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後悔と自責の夢

 何かが変だった。


「あ……れ?」


 目を覚ました瞬間感じる強烈な違和感。

 時計に目を向けると短い針はもう11を指していた。

 寝坊した、完璧に。

 それ自体別に焦るようなことじゃない。

 今は夏休み、寝坊したって学校に遅刻するわけじゃないし、特段予定もない。

 でも、いつもなら伊都さんが起こしてくれるはずだった。

 あの人はどんなに忙しくとも私と共に食事をとる。

 それはかすかに感じる家族らしさであり、私たちのルールであった。

 だから、伊都さんの帰りがどんなに遅かろうと私は彼の帰りを待って夕食を共にしたし、彼に起こされて朝食もとっていた。

 それが家族になりきれない私たちの拙い繋がりだったから。

 

 でも、今日は起こしてくれなかったらしい。


 冷蔵庫を開けると私の分の昼食がラップに包まれていた。

 だと言うのに、朝食はない。

 伊都さんの性格的に朝食も用意しておいてくれてもよさそうなものなのに。


「…………?」


 シンクには2人分の食器が置いてあった。

 なんだろうこれは?

 私が起きてこなかったから伊都さんは2人分の朝食を平らげたのだろうか。

 そんな大食いでもないくせに?

 何か変だな。

 ただちょっとした違い。

 まだ日常にすらなりきれない、彼との生活。

 その一部に変化が生じただけ。

 別に違和感を感じるほどじゃない、些細な変化。

 それでも…………


 何かが変だった。

 



……………………………




…………………




……




 また別の日。

 その日私は自室にこもってゲームをしていた。

 知らない土地での夏休み。

 私のやることといえばやる必要があるのかも分からない前の学校の宿題や、こういったデジタルな娯楽だけだった。

 父が今の私を見れば、だらしないと憤り、外に出ろと説教したことだろう。

 あの人はアウトドアな娯楽が好きな人だった。

 旅行だってあの人が率先して家族を引っ張って計画していた。

 あの旅行だって……そうだった。

 父が皆を引っ張り……そしてあの人たちは私の前から姿を消した。

 もういない。

 だから、私の娯楽を止める人間はもういない。

 私を止めるもの、唯一あるとすれば伊都さんが私を呼ぶ声だけだろう。

 それは夕食を知らせる呼び声で、それが聞こえたら私はゲームの電源を切る。

 自室を出て階段を降りると、廊下の先にあるキッチンの扉が開いていて、そこから夕食の香りが漂ってくる。

 それに導かれるままそこに入ると、机の上には2人分の夕食、私に笑いかける伊都さん。

 その笑顔にどう返せばいいのか分からず、私はぎこちない笑みを浮かべながら席につく。

 そんな日常。

 だからその日も彼の声で私はゲームを止めるはずだった。


「あ……れ?」

 

 違和感を感じて画面から目を離す。

 遅い。

 いつもならとうに夕食を食べ終わっている時間帯だった。

 今日は特別帰りが遅かったわけじゃないのに、なぜこんなに遅いのだろうか。

 妙な雰囲気を感じて私はゲームを止める。

 自室を出て階段を降りる、廊下の先にあるキッチンの扉は閉まっていた。

 そこに人の気配はない。

 扉を開けてみても中は真っ暗だった。

 まさか今日に限って夕食を忘れたなんてわけないだろう。

 明かりを灯すと、きっちり2人分の食器が水を滴らせながら積まれていた。

 今さっき洗ったばかりのように。

 何か…………変だ。


「伊都さん、夕飯は?」


 違和感のまま、私は自室の隣にある伊都さんの部屋に突撃した。


「うん?」


 伊都さんはキョトンとした顔で私を見返してきた。


「だから、夕飯は?」


「夕飯って……さっき食べたじゃないか」


 はい?

 この人はとうとうボケたのだろうか。

 いや、そんな歳ではないはずだ。

 私はじっとりと彼を睨んだ。


「え……ボケた?それともおかわりまでしたくせに、まだ腹減ってんの?」


「はぁ!?」


 ボケたのはそっちの方だろう。

 私がおかわりした?私はおかわりなんて絶対しない。

 たたでさえ私という存在は義父の負担になっている。

 精神的にも、金銭的にも。

 食費を増やすのは私の本意ではないのだ。

 例え好物であったとしても、普段はおかわりなんてしない。

 

「もういいよ」


 埒が開かないと思った私は足音荒く彼の部屋から去った。

 変だ。

 絶対何か変だ。

 1度ならず2度も食事を食いっぱぐれるなど尋常の沙汰ではない。

 私の勘違いなどでは決してない。

 現に私のお腹は空腹を訴えている。

 食事の恨みは深いのだ。

 腹いせに冷蔵庫を漁り夕飯の代わりを物色する。

 この際食費が嵩むのは無視だ、何かお腹に入れなくては餓死してしまう。

 

「………………夢じゃない?」


 物色途中、不意に気がつく。

 この家に越してから少なくない不思議な体験をした。

 その全てに夢が関係していたから、今回もそうなのかもしれないと、容易に推察できる。


「ふむ」


 菓子パンを手にキッチンを出ると……案の定洋間の電気が付いている。

 ここの電気を付けるやつはあいつしかいない。

 せっかくパンを齧りながら自室に戻ろうと思ったのに、今口に入れたところで味はしないだろう。

 まぁ、いい。

 ちょうど夢について聞きたかったところだ。


「ねぇ、どういうこと?」


 洋間に入るとロクは珍しくカップを手にしておらず、針を片手に裁縫をしていた。

 小さな布をちくちく縫っている、なんだろう珍しい。


「どういうこと、とは?」


「どうも何もまた夢が悪さしてるわよ。鍵ちょうだい、鍵」


 鍵をせびると若干めんどくさそうな顔をされた。

 なによ、この前はあなたから渡してくれたくせに。


「そのように責められるのは不服です、魔夢が悪さしようと私には関係がありません、特に……今回は」


「なに?暴れているのはこの家に封じられていた魔夢じゃない。元魔女の使いとして責任があるんじゃない」


「どうでしょうか……今回の魔夢はこの家と関係がないようですが」


「うん…………?」


 え?

