第十話 病夢の女獣と二人の姫
広い空間に魔力が巡っているのがわかる。封印され溜め込まれた魔力の渦が、広間の中央で眠る人物を逃すまいと圧迫している。四方の台座には結界の魔法陣が刻み込まれていて、ダンジョンの魔力を吸い上げ、永続的に封印が続く仕組みになっていた。
「あれってバアルト達と同じ封印だよね」
ハープが嫌そうに言った。結界の魔力の質は以前見たものと同じだ。目が醒めているのかどうかの違いはあるけれど、封印されている人物は彼らと関わりがあるものだろう。
「結界を解いたらどうなるんだ」
ノーラが不安そうに剣を構えてレガトに尋ねる。ハープ達の会話から、察してはいるのだろう。魔力の圧力は、封印を解こうとする侵入者にも向けられている。
「人の姿をしているけれど、完全に解放されるまでは襲うように呪いがかけられてるから注意してね」
ハープとホープを先頭にスーリヤ、コノーク、タンキが進む。ノーラはエメロとヤメネとファウダーの近くに控え、レガトとリモニカが広間へ入る。
「あれを壊せばいいんだね」
スーリヤが結界を発生させる装置を躊躇いなく壊す。魔力の風で吹き飛ばされそうな勢いで結界が弾ける。
「······」
寝台に横たわっていた人物が静かに目を醒ました。いつからこの地に封じ込められていたのかわからない。グローデン山脈という魔境と、地底に潜む暴君に守られて、この人物は誰にも見つかる事なく眠り続けていた。
「ワタシはアナート。貴方たちは邪教の徒ではないようだけど、どちら様かしらネ」
別の意味で、圧が強い。冒険者にたまに見受けられる、触れてはいけない類の人物だ。あの男の家系はどうなっているんだろうか、レガトは直接問いたくなった。いや、帰りたくなった。
女商人リエラもそうだが、母レーナはこういった人物が苦手だ。二つの手記の近づくな、行くなは正しかったのだと、今更ながら後悔した。
「レガト、結界を壊す前からわかっていたでしょう」
スーリヤが指摘する。図星だった。バアルトからは姉の話しは聞いていた。立ち上がった姿を見る限り、巨人ではなくて、大型の人族に間違いない。ただ魔力による圧力と見かけの威圧感に、大きく見えるのは確かだ。
「アナート、その名前はバアルトの姉アナートで間違いないかい」
レガトは勇気を出して、人型でも化け物にも見える人物に話しかける。
「バアルトを知っているのネ。ワタシ、あの子を捜してアスターと旅に出ていたはずなのヨ」
バアルトの『姉』で間違いないようだった。性別的にはまだ判別出来ていないのだけど、凄味というか圧力が高まって来て、それどころではなくなりそうだ。
「話しの続きは後にしましょ。クソったれの邪教徒こそ皆殺しにしてやりたいワ」
アナートの姿が変わってゆく。額の左右上部から牛の角のようなもの、口元は牙が生えて来る。同じように背中から四つの翼が生えてきて、馬の毛のような体毛に覆われる。指も猛禽類の鋭い爪に変わる。
「我が名は、ラバルトゥなり」
アナートであったものは羽ばたきと共に飛び上がり叫ぶ。病夢の女獣は、上方で声高に自らの名ををそう冠した。
「見た目、あんまり変わってないよね」
「異教徒の連中も、まともな感覚が残っていたんじゃないかな。あれ、いじるよりそのままの方が怖いし」
「レガト、ハープ、のんびり会話してないでよ」
病夢の女獣が口から唾を撒き散らした。落下中に分散して酸と猛毒まじりの雨を降らせる。ファウダーが警戒して結界で防いだものの、触れた所から魔力が溶かされる。
「魔法防御を溶かす酸だ。盾で防ぐにも、魔法で膜を張れ」
霧のように漂うものもあって、対処が面倒だ。ホープが風で一掃し、スーリヤが跳ねる。病夢の女獣は、魔力を纏わせた爪でスーリヤの魔剣を弾き、至近距離からの風の刃を乱発流でスーリヤを攻撃した。
スーリヤへ対処する隙を狙って、タンキとエメロが牽制の矢を放ち、魔物の翼を狙う。それぐらいではダメージがないのを承知で次々と矢を射る。
