みちは…はなちゃんを…そして皆を…救った。
みちが俺達に振り返った。
「あなた達はさととまりあが守ります、ここにいてくれて構いませんよ。」
みちが微笑みを浮かべて外道に振り返った。
さととまりあが目を閉じて俯き、心持ち両手を広げた。
「あなたの魂を解放しに来たわよ。
落ち着いて。
私は敵じゃないわ。」
みちが外道に言うと外道が笑った。
「なんだよ上から目線だなおばちゃんよ~!
俺の魂を解放だと?
ふざけるんじゃねえよ!
俺の魂はとっくに解放されてるぜ~!
ひゃひゃひゃ!
おばちゃんで俺の趣味じゃねえけどストリップでもして見せろよ~!
ひゃひゃひゃ…ん?
なんだ?
なんだ?
おい!
気持ち悪いぜ!
俺に触るなよ!
俺に触るんじゃねえよ!」
明らかに外道が動揺している。
そして顔を引きつらせてその醜い芋虫のような体を捩った。
「なんだよ!
やめろ!
やめろやめろやめろ~!」
外道が声を上げるとともにオブジェに取り込まれて助けを求める犠牲者たちの声が小さくなった。
微かに部屋が揺れ始めている。
窓枠がカタカタと震えてカチカチと小さく音を立て始めた。
「大丈夫。
あなたは大丈夫よ。」
みちがやさしく外道に語り掛けた。
外道の悲鳴と共に部屋の揺れがだんだん大きくなった。
しかしそれは揺れているだけでなく部屋自体が不気味に歪み始めている事に気が付いた。
岩井テレサが服の襟を手でつまみ言った。
どうやら服の襟には緊急用に通信が出来るマイクの様なものが隠されているらしい。
「施設内部、緊急要員を残して退避!
みんな、その場を離れられない者を除いて全員地上施設に退避!」
しばらくして警報が鳴り始めた。
壁や床に走るひび割れが大きくなりながら俺達に迫って来たが、俺達の周りの床は無傷だった。
ひび割れは俺達のそばまで来たがそこで食い止められている。
さととまりあが俺達を見て小声で言った。
「大丈夫です。
ここは安全ですよ。」
「安心してください。」
そう言ってさととまりあは俺達に微笑んだ。
だが、その額は汗で光っている。
俺達はみち達を信じて無言で成り行きを見つめるしか出来なかった。
外道は相変わらずやめろ!と叫びながらもがいていたが、オブジェの犠牲者たちは完全に沈黙した。
その時俺の頭にビジョンが流れて来た。
美しい子供が花をあしらった、パジャマのような服を着た子供が窓の外の風景を見ていた。
窓枠には枝と葉がついたオリーブの実が置かれている。
窓の外の風景は良く判らなかった。
ただ、閃光と轟音と物凄い風が全てを消し去る様な激しい事が外で起こっているような…。
だが、部屋の中は全く静かだった。
男なのか女なのか良く判らない美しい子供がこちらを見て微かに微笑んだ。
「やめろってば!
それを見るなよ!
見せるんじゃねえよ!」
外道が叫んでいる。
その醜い芋虫のような体が妙な感じで波打っている。
警報が鳴り響き、相変わらず部屋は少しずつ揺れながら歪んでいた。
窓枠の歪みに耐え切れずに恐らくかなり厚いであろう、強化されたガラスが粉々にはじけ飛んだ。
俺は思わず身を屈めて破片を避けようとしたが、飛び散った破片は全て俺達を避けて行った。
「やめろ…やめてくれよ…。」
外道の叫びが少し弱々しくなった。
「あなたの事は判るわ。
あなたの真実の姿も判るわ。
誰かに歪められてしまって本来のあなたの…。」
みちが囁くように外道に問いかけた。
「ちがう!そんなんじゃない!
そんなんじゃない!そんなんじゃないんだ!」
外道の目から涙が流れている。
気のせいか外道の醜く膨らんだ芋虫のような体が細くなってゆく気がした。
「あなたは出会ったのね…2回。
でも、2回目の出会いは不幸な出会いよ。
あなたが望んだ出会いでは無いわ。」
「噓だ噓だ噓だ!
俺は支配するために生まれて来たんだ!
俺のアートに世界がひれ伏すんだよ!
俺のために世界が!」
「ううん、あなたは本当はそんなことを望んでいなかった。
あなたは初めの出会いで世界の美しさを、そして儚さを、守るべきものを知ったはず。」
「噓だ噓だ噓だ!