 それってどういうことだろう。

 この家には封印の解けかけた魔夢がたくさんいるんじゃなかったのだろうか。

 首を傾ける私に、ロクはいつもの笑みを浮かべた。


「どうやら状況が分かっておられぬご様子。一度ご自身の目で件の魔夢を確認してみるといいでしょう」


 差し出される鍵。

 なんだ、結局くれるんじゃない。

 しかし確認してみろとは?見て分かるものなのだろうか。


「ところでそれ、何縫ってるの?」


「あぁ、あの人形の魔夢は正式にあなたの使いとなったので、汚れたままではと思い新しいお召し物を」


 え、そうなの?ありがとね。

 あの人形は今私の部屋にいる。

 私なりに汚れは落としてみたものの、ボロボロの洋服からは年季が隠しきれていなかった。

 彼女の新しい洋服を作ってくれると言うのならそれは大歓迎だ。

 いいところもあるじゃないか犬男君。

 私はほくほく顔で洋間を後にした。

 彼の言う通り魔夢を探ってみることにしたのだ。




……………………………




…………………




……




 翌朝、私は目を覚ますと静かに待った。

 いつも通り起きてこない私を伊都さんが起こしにくるならそれでいい。

 でも……きっとそうはならない。

 だってこの家では覚めたって夢が離れてくれないのだから。

 案の定いつもの時間になっても伊都さんは現れなかった。

 代わりに階下から物音と話し声が聞こえてくる。

 誰かが。

 何かが。

 私の代わりに朝食を食べている。

 私は極力音を立てないように自室から出ると、キッチンに忍び寄った。

 そこの扉は開いていて、パンの焼ける匂いが漂っている。

 伊都さんの笑い声、いったい誰と話しているの?

 懐に忍ばした缶を取り出し、ドロップを口に含む。

 味がない、やっぱり夢がいる、今ここに。

 こっそりと顔を覗かせると、伊都さんの背中とその対面に座るものが視界に飛び込んだ。


「………………え?」


 適当に伸ばされただけの長い髪。

 やぼったい分厚い眼鏡。

 可愛くも美人でもない。

 鏡を見るたびにうんざりするその顔。


 

 ……………………私?


 

 そんなはずはない。

 そこに座っているのは私のはずがない。

 だって。

 だって私はあんな顔しない。

 あんな風に信頼をよせたような、安心しきった笑みを義父に向けることなど、ない。

 いつだって俯いて、ぎこちない笑みを向けるだけ。

 他人にも家族にもなれない。

 私と伊都さんの関係は不恰好で不完全で、どうしても気まずさが先に来る。

 だからあんな風に楽しそうに2人で朝食をとるなんて…………夢のまた夢で…………

 信じられない思いで見つめていると、彼女と目が合った。

 私の代わりをして、のうのうとそこに居座るやつ。

 それと目が合って、私は息を詰まらせる。

 きっとそれは邪悪な笑みを浮かべるのだと思った。

 私を陥れて、悪意たっぷりに微笑むのだと思った。

 だけど違った。

 

 笑った。


 まるで花が咲くみたいに。

 悪意なんてまるでなく。

 友達と目が合ったかのように。

 その時思った、私が自分を不細工だと思うのは表情のせいなのだと。

 なんの衒いもなく笑う少女は、私と全く同じ顔のくせして可憐で、綺麗だった。

 少女が私に笑いかけたのに気づいた伊都さんが、背後に何かいるのかと振り返る。

 きっと私の動きが遅ければ、彼は目の前に座る娘と同じ顔をした少女が恐怖に顔を歪ませるところを目撃できただろう。

 だけど彼が目撃できたのは開いたキッチンの扉の先にある洋間の扉だけだった。

 私はひと足先に恐怖のままに後退り、その扉の向こうに逃げていたのだから。




 

 

 息荒く、閉めたばかりの洋間のドアノブを握りしめる。

 自分が目撃したものを、理解できなかった。

 いや、理解したくなかった。

 あんなもの、存在していいはずがない。


「お茶でも飲みますか、落ち着きますよ」


 動悸を荒くする私の背後から声がかけられる。

 振り返るといつものニヤニヤ顔がそこにあった。

 怒鳴り散らそうとして、やっぱり止めた。

 義父に聞こえてしまいそうで。

 促されるままソファに座ると、湯気の立つカップが目前に置かれた。

 味も匂いもしない、こんなもの飲んでなんになる。

 そう思ったけど、口につけるとなぜだか落ち着いた。

 それと同時に涙が一粒、カップに落ち波紋を作った。


「あれが何か、理解できますかお嬢様?」


「…………うん」


 自分がなんでこんなに動揺したのか。

 分かっている。

 というより分かっていた。

 だけどやっぱりそれは受け入れがたかった。


「あれは………………私の夢……そうでしょ?」


「左様で」


 ロクは笑みを深める。

 でも私は答えが分かってなお混乱していた。


「な、んで……私の夢が魔夢になっているの?」


 魔女とは現実になろうとする夢を夜に留め、封印する者じゃなかったの?

