初代渡り人フーミン
―仁亜がいなくなって3ヶ月経った。
旅館『喜楽』の女将である、嬉野富美江は椅子に座りため息をついた。
「ハァ…まさかあの子が転移しちまうとはねぇ…なんてこったい」
「そうだな。可哀想に、まだ20歳になったばかりだったのに」
「他の連中に『ニアは親族の家が見つかりそこで働くからここを辞めた』って伝えたけどさ、一体何人が信じてるんだろうねぇ。
皆何も聞いてこないけどさ」
「ニアは事情がある子だっていうのは皆知ってたからね。そこまで突っ込んだ事は聞かないだろう」
富美江の声に応じているのは作務衣姿の男。この旅館で板前をしている。
大柄で筋骨隆々、異国の顔つきに銀髪と、初見の客には度々驚かれている。
壮年の男性で貫禄がありながらも、常に皆を優しく見守ってくれるのでついたあだ名は『大将』だった。
「いや、本当に転移したかも怪しいねぇ。あの国とも限らないし。昔に比べて私の力は弱くなってるからさ」
「でも生きている反応は感じるのだろう?それだけでも良かったよ」
「感じるだけで確証はないさね。もし反応が消えたらと思うと…気が気じゃないよ」
そう言って、富美江は静かに立ち上がった。
「…そろそろ、ここを去る頃合いかねぇ」
「!フーミン、それは…」
「元々前から決めていたじゃないか。
お玉もそのつもりで雇ったんだ、あの子ももう立派な若女将さ。いつでも私の後を任せられる」
「…君はそれでいいんだな?」
「最近体があちこち痛くなるからねぇ。治りも遅いし。どのみち長くは働けないさ。
まだ体が動くうちに色々な土地を旅して巡って、ニアを探すのもいいんじゃないかい?」
「なら俺もついて行くよ」
「イーサン…あんた…」
イーサンと呼ばれた男はウインクした。男がよくやる癖で、その度に女性客がざわめき、富美江は少しだけ嫉妬するのだった。
「愛しい妻に一人旅なんて危ない事はさせられないよ、フーミン。どこまででもお供するよ」
「なっ、あんたって人は…もう!
休憩時間中でも此処は職場だよ!『女将』って呼ばなきゃ他の連中に示しがつかないじゃないか!」
「ハハハ、悪い悪い」
イーサンは笑いながら、そっと富美江を自分の胸元に寄せたのだった。
・・・・・・・
…場所が変わり、仁亜がいる寝室。
彼女はレモン水を吹いた後始末に追われていた。アイザックの怒涛の質問攻めに遭いながら。
「ニア、本当にフーミン様を知っているのか?!」
「知ってるも何も、私の雇い主ですから」
「彼女は生きているんだな?!」
「女将さんは…今55歳だったかな、元気に働いてますよ」
レモン水吹いちゃって勿体ない事したなぁ、とタオルでテーブルを拭いている仁亜に対し、その端っこに手をつき震えているアイザック。
「こんな、こんなに嬉しい事はない…。これで伯父上の安否も分かれば…」
「あのー、もしかしてなんですけど。その人イーサンって名前ですか?」
「!!な、何故それを!!ま、まさか!!」
「…旅館で板前、えーっと料理長って言えばいいのかな。やってますよ。
女将さんとは夫婦で、彼も元気です」
「 な ん と い う 事 だ !」
アイザックさんの震えがMAXになった。そしてその振動によりテーブルがガタガタ揺れ、レモン水の入ったグラスが倒れた。
幸い割れなかったけどまたテーブルが汚れた。もう一回フキフキする。
「なんかその…ごめんなさい。最初にお会いした時に色々お話ししていればよかったかも」
「いや、いいんだ…いいんだ…」
彼の目元にキラリとしたものが。あ、涙かも。
やだ、男の人の涙ってドキッとする。とりあえず拭ってあげよう。
「ありがとうニア。でもちょっと沁みるのだが」
「あ、ごめんなさい。これレモン水を拭き取ったタオルだ」
…私も動揺してたみたい。
「二人が生きていたと分かったのなら、すぐに父上と兄上に報告しなければ。
悪いが明日にでもここを出て、俺の実家に来てくれ。彼らに会って話をして欲しいんだ」
「えっ明日ですか!私は良いですけど…この城を出ていいんですかね?
まだ私の調査って終わってないみたいですけど」
「大方終わったと聞いている、朝になったらすぐ王に直訴して外出許可をもらってこよう」
「怒涛の展開!」
「よし、明日に備えて今日はもう寝よう。
ニア、本当に君には感謝しかない。では、おやすみ」
「は、はい。おやすみなさい」
パタン、とドアが閉まる。彼は隣室へ行ってしまった。あまりにあっけなくお別れしたので唖然とする。
でもあんなにコロコロ表情を変えるアイザックさんは新鮮だったな、とほっこりする仁亜だった。
※若女将になった「お玉ちゃん」は別のシリーズ『転生ロリ王女は脳筋王子をおとしたい』の番外編に出ています(宣伝)




