神宮寺樹璃愛もしくはジュリア、ジュリィ
恋人とその同僚から見て
あの夏の日、私はどんな表情をして、突っ立っていたのだろうか。
私のこころはあの時空っぽで、いっぱいだった。何にも感じないのに、ぐちゃぐちゃになった感情だけが湧き上がっているのだけは分かった。
そんな自分を誤魔化すように、何か言いたいのに、言葉が出ない。
最初は夢を見ているのか、自分は死んだのかどっちなのだろうかと思った。あの世界はあまりにも驚きと、知らないものに満ちていたから。
そして私たちは、宿題を出されるように、使命とやらを渡された。冗談じゃなかった、なんで私が、知らない世界の、知らない国の、知らない人たちのために頑張らないといけないのだろうかと思った。何とか、逃げられないか、サボれないだろうかと真剣に考えていた。
みんながなんでこんなにも真面目に頑張れるのか理解しがたかった。私は使命とやらを最後まで正しく理解できていなかった。でも、みんなが頑張るのなら、友だちが頑張るのなら頑張ってみるかというノリのようなものだった。
そんなぬるい気持ちで挑んではいけなかった。私は本当に馬鹿だった。
むせかえる緑と土のにおい、耳がつんざく蝉の声、夏の暴力的なまでのいのちの勢いに押されるように、私はゲロを吐いた。
『はーい、愛しのジル。今日も最高に美人。素敵なあなたとハグもキスができないのが残念』
「ふふ。ジュリィもいつも通り世界一チャーミングな笑顔ね」
ドリンクをあおっていると、流れるようなブルネットのジルが楽しそうにビデオ通話をしていた。いつもクールな彼女が弾むような笑みを見せるのはただ一人だ。
「よお、ジル。今日の恋人との語らいは明るいうちにできたみたいだな」
「あら、ロニー。それ本日何杯目の砂糖水?」
「砂糖水なんかじゃないよ、命の水さ」
『あー、冷たい砂糖水いいなぁ』
画面に映るのは、アジア系の女性、どこか気怠そうな雰囲気を纏った彼女は、ジルの恋人だ。肩口まであった髪は、ベリーショートになっていた。すっきりとした輪郭があらわになっていてよく似合っている。
俺が知っている日本人のイメージを覆すようなユニークな女性だ。常にへらへらとした軽薄そうな笑みを浮かべていて、誤解を招きやすいが、それが彼女であるとしか言いようがない。つかみどころのないその自由さをジルは愛していると言っている。
「ジュリアは今どこにいるんだい?」
『んー、わかんなーい。アフリカのどっかなのは確かだよぉ』
「もう、ジュリィったら……来月には帰ってこられるの?」
『無事にヨハネスブルグにつけるか次第かな? ジルの誕生日だもんね、帰ってこれるように努力はするー』
うっとうしそうに飛んできているハエを払う姿に誠実さというものは感じられない。
このジュリアという女性の職業は、一応フリーのライターらしい。取材という名目でふらふらとしている。本当にライターとして働いているのかかなり怪しい。ジルと同居しているというより、ジルが彼女を食べさせているような状態だ。食べさせてもらっている身分のはずなのだがそこには卑屈さや相手に対する媚を売るような態度がまるでない。ここまで堂々としていると愛玩動物のようである。
『ねえ、ジル。いろいろあってけっこういいダイアモンドの原石、ゲットしたんだけどさぁ。何にしてほしい? 誕生日のサプライズプレゼントなんだけど』
「ジュリィ、言ってしまったらサプライズじゃないでしょ?」
『あ、やばー』
やっちゃったーと、反省の色が感じられない声色でわざとらしく頬を掻いていた。
「あなたが私に似合うと思うものをお願いするわ」
『えー、そんなん無茶だよ。つやつやのきれいな髪につけるバレッタにしてもいいし、その形のいい耳飾るイヤリングにしてもいいし、きめの細かい白いお肌で光るネックレスにしてもいいし……私のジルはすっごい美人だから、何でも似合うから迷うよ』
「たまにはジュリィも悩むということをしなきゃだめよ?」
『ええ~……あ、ロニー。君は何が似合うと思う? 君に一任するわ』
「ジュリア……少しは自分で、考えなよ」
『3秒は考えたよ』
「まあ、ジュリィにしては考えた方ね」
『でっしょ~』
「ジル、あまりにもジュリアに対して甘すぎじゃないかい?」
「いいの。ジュリィはジュリィだから」
ジルは会社の中でも頭一つ抜けて優秀な存在である。彼女が提案したプロジェクト、開発したシステムのほとんどは大きな成果を生んでいる。
会社共有の彼女のスケジュール、彼女とミーティングをしたいからと、空きができないかと注意を払っているひとも少なくない。他社からも熱いラブコールを受け、感情的になることなくクールに仕事をこなす彼女をここまで、甘くとろかすのはこの軽薄そうな恋人を置いて他にない。
アジア系独特の彫の浅い平たい顔立ち、容姿としては整っているほうだと思うが群を抜いてというまではない。それ以上に、にやにやとした独特の笑顔が、彼女として強く印象に残る。なんとも表現しがたい女性だ。
『ねえ、ジュリア。ずっと誰とお話してるの?』
『ん、恋人とその同僚』
ジルの誕生日プレゼントで話を進めていると、実に扇情的な下着姿のアフリカ系の女性が登場した。しかも、ジュリアしなだれかかる様に。
「ジュリィ……あなた、また……」
『あはは、ルイーズはただのガイドだよ』
浮気するならもっと上手にすべきだ。俺が記憶する限り、色恋沙汰で銃声がとどろいた例は珍しくない。
ファッション・ウィークに出演できるだろう美人を恋人にしておきながら、プレイボーイの表紙を飾れるだろう美人と堂々と浮気するその感性が信じがたい。
「もう……帰ってきたら……うんっと、お仕置きするから覚悟してなさい」
『えー、どんなお仕置きか、楽しみにしてるね』
あはははと、実に軽い笑い声をあげながら自身にしなだれかかる美女の腰を撫でまわす。
ジルはあきれながらもジュリアの浮気には慣れているのか、困ったようにため息をついただけだった。
「ジル。外野が人の色恋にとやかく言うのはどうかと思うが……言わせてくれ」
「うん」
「君の恋人は少し自由すぎやしないか?」
「そういうとこが好きになったのよ」
自身の趣味の悪さを分かっているのか、ジルは実に魅力的な笑みで笑った。
きっとジュリアはこの美しい恋人に愛されているという、確固たる自信があるのだろうと思った。