 なぜ魔女の才のある私が魔夢を生み出すわけ?


「逆ですよお嬢様」


 まるで私の心を読んだようにロクが答える。


「魔夢を封印できるから魔女という存在が生まれた?逆ですよ逆。魔夢を生み出してしまうから、自ら封じる術を編み出すしかなかった。自身の罪を正すために。魔女という存在は自戒から生まれたのです」


 なぜ祖母が私に首輪をつけたのか、本当の意味で納得した。

 私を守るため?

 勿論そう。

 でも私から守るためでもあったのかもしれない。

 私は魔夢を見ることができる、見てしまう。

 それが……魔女であるということ。


「どうすればいいの?」


「どうすれば、とは?封じてください、勿論。ですがお嬢様の夢である以上根源は私には皆目見当もつきません」


 そうか、魔夢である以上現実への足がかりとなる夢も通い路が必ずあるはずなのだ。

 たとえそれが私の夢であっても。


「まぁ、詳しいことは当人で話し合ってください」


「え……」

 

 私の背後で玄関のドアの閉まる音がかすかに聞こえる。

 伊都さんの出社する音、ということは誰かが見送ったわけで。

 ぎしりと木造の廊下が軋む音。

 洋間のドアのステンドグラスに人影が映った。

 私と……瓜二つのシルエット。


「おはよう私」


 声まで、瓜二つだった。




……………………………




…………………




……




 私と私。

 私たち2人は自室で向き合っていた。

 気まずそうに目を向けるとにこりと笑い返される。

 やはり……私ではないな、と思う。

 私はあんな風に笑わない。

 でも同時に、あんな風に笑えたらとも思う。


「で……どういう……つもり?私のフリして居座って」


「しょうがないじゃない、あなたがそう夢見たんだから」


 しょうがないって……

 じゃあなに、責任は私にあるとでも言うのだろうかこの夢は。

 私に成り代わっておいて図々しい夢だ。


「私がどうあるべきかは、私ではなくあなたが決めたの。そうでしょ夢主様」


「決めたって……」


 どんな夢を見るかなんて決められるわけじゃない。

 明晰夢じゃあるまいし、人は夢を操れない。

 夢自体、学術的には不明な点も多いと聞くし。

 私のせいにされても困るというか。


「あなた次第よ、全部」


 本当に?


「おかわりしたーい」


「…………はい?」


 とぼけたツラして何を言っているんだこいつ。

 いや私と同じツラなのだけど。


「昨晩のご飯はシチューだった。私大好物なの。でもあなたはおかわりしないでしょ」


「当たり前じゃない。ただでさえ伊都さんに負担をかけているんだから」


「そう、伊都さんに言われたの?」


 え。


「生活が厳しいって、そう吐露されたわけでもないくせに。馬鹿みたいに遠慮して、あとでシチューの味を思い出して後悔するんだ、もっと食べたかったって」


 その言葉に顔を顰める。

 確かに伊都さんに負担をかけていると、そんなことは私が一方的に考えていることだ。

 私を抱きしめてくれたあの夜から、彼は私という負担を容認してくれた。

 それが家族になるということなのだから。

 それでも私は自分という負担に引け目を感じている。


「まだ彼を家族って信じられないんだ」


「ッ!?」


 それは真実だからこそ、私に言われたからこそ、深く胸に刺さった。

 信じられてない、私。

 両親が生きていたころは自分という負担なんて気にもかけなかった。

 だってそれが当然で普通のことだから。

 父も母も、私と言う負担を分かってなお、私を産んだのだ。

 子供を産むってそういうこと、両親はそれを負担だなんて思いもしない。

 それが親の責任だから。

 でも、義父は違う。

 あの人に責任なんてない。

 私を育てる義務なんてあの人にはこれっぽっちもない。

 それでも手を差し伸べてくれた。

 その優しさを信じられないのはとんでもない裏切りだって、分かっている。

 それでも……


「信じられるわけがないじゃない」


「どうして?」

 

 どうして?

 ただ優しさが信じられないの。

 だってあの人にはそれしかないから。

 私を引き取るメリットなんてなにもない、ただ優しい、それだけ。

 あの人は私に同情した、でもそんなものは一時の感情でしかない。

 だからこそ私という負担に苦言を呈された時、終わってしまう。

 この嘘みたいな関係も、私と言う存在自体も。

 怖い、だからこそ負担なんてかけられない。

 それが優しさへの裏切りであったとしても。


「後悔ばっかりね、私」


 俯く私の頭が私によって撫でられる。

 その手が優しくて私は改めて思い直す。

 やはりこの夢に悪意はない。

 目が合った時もそうだった。

 ただ私を安心させようとしていた。


「新しい家族も、失った家族も、私は後悔ばかり、そうでしょ?」


 頷く。

 そうだ、 後悔はいつだって私を苛む。

 それが私という人間の性なのだ。

 

「私は後悔から生まれた。後悔して、後悔して、後悔して、それでも現実は変わらなかった。だから夢見るしかなかった後悔のない理想の自分を」


「あなたがそれだと?」


「うん」


 自信満々に胸に手を当てる少女。

 確かに私にあるまじき自信だ。

 伸びた背筋もその表情も私とはまるで違う。

 まるで自信満々だった父のような、その血を感じさせるような、堂々とした私。


「私なら伊都さんも、残してきた学校の友達も、兄も、父も、母も、祖母さえも、すべての関係を上手くまとめられる。だってあなたがそう夢見たから」


 私が夢見た自分。

 後悔ばかりの私が夢見た、後悔しない私。

 だとしたらきっと彼女は完全無欠で、無敵なのだろうな。

 でもその夢って寝て見る夢とは別物だと思うんだけど、そんなものも魔夢になっちゃうの?

