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重なる私の面接

作者: 麦子

 ある日から私は薄っぺらい紙のように重なるのが大好きになって、重なり続けました。私は私が私であるための重なりをあなたはどう呼ぶのか知りませんが、私はそれを存在確認作業と便宜的に呼びます、よろしくどうぞ。そして、私は今日も明日も明後日もその次の日まで、いえ、これは延々と継続的に行うものなのです。私というものを私の中に存在させることは簡単じゃないことぐらいはあなた方もお分かりになっていると思いますし、第一、ここがそうする場であって、あなた方はそれの専門家のような立場に立たれておられるのですから私の言わんとすることのおおよそは把握しておられるでしょう。だから私は本当にほっとしています。ほっとしているので私の座り方が多少は失礼に見えるかも知れません。でも、あるいはそれが私の自然体であって、偽りのない本当の私であります。偽りのない本当の私をお見せするのは恥ずかしいことではありますが、頑張っています。頑張って足を組みますし、肘掛けにももたれます。それにしてもこの椅子のクッションの柔らかさはすごく素敵です。私はこういう椅子が好きです。病院の待合い室にあるピンクのソファなんかも好きです。そんな柔らかくないくせに包み込むようなあの感じです。お分かりでしょうか。私にはすごくそれがよく分かります。当たり前のことですが、私にはその感覚のひとつひとつが分かるのです。二度言いましたが、特に意味はありません。

 つまるところ、私はもうこれ以上私であることに限界を感じているのです。もしくは私が私以下になることを恐れているのです。私以上って何でしょう。私はそれを探しますが、大体、どこを探せばよいのやら。手掛かりは私以外ないのに私がこう混乱しているのです。では何もしなければよい、という答えが自然と出てきます。私以下って何でしょう。私はそれを恐れていますが、それは実際に存在するわけではなくただ私が感じているだけであって、あなたにはそういうものの存在を確認することはできません。でも、でもです。でも私は事実、本当に恐ろしいのです。私以下になることを。だから重なり重なり私以下になることを免れています。私以上になる限界の限界まで重なり続けるのです。

 私はここまで喋って急にお腹が痛くなったので、「お手洗い行かせて下さい」と言ってトイレに行った。面接の部屋から出て右に進み、さらに左に曲がり、次は右に曲がればトイレに着いた。用を済ませて出てみると、ここからどう進めばよいかが分からなくなった。えっと、まずは左に曲がり、右に曲がり、そこから真っすぐ行ったところにある部屋。あれ、何番目の部屋だったっけ。私はそれを思い出そうとすると喉がからっからになったのでバッグからミネラルウォーターを取り出して三口飲み、あ、端から全部の部屋を開けていけばいいのだ、という結論を導いた。まずは1と書かれた部屋。鍵がかかっていた。中に誰かいる風でもなく、間違いだなと思った。2と書かれた部屋は明かりがついていた。あ、ここねと呟いてドアを開けると男と女が向かい合って話し合っていった。診察の途中であると思って、急いで「すいませんでした」と言ってドアを閉めた。そのドアが閉まる音のうるさいこと、とってもうるさい。3と書かれた部屋もまた明かりがついていた。ドアをゆっくり静かに開けると透明のプラスティックケースがずらずら並べてあって、それを行儀よくさらに並べ直している眼鏡の男がいた。彼はプラスティックケースに指紋がつくことを恐れずにひたすら並べていた。なぜかは分からなかったけれど、それが仕事なのだと思った。


 私は部屋に戻って椅子に座り直した。相変わらず、ぽすんとした椅子だった。

「あなたの言いたいことは分かりました。もう少し続けても構いませんよ」

 と女性の面接官は優しく言った。私はそれに甘えるつもりでいた。それは私の自己アピールタイムであり、活用するのが採用される近道だと思った。私は私自身のことを語ることを苦痛としていなくて、むしろ快感なほどに口から口から言葉はべらべら出てくる。そう、それが私を重ねること。私がより私らしくなること。