魔物は傷を負わないのがわかると、正面で防御一方になるスーリヤを再び狙う。スーリヤの炎の剣には浄化の力も備わっているので嫌っているようだった。
リモニカの放つ矢が魔物の肩口を抉るように貫く。いくつかのダミーの矢に紛れ、魔力と筋肉の壁を破る矢を撃ったのだ。
「弱そうなのにこれだから女は嫌ヨ」
やはり魔物化しても、あまり変わらない感じのアナート。倒したらすぐにでも弟に会わせてやりたい。カルジアの変態の集いに相応しいよね。またカルジアの心が病みそうだけど、このアナートは病夢の名を冠するくらいだから、気の病も治してくれるよ。
強いし、タフだけどバアルト達の時と同じで力を抑えてくれているので、ハープの重力魔法とノーラの追撃、そしてスーリヤのトドメで病夢の女獣は陥落した。
高所から墜落し頭を打ったので、アナートの復活は危ぶまれた。そのまま永眠したのなら、それは仕方ないかと皆思った。
「残念ネ。あれくらいでは死なないわヨ」
いや、正確には異教徒達により呪われた病夢の女獣としては死んでいる。相変わらず、嫌な仕掛けだった。
「それで、貴女の記憶はどれくらい残っているの」
切り込み隊長のスーリヤが、見た目の圧を無視して尋ねた。
「さっきの続きネ。まず弟は、バアルトは無事なのね?」
「無事だ。ティフェネトと結婚して子もいる」
スーリヤに脇腹を肘で突かれたので、仕方なくレガトが前に出て話し出した。
「あの雌豹のような女とうまくくっついたのネ。アスターが悲しむワ。あっ、アスターはワタシ達の妹よ。アスタルトって言うのヨ。襲われた時にあの娘は何とか逃がしたの」
アスタルト、愛称がアスター。アナートは失踪し行方不明となったバアルトを捜して冒険者達と旅に出ていたと言う。当時の様子はバアルト達からも聞いていたけれど、アナートの方が捕まるのが遅かったせいか、異変が起きたことまで知っていた。
「内海というのネ。あれは間違いなくバアルトの暴走と、邪教徒どもの実験が絡んでいるはずヨ」
どれだけ膨大な魔力だったのか。海一つ出来ているのをみれば、語らずともわかるというものだろう。
「ワタシも西方で巨大な蠍の魔物の噂を耳にしていたからネ。当時の邪教徒に限らず国が大掛かりな実験を考え動いたとしてもおかしくないわヨ」
予兆は当時からあったとわかった。ここを研究室にしていたダイダラスも、巨人化の研究をしていたようだった。自分達の優位性を壊す存在を知り慌てていたのかもしれない。
「父様達はバアルトやワタシ達のいない間に、邪教徒達に攻められ殺されてしまったのネ」
「インベギアのダンジョンの深部に行けば、ひょっとすると真相が残されているかもしれない。それと妹のアスタルトだけど······」
「死んだのネ」
「貴女の予想するルートに、それらしきダンジョンは残されていない。もしかすると、ダイダラスという巨人族の男が保護し、妻に迎えた可能性はある」
現在ロブルタという王国にいる王子の名がアストリアと言っていた。取り巻く国々との情勢の悪化で、王女として生まれたものの、王子として生きねばならなくなった子だ。
そのアスト王子と呼ばれたいまや英雄は、男なのか、女なのか未だによくわからない変態なのだと聞く。バアルト達を見ているとロブルタ王家の血縁の中に、アストリア姫の血が残っていてもおかしくはない。
「ありがとう。貴方たちは優しいのネ」
背筋がゾワッとしてレガトは素直に喜べないが話しを続けた。
「真実を知りたければ、ロブルタ王家の宮廷錬金術師が、降霊術に近い形で魂を呼べます。彼女なら、アスタルト姫の魂か、真相を知るかも知れないダイダラスから話しを聞けるでしょうね」
レガトがそう伝えるとアナートは立ち上がりレガトに抱きついた。不気味さと抱擁の圧力でレガトは意識を失いかけた。そう、戦いはまだ終わっていないのだ。この邪教徒も恐れる悪魔のような人物を連れて、レガト達はしばらく行動を共にする事になる。
レーナがここを見つけながら、回りくどいやり方で放置した理由はこれでわかった。レガトに取って試練の旅が始まった。