 

「だから私はもう心配しなくていい。全部あなたが後悔のないようにするから」


「…………はぁ」


 自信満々に私からそう言われて、私は気のない返事しか返せなかった。

 きっと彼女ならそうするだろう。

 それを夢見た張本人だからこそ、そう確信した。




……………………………




…………………




……




「おやおやおや?」


 机に突っ伏してボケッとしていたら背後から声がかけられた。

 振り返らなくても声で分かる。

 いつもは洋間で待ち構えているくせに、そちらから出向いてくるとは珍しい。


「なに?」


「なに……って、封じないので、あの夢?」

 

 振り返ると案の定ロクが私を伺うように扉から半身を出していた。

 ノックしてよね、女の子の部屋だよ。


「封じなくていいんじゃない。私よりよっぽど上手くやってくれそうだしあの子」


 やる気なくそう答えるとロクは不機嫌そうに口をもごもごさせた。

 なにやら魔女組合に示し合わせが……などとぶつぶつ言っている。

 魔女組合って祖母と仲が悪かったんじゃないの?そんなのの顔色伺わなくていいと思うけどなぁ。


「確かに、あれは甘い夢を見せてくれますが……夢が現実になると弊害もありますよ」


 弊害?なんだろう。

 今の所私にとっていいことしかないと思うけど。


「自身の身体をよくご覧になってみてください」


「からだ……?」


 手のひらを突き出して見てみると……

 あれ?なんだか……透けてる?

 手のひらがぼんやり透けて、向こうの景色が見える。

 なにこれ?


「お嬢様がどんな夢を見たのかは知りませんが、その夢にはお嬢様が2人出てきたのですか?」


「ううん」


「であるならばあれが現実になるということは、お嬢様が代わりに消えるということです」


 なるほど名実ともに私と成り代わるというわけか。

 私が透け始めているのもその前兆で、このまま進行すると完全に消えてしまうのかもしれない。

 まぁ、でもそれも……


「いいんじゃない、別に」


「…………は?」

 

 私の言葉にロクが固まる。

 彼としては私にことの深刻さを分かって欲しかったのかもしれない。

 夢が現実になるというリスクを。

 自分が消える前に、あれを封じて欲しかったのだろう。

 だけどそれはあんな夢を見た私の真意を測りかねていた。

 後悔と自己嫌悪の深さを読み違えていた。


「その方が、きっとみんな幸せになる。あなたもこんな中途半端な子供よりあの子の方が気に入るよ」


「それ、本気で言ってます?」


 彼の声が一段と低くなった。

 ロクが見たことのない顔をしている。

 まるで本当の犬みたいな、人間性のない獣の顔。

 剥き出しになった牙。

 怒らせてしまったのかもしれない。

 彼が私の自虐的な思想に腹を立てるのは少し意外だった。

 いつも私をおちょくるみたいに笑っているくせに。


「私が鍵を差し上げたのも、茉智お嬢様が愛していたのも、あなたです。決してあのようなぽっと出の夢風情ではなく、あなたです」


 夢風情…………ね。

 あなたも夢だけど。

 そんな風に自分の品格さえ下げても私を擁護してくれるんだ。

 だけどさ……やっぱり分かっていないよ私のこと。


「あなたには分からないかもね、私の気持ちなんて」


「確かに理解しかねます、自身が消えてもいいと?」


「そうだよ」


 そうだよ……ロク。

 死にたいんだよ私は。

 いや………………少し……違うか。

 死ぬのは怖い。

 痛いのも、苦しいのも、嫌だ。

 私が死ぬことによって誰かが傷つくことも嫌。

 死にたかった。


「私はあの日、死にたかったんだよロク」


「…………お嬢様」


 あの日私はなぜみんなと一緒にいけなかったのだろう?

 無理してでもついていけばよかったのに。

 そうすれば私だけ仲間外れにならなかったのに。

 こんな風に後悔を背負って生きなくてもよかったのに。

 悲しい、辛い、寂しい。

 どうして私を置いていってしまったのだろう?

