っていたの?心配したわ」


 グレイは見たことを説明した。

「私たちのことを監視している者がいるようだ」

 彼は結論づけた。


「影の書き手の手下かもしれないわね」

 ラプンツェルが心配そうに言った。


 彼らは他のメンバーも呼び、状況を共有した。

「明日の出発計画を変更しよう」

 ハインリヒが提案した。

「見られていることを悟らせないために、予定通り朝に宿を出るふりをする。しかし、実際には今夜、こっそり出発しよう」


 皆が同意し、静かに荷物をまとめ始めた。

 夜中、彼らは宿の裏口から抜け出し、町の外れへと向かった。

 星明かりの下、彼らは迷いの森への道を急いだ。


 グレイは振り返り、港町を最後に見つめた。

「物語はますます複雑になってきたな」

 彼は思った。


 この冒険が始まったとき、彼は単に赤ずきんを探し、自分の物語を取り戻したいだけだった。

 しかし今や、彼らは物語世界全体の運命に関わる闘いの一部となっていた。


 彼はポケットのリボンを握りしめた。

「待っていてくれ、赤ずきん」

 彼は心の中で呟いた。

「必ず見つけ出す」


 夜の闇の中、五人の旅人は次なる冒険へと足を進めていった。


(つづく)

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