「すいません、もう少しだけ話させていただきます」

 と私は男性の面接官の目を見て言った。その面接官はゆっくり肯いた。

「私は私以上の存在になろうと、なろうと日々努力してきたつもりです。それが具体的にどういうことなのか、それをする必要があったのかどうかは分かりません。分かっていたならもっと簡単に私は私以上に私らしくなっていたと思うのです。

 こんな身を薄くして紙みたいにぺらぺらになって重なるだけなんて、つまらないでしょう。でも私にはそれぐらいしかすることができないのです。いえ、私は呼吸もしますし、ある程度体も動かすことができます。しかし、私は考えました。それは何も私の存在を決定づける行動ではなくて、ただ私は私以下の存在に近づいていくだけなのだと。ならば、ならば私は重なります。重なることがどうしても必要になってしまったのです。先ほどは何もしない、という答えが出てきたと申しましたが、私は重なりすぎた結果、何もしなくなったわけで、重なりのない等身大の私が何もしないのならそれは滅びを意味します。それぐらい私の考えていることは重大なのです。お分かりでしょうか? ええ、私は他人に一応同意を求めますが、これ自体に意味はありません。何にもありません。ただ単にこれは間を空けるためであります。その間を私は私を重ねるために使いました。私は私自身にこれでいいのだ、と言い聞かしていたのです。言葉は何も考えなくても出ます。他のことを考えながら、他のことを考えている風に装うことだってできます。私はそういうことが割かし得意です。暇があったら重なって、私はその間偽っています。

 あれれ。

 これってすごく矛盾ですね。私らしくなろうと頑張っている間、私は私を偽っています。何て皮肉なことなんでしょう」

 女性の面接官は時折私の言っていることを書き取っていたが、男性の面接官は何もせずに口を真っすぐに閉じて私を見ていた。私はそのことで余計に調子に乗ってしまった。べらべらべらべら。

「こんな皮肉、私は今の今まで気づきませんでした。それだけでも私はここに来てよかったと思います。私は重なることを苦痛としていませんし、快楽とも感じていません。ただ義務感があるのです。私の存在がなくなるのは嫌です。それはあなた方も同じだと思いますし、至極一般的な考えだと思います。私が私以上になること、それって何でしょう。根本からの問題です。私はこれまで簡単に私を重ねる行為について説明してきました。その説明には多々分かりづらい点があったと思いますが、おおよそのところは伝わっていると思います。でも、でも、根本の部分を説明していませんでした。というより、私に説明ができるのか、分からないのです。私らしさ、とは私自身が構築するものなのか、他人から見た抽象的観念なのか、ということです。あるいはその二つともが同時に並列されるのかもしれません。その中間地点に答えがあるのかもしれません。

 私らしさって何なんでしょうね」

 と私は訊いた。少しの間、沈黙。その隙に私は重なる。

「あなたらしさですか。それはあなたの感情や表情であったり、もっと大きな括りであったりするんじゃないでしょうか」

 と男性の面接官が真剣な顔をして言った。

「仮にそう考えてこれから話を続けて構いませんか」

 男性の面接官は黙って肯いた。女性の面接官は一旦手を休めて私の目を見て肯いた。

「仮に私の感情や表情が私らしさであるなら、私らしさは流動的なものです。私は揺るがない、というのは嘘です。私は激しく揺らいでいますし、それが固定することなんてありません。喜びは数秒間で哀しみにも変わり得ます。どうでしょう。私らしさは。私を重ねることは私らしくなることであると言いましたが、私を重ねることで私の感情や表情は複雑に変貌を遂げます。一瞬一秒で微妙な変化をします。あるいはもっと大きく変化しやすくなります。反対に私以下になったならば、私は感情や表情を捨てます。何もなくなります。この点において、この説はとても説得力がありますね。実際それは正しいからだと思います。私は感情や表情を捨てたとき、滅ぶと考えていますから」