 あの日からずっと後悔している。

 みんなと一緒に死ねなかったことを。

 

 それが私の後悔。

 あの日から見続けている、悪夢。


「仲間外れで、ひとりぼっちは嫌なの」


 あの日から、今日までずっと目を逸らし続けてきた本当の気持ち。

 向き合いたくはなかった。

 でも、後悔と自責から生まれた魔夢が私にそれを自覚させた。

 だから私はあれを封じたくなくなったのかもしれない。

 楽になりたかった。

 後悔まみれの人生から。


「間違っています」


 低く、しかし憐憫のこもった声が私を否定する。


「しかし、私の言葉は届かないのでしょうね。ただの夢ごときの言葉は」


 扉が閉じる音。

 静かになった。

 静かで、ひとりだ。

 私にその気があれば孤独ではなかっただろう。

 義父もロクも、手を差し伸べてくれた。

 それを信じられなかったのは私自身だ。


 私は望んでひとりになった。


 そのくせ寂しいと泣いている。

 私はどうしようもないくらい救えない人間だった。

 後悔だけがいつも私に寄り添った。

 机に突っ伏して泣いた。

 後悔は私の胸を締め付けるだけで、なにもしてくれなかった。

 泣いて、泣いて、泣いて。

 泣き疲れた私は…………



 

 夢を見た。

 



……………………………




…………………




……




 ああ、これは夢だな。

 珍しく私はそれを自覚した、明晰夢というやつだ。

 私の目の前ではありし日の景色が広がっていた。

 床におもちゃが散らばったリビング。

 窓から見える青空がなんだか懐かしかった。

 家族が生きていた頃に暮らしていたマンションの一室だ。

 見覚えのある影がふたつ、そこにはいた。


「なにしてるのー?」


 幼い自分が首を傾げている。

 彼女の目線の先では兄が机に向かって何かを書いていた。

 机の上にはたくさんの筆記用具と大きめの銀の缶が置かれている。

 小さな私は一生懸命背伸びして、兄の手元を覗き込んでいた。


「未来の自分への手紙を書いてるんだ」


 兄は胸を張ってそう答える。

 あぁ……覚えている。

 タイムカプセルだ。

 どこでそんな知識を仕入れたのか、ある日兄はそれを埋めようと思い至った。

 未来の自分への手紙、たくさんのおもちゃ、なけなしのお小遣い。

 そういった子供ながらに精一杯の宝物を詰め込んで、兄はそれを未来に届けようとしていた。


「くだらないことしか書いてないじゃん」


「あ!読むなよバカ!」


 小さな私といえば兄の手紙を覗き見て鼻で笑っている。

 我ながら小憎らしい子供だったと思う。

 でも子供ながらに兄に馬鹿にされないように必死だったのだ。


「どうしてもって言うのなら、お前の宝物も入れてやってもいいぞ」


「えー……いいよ。くだらないし」


「はぁ!?」


 兄が怒ったように眉を上げるも幼い私はそっぽを向くだけだった。

 あーあ、むきにならないで宝物を入れて貰えばいいのに。

 小さな私はチラチラと缶に目線を向けており、その子供らしいタイムカプセルに興味津々なのは明らかだった。


「お!タイムカプセルかー懐かしいなぁ。いいじゃないか牡丹、お前も何か入れて貰えば」


 その時父がリビングへと入ってきて、懐かしそうに缶を持ち上げた。

 父としては今にも喧嘩を始めそうな私たち2人の仲を取り持とうとしたつもりだったのだろう。


「いい!!いらない」


 だけど幼い私はさらに意固地になって顔を背けた。

 それどころか足音荒く自分の部屋へと駆け出していってしまう。

 素直じゃないなぁ。

 父も兄も呆れたように私を見つめている。

 現実でも私はあんな風に逃げ出した。

 父と兄がどんな風に私を見ていたかなんて知らない。

 だからこの景色は夢を見ている私の妄想なんだろう。

 それにしても失った日常を見せつけるなんて、残酷な夢だ。

 我ながらどうしてこんな夢を見ているのだろうか。

 結局あの時も私は後悔したんだっけ、むきにならなければよかったって。

 あれ…………?

 でも、私ってタイムカプセルに何か入れてもらったような気がする。

 私の視線の先では兄が書き終わった手紙やおもちゃをタイムカプセルに入れている。

 この感じだと、兄は私を待たずにカプセルを埋めちゃいそうだけど、どうやって入れてもらったんだっけ?


