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謎のシュメール人 ー 歴史探訪②

作者: JunJohnJean

       謎のシュメール人 ― 歴史探訪②


世界の四大文明の一つであるメソポタミアは、世界最古の文明であり、チグリス川(ティグリス川とも言う)とユーフラテス川流域の肥沃な土壌で生まれた。現在のイラクの一部にあたるが、これを古代メソポタミア文明と呼ぶ。紀元前6500年ごろからであるので、今から8500年前である。文明初期の中心となったのはどこからやってきたのかも分からない、いわゆる民族系統不明のシュメール人である。その後、紀元前3500年ごろから紀元前3100年ごろまで都市文明(都市国家)が発達した。これを担った人々もシュメール人だった。

彼らは太陰太陽暦*を用いた。六十進法もメソポタミアで生まれたものであり、現在でも時間の単位に用いられている。一週間を七日(七曜)にしたのもシュメール人である。

シュメール人のウル第三王朝が滅亡したのが紀元前2004年とされており、その後、シュメール人は忽然とメソポタミア地方から姿を消している。どこかに再登場したということもなく、シュメール人の持っていた高度な文明も失われているので、この王朝滅亡後、シュメール人は少人数に分かれて分散したというのが真実であろう。

分散したということを考えれば、そのうちの幾つかのグループは海洋民族になったとも考えられる。紀元前2000年と言えば、既にエジプトは造船技術が発達し、フェニキア人は航海術に抜きん出ていた。後者に限れば、フェニキア人はアフリカ大陸の喜望峰を見い出し、又、紅海、アラビア海から東回りでインド洋沿岸部まで到達したのではないだろうか?シュメール人が彼らの航海術を学び、遠洋航海に出発(船出)したと想像されるが、その時にフェニキア人も相乗りしていてもおかしくはない。

紀元前2000年ごろ、シュメール人が日本に来ていたらどうだろう?彼らは既に文字というものを持っていたので、石や岩にそれらを刻み付ける(岩刻文字)ということはできたはず。実際、日本でシュメール古文字と呼ばれるものがたくさん発見されており、このシュメール文字とは約4千年の昔、メソポタミアのシュメール帝国の繁栄時代の文字で「神々の名や祈願の言葉」を刻み込んだものだ。この文字は日本のみならず環太平洋地域**にも多く見られる。


岩刻文字をペトログラフとも言う。実際、日本で見つかったペトログラフは西日本の11ヶ所(山口県角島、同豊浦町川棚、下関市彦島、山口市鋳銭司、山口県吉敷郡秋穂、福岡県北九州市門司区、同小倉北区、福岡県粕屋郡外宇美町、福岡県豊前市、佐賀県江北町、大分県安心院町)で88個が発見されている。その88個のうち87個の岩に彫られたペトログラフが、皆シュメールのクサビ型文字やシナイ文字***である。


藤松と小倉:福岡の北九州市門司区の藤松、同市小倉北区の小倉松柏園ホテル ―

藤松で発見されたものが世界各地のものと同一であることが立証されたことにより、ここにも海洋民族が渡来したことが想定される。


淡島神社:北九州市門司区の奥田 ―

淡島神社のペトログラフ(古代岩刻文字)は昭和63年、参道の岩垣の両側から9月6日正午に見つかった。

正面に向かって右側の岩には、今から四千年前の古代シュメール王朝のウルク神殿に彫られている「七枝樹」(豊穣を祈る神の紋章)を中心に、大気の神、大地の神、大地母神などに「奉る」と記されている。

又、同様のペトログラフはポリネシヤ諸島、日本列島、イースター島、ニュージーランドにも分布している。


下関彦島:山口県下関市の彦島江 ―

清盛塚に近い杉田の住宅街の中に下関指定文化財「彦島杉田岩刻画」があるが、ここ彦島の杉田遺跡で岩刻文字、ペトログラフが1924年に発見された。この遺跡の岩から、合計三十個のペトログラフが検出され、それらの文字は、シュメール、バビロニア文字と北方ツングスのエニセイ文字系のものが入り混じったものである事が指摘されている。その多くの文字は、紀元前2000年から紀元300年頃までの幅広い年代のものだが、発掘品がないために、絶対年代の特定は出来ない。しかし、古代のいつの時代か、シュメール文字を知っていた集団が何らかの形で彦島に上陸し、祭祀をした神殿ではないか、と推定されている。

注意:彦島杉田岩刻画の所在地は民有地につき、立ち入りが制限されている。

以上、ペトログラフの数か所の所在地と解説を含む。


シュメールで始まった文化は南北アメリカから日本を含む広大な環太平洋地域に伝播しており、コロンブスが「新大陸」を発見する遥か以前に、シュメール人だけではなく、イベリア・シナイ・フェニキア人なども「新大陸」にペトログラフを残している。後日、日本の縄文人たちにより、ペトログラフが環太平洋一帯に広がったとも考えられる。

4000年前にごく一部の民族の移動があり、3500年後には第二波の大航海時代(西暦1500年頃)、次いで、数千年後には、第三波の地球民族大移動があってもおかしくはないだろう!

挿絵(By みてみん)

ウルのジッグラト(エ・テメン・ニグル): 紀元前2100年頃、ウル第三王朝のウル・ナンムが建造したとされている。三層構造で基壇上に(最上部に)月神ナンナ(Nanna)の至聖所があったが、破壊された。エジプトのピラミッドは王家の墓だが、シュメールでは神殿として築かれ、そこで重要な祭祀が執り行われた。


*太陰太陽暦(英: lunisolar calendar)

太陰暦を基とするが、太陽の動きも参考にして閏月を入れ、月日を定める暦(暦法)のこと。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

**環太平洋地域(Pacific Rim)

太平洋そのものと辺縁に位置する国々や都市、島々を含む地域を指す。環太平洋地域はその名の通り環太平洋火山帯と大きく重なっている。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、2022/06/23 00:15 UTC 版)

***シナイ‐もじ【シナイ文字】

《Sinai inscriptions》1905年、シナイ半島南部で発見された初期アルファベット文字。前1700年ごろのもので、フェニキア文字の原型に近いものと推定されている。(デジタル大辞泉「シナイ文字」の解説より)

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