血筋
―よく寝たなぁ。
ううん、と目を開けた仁亜は眼前に真っ黒い両眼をとらえ「ヒェッ」と小さく叫んだ。
アイザックさんか。相変わらず神出鬼没だな。
その後は事情がよく飲み込めなかった。
宿に着いて部屋で食事を取った時も、窓を開けて外の景色を楽しんでいた時も、常に彼がそばにいたのだ。無言で。なんだこの空気。
怒ってるのかなと思ったが、顔をよく見ると少し眉尻が下がっている。むしろ逆だ、叱られてしょんぼりしている犬みたいだった。失礼だけど。
あ。トイレ行きたいと思って立ち上がると、彼もついて来ようとしたので限界だった。色々と。
「ニア、どこへ行く?」
「…お手洗いですけど」
「そ、そうか…」
「あの、私また何かしでかしたんですか?
さっきからずっと黙ってくっついてきて」
すると彼はボソッと言った。
「………許さないって言ったから」
「え?」
「君が馬車の中で気絶していたのに、俺が予定通り来なかったせいで発見が遅れた。
すぐに詫びたが『絶対に許さない』と言われたんだ。俺はどうしたらいい?」
「は?気絶してたんですか?!寝てたんじゃなくて…?!」
全然覚えていない。あ、そういえば夢の中で誰か叫んでいたような…。
ていうか、何を許さなかったんだっての。
「あー、ごめんなさい。寝ぼけて変な事を言っちゃったみたいです。別に怒ってませんよ」
「そうなのか?なかなかの怒声だったぞ。
近くにいた従者がずっと震えていたくらいに」
「…そんなにですか?」
どんな怒り方したんだよ私…。明日謝ろう…。
誤解が解けた所で就寝時間となった。
部屋はそれぞれ別で取っていたのだが、アイザックさんは私が心配なのか何度も「俺も側で休もうか」と聞いてきた。いやいや、緊張で眠れなくなるからやめてくれ。
私もベッドに横になりながら何度も「大丈夫ですから」と返した。
あまりのしつこさに「いい加減……大丈…夫…で…………(スヤァ)…」と返事しながら寝てた、と思う。
というのは気づいたら朝だったから。お昼あんだけ寝たのによく眠れたな私。
そして起きてすぐ、私の視界に支度を済ませたアイザックさんがいた。
普通に朝の挨拶をされたのだけど、まさかこの部屋で休んだのではなかろうか。ベッドの側にソファがあったけど。
なんとなく、聞けなかった。
・・・・・・・
クリステル家にはお昼頃に着いた。
伯爵家だけあってめちゃくちゃ大きいおウチだった。奥に見える庭も広い。
ただ、正直なことを言わせてもらうと殺風景だった。こういういい所のお宅って、やたらデカい絵画や花瓶、彫像とかあるものだと思ってた。しかしそういった調度品が一切なく、必要最低限の物しか置かれていない。家主の意向なのだろうか。
応接室に案内されると、1人の男性がいた。
「先日帰ったと思えばまた引き返して…せわしないな」
「申し訳ございません、父上」
(えっ、アイザックさんのお父さん?!)
この人がそうなのか。あまり仲が良くないという。
お父さんだから50代くらいだと思うのだけど、ずいぶん老けて見えた。疲れたような顔をしているからだろうか。美形なのにもったいない。
けれども顔や髪、そして目の色はアイザックさんそっくりだった。やはり親子なんだな。
そうじっと見ていたら、睨まれた。
「彼女か?話にあった渡り人というのは」
「あ、申し遅れました。私は…」
「悪いが忙しいのでな。用事が済んだらさっさと帰ってくれ」
あ゛あ゛?
…と言わなかった私を誰かほめてほしい。
久しぶりに感じる悪意にこちらも戦闘スイッチが入る。
「父上、彼女は…ニアは伯父上とフーミン様を知っているとの事で、今日連れてきたのです」
「…あの女の名前を出すな!話は事前に従者から聞いている。作り話にしては上手く出来ているな。アイザック、兄上と同じくお前も渡り人に誑かされたのか」
「はあ?!私がアイザックさんを騙しているとでも言いたいんですか?!」
「その物言い…あの女とソックリだな。まったく品がない。
何が目的だ?まあいい…息子を誑かそうがしまいが私には関係ない。
用件はそれだけか?日が沈む前に帰るがいい」
「父上…」
猫みたいにフシャーと怒っている仁亜と、ツンとしている父に挟まれ、珍しくおどおどしているアイザックだった。
だがしかし、仁亜が出したあるモノに状況が一変する。
「………へえー。そういう事言っちゃっていいんですかねー。せーっかくこんなイイものがあるのになぁー」
突然したり顔になった仁亜が背負っていたリュックから何かを取り出し、アイザックに見せた。
「どうしたニア…………なっ!なんだこれは!!見て下さい父上!!」
「何だ急に騒々しい……なっ!なんだこれは!!!!」
2人して同じ反応したわ。さすが親子。
仁亜が見せたものは一枚の写真だった。
高校卒業祝いにと自分で買ったインスタントカメラで撮影した。
左にイーサン、真ん中に制服姿の仁亜、右に富美江が写っている。在学中に旅館への就職が決まり、卒業式に駆けつけてくれたのだ。
スマホのカバーのポケットに入れていたのだが、まさかこんな形で役に立つとは思ってもいなかった。
「あ、兄上、兄上なのか?!この顔、髪色…間違いない!」
「フ、フーミン様なのか?!この顔、髪色…間違いない!」
二人して、大きな手で小さな写真をつかみ震えている。それにしてもいつまでシンクロするのだろうか。
仁亜はスッと間に入り写真を取り上げた。
「なんか盛り上がっている所悪いんですけど、忙しいと聞いたので私もう帰りますね」
「なっ…!ま、待ってくれ!仕事は明日に回す。今日は時間が沢山ある。詳しく話を聞かせてくれないか!…ええと名前は…」
「…仁亜です。ハァ…ずっと立ちっぱなしで疲れたので座らせてもらいます」
なんだかひどく疲れたので勝手に座る仁亜だった。