「……あっ」


 まるでコマ送りみたいに時が進み、玄関の扉が閉まる。

 時計がグルグルと回り、空の色が青から黄へ、そして赤へ。

 兄が外から泥だらけになって戻ってきても、小さな私は自室にこもっていた。

 懐かしいその部屋に入ると私は人形を抱いて不貞腐れたようにベットに突っ伏していた。

 あれから何年も経ったのに、変わっていないな私は。

 こんな小さな時から後悔を抱いて俯いている。

 その小さな背中に声をかけようとして、やめた。

 私が声をかけてどうする、後悔まみれの成長のない自分の言葉などなにも響かないだろう。


「牡丹」


 俯く私の背後で扉が開く。


「なに?」


 過去の私と今の私がシンクロする。

 同時に振り返った私たちの視界に入ったのは父だった。


「そろそろお前が後悔している頃かと思ってな」


 彼は大きなシャベルを肩に担いで不敵に笑っていた。


「お前さえよけりゃ、今からでも遅くないぞ」


 あぁ……そうだ。

 思い出しだ。

 父に、入れてもらったんだ。

 あの人は、私のことを誰よりも理解していた。


「ほれ」


 私の言葉を待たずに父は小さな私の手を引き自室の外へと連れ出す。

 私もその後へ続く。

 玄関のドアを開け、螺旋状の階段を降りていく。

 父の足取りは軽く、私の足取りは重い。

 引きずられるように歩く幼い少女、だけどその顔には安堵の表情が浮かんでいた。


「いいの?」


「かまわんかまわん。どのみち掘り返すものなんだから」


 兄がタイムカプセルを埋めたであろう地面を掘り返す父を静かに眺める。

 あっけらかんとしていてまるで私と似ていない。

 まるで後悔なんてないみたいにおおらかで明るい人だ。

 本当に私はこの人の血を引いてるのかなって思ったり。


「父さんは後悔したりしないの?…………私みたいに」


 そう思ったのは幼い私も同じだったようで、小さな声で問いを投げかける。

 父も自分と同じだと、確かな繋がりを感じたかったのかもしれない。


「するさ」


 父はいつもと変わらぬ明るさで肯定した。

 明るさゆえに説得力皆無の肯定だったが。


「牡丹はさ、後悔する自分が嫌いだよな」


「ううん、そんなことはないよ」


 小さな私は否定するけど、それは明らかに嘘でしかなかった。

 やっぱり素直じゃない過去の自分は。

 本当は嫌いなくせに。

 そうだ、嫌いだよ私は、後悔まみれの自分が。

 父はよく分かっている。


「父さん牡丹の後悔はそんなに悪いものじゃないって思うんだ」

 

「どこが?」


 父の肯定に、幼い私がムッとする。

 私にとっては後悔など憎悪するものでしかなかったのだから。


「お前は少なくとも前を向いているじゃないか」


 向いているのは後ろばかりだと思うけど。

 俯いて過去ばかり振り返る女のどこが前向きなのだろう。

 小さな私も彼の言葉を理解できないのか、顰めっ面で首を傾げている。

 

「後悔ってのは未来のためにするもんだ。失敗を振り返り、この先同じ失敗をしないために心へ刻む。それが……後悔というものだろう」


 父はようやく缶を掘り起こしたのか、それを私へと差し出す。


「今日お前は後悔した。少なくとも、これで兄ちゃんとくだらない喧嘩はやめるだろう?」

 

「うん…………ごめんお父さん」


 父に頭を撫でられながら小さな私は缶を開け、用意したものをその中へと入れる。

 あぁ、そうだこれは後悔と自責の記憶。

 私が自分をちょっとだけ好きになった思い出。


「なりたい自分があるから、許せないんだろ、そうじゃない自分が」


「うん……うん!」


「後悔して、後悔して、前に夢に向かえばいい。それが父さんみたいに……大人になるってことだ」


 眩しすぎる思い出だった。

 全てを失って、意味のないものだと捨てたはずの記憶だった。

 きっと父のようになれる、そう夢を見せてくれた思い出。

 そんなものを、なぜ今夢見ているのだろう。


「ねぇ」


 これはただの記憶のはずで、夢のはずだった。

 でも、なぜか彼女は私と目を合わせてきた。

 私はここにいない存在のはずなのに。

 過去の私が私へと振り返った。


「あなたもそうでしょう?」


 その言葉が、その問いが私を眠りから覚ます。

 もう後悔に浸る時間は終わりなのだと、言われた気がした。


 そうだね。

 なりたい自分も、夢も沢山あったよ。

 未来のために後悔してきたはずなのに、未来があまりにも暗くて、後悔があまりにも大きくて、私は押しつぶされていた。

 だけど私は思い出した。

 自分が積もらせてきた後悔の意義を。


 後悔が、私に前へ進めと訴えた。




……………………………




…………………




……




「どこへ行くの」


 歩き出す私の後ろから言葉が追いかけてくる。


「こんな時間に外に出て、伊都さん心配するよ」


 視線を横にずらすと、夢の私が並走していた。

 一体いつからそこにいたのか、人好きのする笑顔を私へと向けてくる。


「帰るの、あの家に」


 そう。

 帰るのだ、私の家だった場所に。

 興味深そうに夢の私が頭を揺らす。


 「そんなとこ帰ったって何もないよ。きっとあの家には別の家族が住んでいて、失ったものを見せつけられるだけだって」


 そうかもね。

 あの家はもう引き払ったんだ、そうなってもおかしくはない。


「それでも、あれはまだ埋まっているでしょ?」


 あのタイムカプセルは。

 私と並走する足音がピタリと止まる。

 振り返ると夢は私を凝視していた。

 その顔にあの花のような笑顔はない。


「へぇ、気づいたんだ。私の通い路に」


 私の推理は当たっていた。

 あの日あの場所でこの夢は芽吹いたんだ。

 後悔ばかりの自分でも何かになれるのかもしれないと夢見た。

 あのタイムカプセルを頼りに、こいつは現実に現れているのだろう。


 なけなしのお小遣いをはたいてマンションまでの切符を購入する。

 笑顔の消えた顔の私がそれをじっと見つめていた。


「……なに?」


「いや〜、1人で電車乗るのって初めてじゃない。ちゃんと道順分かる?」


「住んでた場所ぐらい、ちゃんと知ってる」


 そう言い張ってみたけど、正直自信はない。

 遠くに行く時はいつだって家族の誰かが隣にいたから。

 路線図と記憶を頼りに、買った切符で電車に乗り込む。

 夢は切符を買わなかった。

 彼女は私以外の人間に見えているのだろうか?

 私はちゃんとみんなに見えているんだろうか?

 いまだ私の身体は透けたまま。

 ドロップを口の中に放り込んでみる。

 想像通り味は全くしなかった。

 人がまばらな車内、席に座った私の前で夢が身体を揺らす。

 吊り革に身体を預け、リズミカルに身体を揺らす。

 楽しそうな仕草なのに表情が全く動かないのがホラーチックだ。


「夢見たくせに、私を否定するんだ」


「自分がそうなりたいと夢見たの。消えたかったわけじゃない」


「消えたかったくせに」


 まあね。

 確かに消えたかったけど、やっぱり思い直した。

 あの日夢見た私は確かに未来を見ていた。

 だから私も前を向くことにしたんだ。


「そう言うそっちは、私が夢見たからとか言ってたくせに、今の私の夢を否定するんだ?」


 負けじとじっとり睨み返してやる。

 意外なことに彼女は少し怯んだようだった。

 へぇ…………

 私が夢見た通りの存在だと思っていたけど、少し違う?

