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仕事帰りの缶詰

作者: 花黒子


 3Ⅾホログラムのディスプレイが350ミリリットルの缶ほどのサイズになってから、数年、経った頃の話だ。


 アイドルを応援しに行ける体力もなくなり、キャバクラや風俗に行く金もない。ましてや、婚活なんて、同調圧力の極みみたいなものからは、極力離れたい。


 酒の肴はスーパーのお惣菜。それが10年近く続いている。

 たまに同僚と飲みに行っても愚痴を言うだけで、明日への活力なんて湧きそうにはない。他人の悪口を言うのも飽きた。SNSも厳しくなってインフルエンサーだのに噛みつく人も消えてしまった。

 先輩は、ゲームの世界で遠くの友達と一緒にモンスターを倒したりして、仕事の憂さを晴らしているらしい。


 アイドルに応援してもらいたいわけじゃないし、瞑想でもしてアンガーマネジメントやマインドコントロールは自分でやれという時代だ。


 スーパーのお総菜コーナーの片隅に、缶が売られていた。ただの缶なのに、値段は高い。一本で一回飲みに行くくらいの価格だ。


「こんなもの誰が買うんだ?」


 思わず声に出ていた。

 妙に気になる。


 缶のパッケージに描かれていたのは、普通の女性社員の姿。特別美人の女優さんでもなく、アダルトグッズのようでもない。


「仕事帰り缶?」


 パッケージにはそう書かれていた。

 内容を見ると「仕事帰りの女性社員が、一緒に飲むだけの缶です」と書かれている。

 よくわからないけど、なぜか俺の手は伸びていた。


 ビールとお惣菜と一緒に、『仕事帰り缶』を買い、家に帰る。

 

 家に帰ると何もしたくなくなり、とりあえずビールを冷蔵庫に冷やして風呂に入る。

 風呂から出ると、お惣菜をレンジで温めて、狭い部屋の卓袱台でテレビをつけた。お笑い番組を追いかけたり、動画配信を追いかけていた時期もあるが、応援していた芸人たちは皆、売れてしまって、俺が帰る時間帯の番組には出なくなった。



 プシュ。



 ビールを開けて、熱くなりすぎたお惣菜で、ストレスも一緒に飲んでしまう。誰も共感してくれないが、これが一日のうちで一番至福の時間だ。


 そういえばと思い出して、『仕事帰り缶』を開けてみる。

 プルタブのようなスイッチを押すと、表面のディスプレイが光り始めて、仕事帰りの女性社員が居酒屋に一人で入っていく姿が映し出される。


 その後、カウンター席に座った女性社員が、ひたすら中ジョッキを飲みながら、枝豆やもつ煮込みを食べる姿が3Ⅾ映像で見られるだけのようだ。



「なんだ、これ?」


 買ったのは失敗だったか。初めはそう思っていたのに、ずっと見ているうちに、熱いおしぼりで顔を拭いて大きく溜息を吐いたり、もつ煮こみを美味しそうに食べる姿が、妙に大事な時間のような気がしてくる。


 名前も知らない女性に、「女の人は化粧が落ちるけど、仕事帰りはそうしたほうがいいよなぁ」とか「手作りの料理って美味いよなぁ」とか、なぜか勝手に心を読んでしまう。

 特に話をするわけでもないのに、まったりとした時間が流れている。


 どこかの会社の女性社員に共感してしまった。

 俺も酒で心を回復しているように、きっとこの女性も日頃の生活を回復しているのだ。


「おつかれさま」


 誰かと気持ちを共有できた時、認知的共感と呼ぶ。認知的共感によるマインドコントロールは、現代人の必須能力の一つかもしれない。


 疲れた日本社会で「仕事帰り缶」がひそかなブームになっている理由も頷ける。




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― 新着の感想 ―
[良い点]  仕事帰り缶、売っていたのなら私も買ってしまいます。
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