1999年9月16日(木):武道スナッフ
雨傘をガコンッと傘立てに置いて、西岡は個室ビデオ店の店員に武道のビデオを探してもらった。
ビデオを再生した西岡は先ず(ありゃっ!?)と思った。定点で撮影されている6畳弱の広さの和室で、刀を抜いた和装の中年男は、西岡から見れば武道の素人だった。刀は送り鞘・引き鞘で抜くものと思い込んでいた西岡は、画面の中の男が刀の柄を大きく前方に出しながら腰を少し曲げて抜刀した姿を観て、それをてっきり素人だと思い込んでしまったのだ。そして刀を構える、和装の男。(あれっ、剣道か?)。無理もない事だが、この時点でもまだ西岡は、このビデオが武道ビデオだと思っていた。今まで見た事のない独特の雰囲気をまとった和装の男。西岡は引き込まれるように画面に見入った。
和室の奥には鉄扉があり、汚い格好の中高年の男たちが2人か3人、開いた扉の向こうに居て、彼らと同じような風体と年恰好の1人(以降、甲)を押し出して、勢い良く鉄扉を閉めた。和装の男(以降、乙)は左手で刀の柄頭を握って、右手をクイックイッと振る。すると、刀が大きく揺れる。これは怖い。そして刀の切先が甲の右肩(※向かって左側)に隠れた。壁に沿って跳ねる甲。西岡は(甲の服で刀が止まったのか)と思っていたが、すぐに甲の着衣の裂け目から赤黒いシミが現れて、それは見る見るうちに拡がった。西岡が驚愕している間にも、画面の中では、乙が刀の物打ちの部分で甲を追いかけていた。逃げようとする甲に先回りする乙。フェイント攻防になる両者。パニック状態なのかメトロノームのような動き方になり、頭が双葉のように見える甲。乙を取り押さえようとしたのか、乙に向かって行く甲。甲の腕を狙って刀を振り回す乙。刀が少し当っただけで甲が大きく退くので、ボーッと画面を眺める西岡にも、武道的に見て甲がすんごく不利なのだけは分った。
甲には切創が多い。激痛で意識が遠退いたか、かなりの血を失ってる事から血圧の変動か、それとも単に恐過ぎて立ってられなくなったのか、甲は畳の上に座ってしまった。(大した度胸だな、それとも何か狙っているのか)と西岡は呑気に考えて視聴していた。乙は下段構えになり、甲に接近。己の傷口を取っかえ引っかえ2本の手で軽く押さえて、もう叫びもせず震えている甲の側頭部を、乙は刀の鎬でボゴッボゴッと叩いた。その音は大きくて、余韻というか、歯切れもキレイとは言えない。画面の中は密閉度の高い室内か、それとも地下に位置しているようだ。不意に乙が、すごい勢いで甲の腕部を突いた。甲の腕部の向こう側がキラッと光った。刀の切先が血液の雫を弾いて、白い室内灯を反射した所為だろうか。刀の無情かつ確かな貫通力を見て、西岡は戦慄した。乙の突きのスピードは速かったし、何の兆しも見て取れなかった。乙の腕前は、完全に素人の域を脱している。甲は、新しくできた患部に、もう片方の手を這わせて、口をパクパクした。声なき声に力を(笑)。乙は甲の横に踏み込んだ。西岡が(あっ)と思う間に、画面の中で乙は膝を片方、畳に着けた。それから乙は刀を片手で持って、振り下ろした。それからすぐ、乙は再び両手で刀の柄を握った。甲の頸部は断じられた。乙が顔を上げて鉄扉の小窓を見ると、小窓から顔を見せていた中の人がパッと姿を消した。それを乙は意にも介した素振りなく、鉄扉の反対側の方の誰かとハツだ何だと焼肉屋さんのような話をしていた。その話の途中で唐突に映像が終わった。西岡は唖然としながらも、映像の中の和室の壁紙の柄に想いを馳せていた。どこかで見た事があると思って、それを思い出そうとして、いろんな場所のことを思い出そうとしていた。あるいは、武道のビデオと思って掴まされたのが悪趣味なスナッフで、しかもそれを最後まで見てしまったものだから、西岡は心を守る為に現実逃避をしていたのかもしれなかった。