 この子はこの子なりの願望があり、だからこそ、そこに壁として立ちはだかった私を恐れたように見えた。

 もしかして魔夢って……夢がそのまま具現化したものじゃない?


「否定するよ。どうしても……私はあなたになりたい」


 私になりたい……か。

 夢が現実に出てどうしたいのだろう?

 私が夢見る存在通りだというなら彼女はなんだってできる、まさに完璧な存在のはずなのに。


「私みたいな存在に成り代わって何するわけ?」


 そんなのわざわざ自分の格を落とすようなことじゃないだろうか。


「あなたって、魔夢のこと何も知らないんだね」


 グサッ…………そうだね。

 確かに私はロクから少し知識を授かっただけで何も知らない。

 今までは魔女になる覚悟も、意欲もなくふらふらとここまできた。


「確かに私は何でもできる。その気になれば空を飛ぶことだって、夢だから不可能なんてない。それでも私には絶対叶えられないことをあなたはできる」


 私に出来て夢には出来ないこと。

 そんなことってあるのかな。

 幻想が具現化したような存在のくせに私より劣っている?


「あなたは、実在している」


 実在している。

 それは私にとって当たり前のこと。


「私たちのように絵空事じゃない、あなたはそこにいる。私たちのように目覚めと共に忘れさられる虚構じゃない、あなたは生きている」


 それはもし夢という存在が命を持ったならば、そんなifが実在してしまったからこその嘆きだった。

 実在を持ち生きている、そんな当たり前を許されない……その虚無は私にとって想像もできない。

 無表情に見つめてくる私と同じ顔。

 その瞳の奥に微かな羨望が見えた。

 私が夢見た完璧な自分、だけどそれは絵空事でしかなく、だからこそ私に成り変わることを望んだのだろう。

 自身の生を求めて。

 列車が目的の駅へと到着し、扉が開く。

 彼女は立ち上がる私を止めはしなかった。

 ホームを歩く私、出発する列車。

 吊り革に身を預けた夢が私を見つめたまま遠ざかっていく。

 口の中のドロップの甘みが、ゆっくりと戻っていった。

 あれだけの願望を吐き出した後だ、まだ諦めたわけじゃないだろう。

 姿が消えたからといって油断は出来ない。

 でもあのマンションまではもうすぐだ。

 改札を抜けて駆け出す、私が生まれ、育ってきた街を。

 あの通りも、あの店も、失った思い出が山ほどある。

 その思い出の足跡を辿りその根本を目指す。

 もう私の視界には夕日を背負ったあの建物が見えていた。

 息が弾む。

 嫌に。

 足がもつれ、ふらつく。

 変だ。

 まだそれほど走ったわけじゃないのに。

 身体が。

 重い。

 急に力の入らなくなった身体に鞭を打って足を動かすけど、数歩も進まずに地面に膝をついてしまった。

 

「足が……」


 震える足に目を向けるともうほとんど透明になっている。

 さっきまでちょっと透けているぐらいだったのに。

 急に私という存在が希薄になっている。

 いや、違う。

 視界に映る手は先ほどまでと全く変わっていない。

 足だ、足だけが透明になっていく。


「絶対タイムカプセルには辿り着かせない」


 低くなった視野に夢が立ち塞がる。

 彼女は汗だくだった。

 きっと無理をして成り代わりを早めたに違いない。

 私の動きを奪うため、足だけを急遽。


「どいて」


 足など動かなくても、動ける。

 私は地面を張って、マンションを目指す。

 アスファルトが擦れて手のひらに血が滲む。

 だけど知ったことではない。

 どれだけ身体が透けようが、私はここにいる。

 生きている。


「なによ、死にたかったくせに」


「そうだね」


「悪夢みたいな現実に……うんざりしてたくせに」


「そうだね」


「いらないなら、頂戴よ!あなたの人生」


「嫌だね!」


 どんなに苦しくても。

 どんなに辛くても。

 これは。

 私の人生だ。

 悪夢を見続けるのも、目を覚ますもの、全部、自分次第だ。

 

「とまれッッ!」


 悲鳴のような叫び声と共に空気が揺らぐ。

 夢と私の輪郭線がぶれる。

 それと同時に私の手が指先から透明度を増していく。

 足で無理なら今度は手を削ぐってわけね。

 花のような笑顔も、無機質な無表情もかなぐり捨てて、必死の形相で私を止めにかかる。

 向こうはもうなりふり構っていられないらしい。


 なら私も最終手段を使うとしようか。

 

 ポシェットから携帯電話を取り出す。


「なに?今更助けでも呼ぶつもり」


 助けを呼ぶ?

