1997年6月:瀬黒と友達になった日
西岡と瀬黒が初めて話したのは、高校1年生の1学期だった。梅雨の頃で、西岡は下校途中に駅で雨に見舞われた。西岡が困っていると、瀬黒が突然、傘を貸してくれた。西岡は「えっ、誰ですか?」と言った。その後の事はよく覚えていないけど、その日も瀬黒は一人で下校していたようで、西岡と瀬黒は駅の周りを散策した覚えがある。空き地に無数の吸い殻の溜ってるのを見て暴走族の痕跡と決め付けたり、1本の傘と1枚のハンカチを共有する男女の他校生を眺めたりしたのを、西岡は40過ぎのおっさんになっても覚えている。ところで、西岡はこの日、瀬黒と分かれるまで、彼の本当の名前を知らなかった。なぜなら、瀬黒が貸してくれた傘には、別の氏名を印字した紙がセロハンテープで貼られていた。瀬黒は西岡の耳元で「この傘はパクった、返さなくていい」と言って、それから耳元を離れて本当の氏名を名乗った。西岡は、この傘を39歳になるまで捨てずに暮らした。西岡は39歳の時、この傘が実家の物置で他の物たちと束になって、粉塵と埃でドロドロに汚れていたのを見付けて、束のまま粗大ゴミに出した。
誰かの氏名が印字された紙は、あの日のうちに、西岡の実家の近所の側溝の小さな濁流へ消えている。「中村真人」という、画数が少なくて、取って付けたようなシンプルな氏名を西岡は今でも覚えている。そして西岡が、この名前を学校で見聞きした事は一度も無い。「中村真人」なんて名前の人は本当に居るのだろうか。或いは、瀬黒が自作自演して、西岡に傘を贈ったのだろうか。だとしたら、いったい何のために?