噓だぁあああああ!」
また俺の頭にビジョンが流れた。
見渡す限りの草原をあの美しい子供がオリーブの実を手に持って歩いている。
蒼く晴れた空の元、草原のはるか彼方には穏やかな海が見えている。
その横には何人かの同じ年くらいの子供たちが…そして悪鬼の表情の子供たちもいたが、子供たちはお互いの容姿など一切気にしていなかった。
穏やかな笑顔を浮かべて周りの風景を楽しんでいた。
少年のすぐ横にはあの外道の面影を残す少年と…そして、俺には判った。
外道の少年のすぐ横には生前のはなちゃんが平安時代の子供のような姿で歩いていた。
「目覚めたものには誘惑をしようとするものが現れる。
あなたはそれにそそのかされて…歪められてしまった。」
「違う違う違う!
俺は俺は俺の本当の姿を教えてくれただけだ!
俺の本当の望みを教えてくれただけだ!」
「それは違うわ。」
「違くない!噓だ!
噓だ噓だ嘘だ~!」
「噓じゃないわ、あなたは大事な人を失ってその隙に、その心の隙間に入り込まれたのよ。」
「言うんじゃねえよ!
それは言うんじゃねえよ~!」
「あなたが望みをかなえてもその人は喜ばないわ。
悲しくあなたを見つめるだけよ。」
「黙れよ!
チクショウ!
黙れよ~!」
喪服らしい服を着た外道の面影を残す少年の肩に手を置いて…あの樹海地下で見た創始者を名乗る者の姿が…。
また揺れとゆがみが襲ってきたが、俺たちの周りだけは無傷だった。
外道の化け物の体がはっきりと縮小し始めている。
拘置所に入っている外道の部屋に蜘蛛が入り込んで創始者の使いだと言っている。
「さあ、あなたの本来の姿に戻りなさい。」
みちが一歩前に踏み出した。
更に一歩前に。
俺たちを守る境界線の前へ出ようとした。
さとが悲鳴のような声を上げた。
「みち!駄目よ!
もう結界を広がられないし動かせない!そこから進んでは!」
マリアも叫んでみちを止めようとした。
「みち!駄目よ
守り切れない!」
みちがさととまりあに振り返り微笑んだ。
「さと、まりあ、その人達を守って。」
みちがもう一歩前に踏み出してさととまりあの結界から出た。
途端に閃光が走り、俺たちは思わず手をかざして目を守った。
みちの体に物凄い風が吹き寄せた。
みちの服がそこここで破れ吹き飛んだが、みちは歩みを止めなかった。
服の破れめからはみちの傷から出血が…。
「こちらに来なさい。
もう怖がらなくて良いわ。」
「チキショウ!
チキショウ!
チキショウ!」
外道が激しく身を捩った。
その体は徐々に変化してゆく。
外道が涙を流しながらもみちの方へ這いずって行く。
その間も外道の体は変化していった。
醜い芋虫の姿から華奢でひ弱な少年の姿になりつつあったがその両手両足は根元から消失していた。
「…お母さん!
…お母さん!」
外道の口から幼い声が発せられた。
みちは更に前に進み、窓際まで近づいた外道に手を差し伸べた。
「吉保、過ちは取り戻せないけど、きっと別の方法で取り返す事が出来るわ。」
みちが完全に少年の姿になった外道の頭を撫でた。
「お母さん!
僕!
…僕…。」
「大丈夫、もう大丈夫よ。」
窓際まで近寄り、窓枠に頭を乗せた外道の、いや少年はゆっくりと目を閉じた。
その目から最後の涙が一滴流れた。
外道は死んだ。
そして、外道から繋がっていた管が溶けて行き。オブジェを形作る為の蜘蛛の糸も溶けて行き、取り込まれた犠牲者たちの戒めも解かれていった。
「…済んだわ。
はなちゃんも戻ってくる。」
ゆっくりとこちらを振り向いたみちの顔を見て俺達は息を呑んだ。
みちの顔からはすっかりと色が消え失せ。水分がなくなり崩れかけた石膏像のようになっていた。
「あの辛い人達を助けてあげて。」
岩井テレサが気が付いたように襟のマイクに向けて救急班の要請をしている。
さととまりあがみちをじっと見つめていた。
「みち、お別れ?」
「みち、さよならなの?」
さととまりあがみちに言った。
「さと、まりあ、もう、姿を保てないわ。
皆さん、詳しい事ははなちゃんから聞いてください。
彼女はもっと見たはずだから…。」
みちがゆっくりと目を閉じた。
みちの体が徐々に白い粉となり、崩れて行った。
さととまりあが駆け寄ってみちの体を支えようと手を伸ばしたが、みちの体だった白い粉はその指の隙間を零れ落ちて行った。
みちはその身を犠牲にしてはなちゃんや俺達や、オブジェに取り込まれた生存者たちや…そしてあの化け物と化した外道も救った。
続く