 それもいいかもね。

 でも、もっといいことするんだ。

 数拍のコール音の後、お目当ての人物は電話に出た。


「もしもし、牡丹か、どうした」


「伊都さん……今大丈夫?」


「あぁ……そろそろ帰るところだが……」


 私が電話をかけたのは義父だった。

 彼の電話番号は引っ越した時からずっと登録してあったけど、かけたことなんて今まで一度もなかった。

 私のしようとしていることに気がついたのか、夢の私が怯んだように一歩下がる。

 

「私…………伊都さんのこと信じてない」


 そして私は何の前置きもなく、唐突に言った。

 真実を告白した。

 それがどんなに相手を傷つけるか知っていながら。


「……………………」


 沈黙が耳に痛いけど、私は構わず続ける。


「どうして私を引き取ってくれたのか理解できない。理解できない優しさが怖い。あなたの優しさに何を返せばいいのか…………分からない」


 後悔が私に教えてくれた真実を、今ここでぶちまける。

 愛想笑いで誤魔化し続けてきた関係を、終わらせる。


「でも…………信じたいの、優しさを愛情を。知りたいの伊都さんが何を望んで、どうしたいのかを。だって……………………家族だから」


 息を呑む音が携帯電話越しから聞こえる。

 いきなり電話越しで話すような内容じゃない。

 そんなことは分かっている。

 私だって面と向かって伝えたかった。

 でも私は今消えかかっていて、手段を選べなかった。


「はぁぁーー…………」


 返事の代わりに聞こえてきたのは、深いため息だった。

 

「ごめんな牡丹……俺の方から歩み寄らなきゃいけなかったのに。お前に無理させて」


「そんなこと……「ずっと」


 私の言葉を伊都さんが遮る。


「ずっとお前が俺に心を許していないことは、気がついてたんだ。だけど、傷つけるのが怖くて踏み出せなかった」


 私もそうだよ、伊都さん。

 嫌われたくなくて、捨てられたくなくて、結果壁を築いてしまっていた。

 そうやって後悔ばかり積み上げていた。


「葬儀場でひとりぼっちだったお前を見て自分と重ねた」


「自分と?」


「父さん……お前の祖父は俺が生まれた時に死んだ、交通事故だった。生まれたばかりの俺を一目見たいがために焦って注意を怠って、馬鹿野郎だよ」


 知らなかった。

 祖父の死の真相なんて初めて聞いた。

 祖父は私の生まれた時にはすでに他界していて、私の人生には存在しなかった。

 だけど確かに彼は存在していて、その死は誰かに影を落としたのだろう、私の両親と同じように。


「自分が生まれなければ、父さんは死ななかったのかもしれないと、そう考えながらずっと生きてきた。母さんが寂しそうに父の写真を眺めるたび胸が締め付けられた」


 想像もしなかった義父の一面。

 家族を失った子供の後悔と自責の過去。


「失ったものの重みは全く違う。それでも俺と同じだと思った、だから助けたかった」


 伊都さんの優しさの根源。

 家族を失った後悔。

 それは傷の舐め合いかもしれない。

 それでも得体の知れない優しさよりもずっと信頼できた。


「ありがとう……手を、差し伸べてくれて。私……何も知らなかった」


「お互いこれから知ればいいさ……家族なんだから」


「……うん!」


 きっと傷つけてしまった。

 だけど一歩踏み出してよかった。

 何もしないで後悔するよりずっといい。


「じゃぁ……急いで帰るよ。続きはまた話そう」


「うん、お疲れ様」


 電話を切って立ち上がる。

 さっさと終わらせて家に帰らなきゃ。


「なん……で?」


 夢の私が私の足を見て狼狽する。

 その足はもうほとんど透けてなかった。

 なんでって?

 後悔をひとつ解消したから。

 彼女は私の後悔と自責から生まれた、こうなりたいという夢。

 今私はその夢に一歩近づいた。

 私が後悔を解消するほど夢はその存在を失っていく。

 私自身が夢を叶えれば、それはもう夢ではなくなるということだ。

 

「あなたに成り代わってもらう必要はないってこと」


 夢って自分で叶えるもの、そうじゃない?

 自分の足でマンションの敷地内へと入る。

 思い出を頼りに、タイムカプセルが埋まっている場所へと。

 ポシェットから持ってきたスコップを取り出す。

 それを掘り返すのを、夢は止めなかった。


「もう止めないの」


 そう聞くとそれは笑みを浮かべた。

 花のような笑みではなくどこか影のある笑みだった。


「あなたの夢は自分の成長も喜べないような薄情な女ですか?」


「ううん」


「じゃあ、今は喜んでおくとしましょうあなたの成長を」


 なんか上から目線だなぁ。

 シャベルが硬いものに当たった。

 思い出と何も変わらない缶がその身を現す。

 中を開ける。

 玩具や手紙、大切な兄の遺品だ。

 その中に小さな紙切れが一枚。

 手紙を用意する暇もなくノートをちぎっただけのそれは過去の私が入れたものだった。

 カラフルなシールが貼ってあるのはせめてもの見栄か。


 『こうかいだらけのわたしはまえにすすめましたか?』


 たった一文。

 下手くそな文字でそう書かれた。


 進んだよ。

 後悔が私の背中を押した。

 だから私はここまで来れた。

 きっと幼い私が夢見た自分とは程遠い。

 それでもその一歩を踏み出した。


 そうして私は鍵を閉める。

 夢はなぜか封印されるというのに安堵したような表情を浮かべていた。

 私は魔夢について何も知らない。

 もっと学ばなければいけない。

 祖母の後を継ぐために。

 祖母のような魔女になる、それも私の夢の一つになった。


 


 だけれど……家に戻った私を待っていたのは伊都さんだけで…………

 洋間は暗いままだった。

書き溜めが尽きてしまったので最終話の更新は未定です(無慈悲)

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