 私は言い切ってすごく疲れていることに気がついた。こんなにもエネルギーを使うものなのか、と思った。しばらく休憩するために黙っていると、男性の面接官が「以上ですね?」と訊いてくるので、私は思わず、「あ、まだあります。まだ喋ります。というかもう一度一からお願いします」と言ってしまった。私が疲れている原因がこの喋り過ぎにあるのはもちろんだけれど、私の考えが整理し切れずにぐちゃぐちゃであることもその一つであると思う。私は左脳も右脳もどうしようもないぐらいにどろどろであった。目はちかちかした。

 私はもう一度最初から言葉をべらべら紡いでいった。二人の面接官は姿勢を崩さぬように努めながら私の方をじっと見ていた。瞳の奥の奥の方まで見えるような、そんな見つめ方だったので私はすごく照れてしまった。疲れてもいたし、唾も消費したので私はお腹を空かした動物園のおサルさんみたいな気持になった。それがどのような感情なのか、あるいは表情だったのか私はよく分からないけど、そう形容することは何よりも相応しい。

「お疲れ様でした」

 と女性の面接官が芝生のような声で言った。

「あの、その、結果はいつごろ発表されるんですか」

 と私は照れながら一生懸命に言った。ミネラルウォーターがバッグから呼んでいる。


 私は重なることがより私らしくなることだと主張した。私自身という形而上の存在を限りなく薄くして、私は私だと信ずることがそれを重ねるということであって、つまりは私が私以上に私らしくなること。ならその重なり続けた結果生まれた私というものは何か。私である。私以外の何者でもない。私が私以上に私らしく私になることは難しくもないけれど簡単ではない。確実に世界に存在を留めるなら多少の犠牲は必要であるし、嘘をつくこともせざるを得ない。でもそれが私であるから私は気にせずに生きていける。ただそれを拒むなら私は私以下の存在、それはとてもとても哀しいことだけど滅びるしかない存在。なぜなら私が私らしくなれずに私になろうとするのは矛盾しているから。その矛盾を抱えながら生きていくことはできない。私は常に私でありたいと願っているし、私は私であるという自負がある。その願いや自負を失った私って誰なのよ。そんなの誰でもない。誰でもないから存在すらない。滅んでる私。だから、だから私はずっとずっと私以下になることを恐れて嘘もつくし、見栄も張るし、私でない風に装う。でもそれをコントロールするのは他の誰でもなく私。意思決定している。

 私は私以下になることを激しく嫌い、でも私以上になることにもそろそろ限界を感じてきている。なら、その中間地点の私はどこに行ったの。私は何もせずにぼうっと突っ立っているだけなら私以下になると思う。それは私じゃなくてもできることだから。私という外見を纏えば誰でもできること。重なるっていうのは私が考えることなのかもしれない。こうやって考えているうちに私はますます分からなくなり、私自身を見失いつつあるのだけれども私が存在できるのはこういう風に訳の分からないことを考えているからではないか。矛盾。矛盾がいっぱいある。でも私はこの矛盾に関してはメヴィウスのリングみたくちょっとわくわくする。AがBでBがCなのにAはCでない。そこに何らかのブラックボックスのようなものがあってそれをうまく解消しているのではないか。私はそのブラックボックスの正体が何か全く知らないけれど、それに頼ることで矛盾さえも許してしまえる。私が等身大の私であることは私以上でも私以下でもない、ちょうどプラスマイナス0の私であると考えるのが一般的であっても、私は今の私が私の等身大であると考える。私以下というのは常に私を脅かしてはいるが、普段からこうやって私について私が考えれば何も問題はなくて、存在を確認していける。へえ、重なるって結構簡単なものなのね。


 私が面接の部屋から出たとき、ここからどう帰ればよいかが分からなくなった。とりあえず私はバッグからミネラルウォーターを取り出し三口飲み、あ、部屋に戻って面接官の人に聞こう、という結論を導いた。

 部屋に入っていくドアの音はかちゃり、ソファの印象がふっと眼前に。

私が私になった瞬間は生まれた瞬間であるけれど、私らしさ、を決定づけたのはいつ? らしさ、らしさって何が私の私らしさであるのかしらん。

私を追求しようとすればするほど分からなくなりました。本当にぐちゃぐちゃな小説です。お付き合いありがとうございました。

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