第9話 人目は憚ろう
四限目が終わり昼休みを迎えた。
うちの学校は進学校ということもあり、まだ二年生の秋ながら既に受験を視野においた授業が展開されている。それに伴って教室の空気も緊張したものになるが、そんな空気も昼食ともあって弛緩し、話し声が飛び交っていた。
授業が終わり先生が教室から出ると、菘は俺の席へとやって来た。そして購買かどこかに行っている香澄の椅子を拝借して俺と向かい合う形で座った。
俺は鞄から二つの弁当箱を取り出し、一つは菘に差し出す。
そして手を合わせていただきます。
「……え、じゃなくて。なんで菘がいるんだ? ていうかいつの間に俺の鞄に弁当仕込んだんだよ」
「朝、涼がトイレに行った隙にサッと」
「なるほどそっちはわかった。もう一個の質問に回答どうぞ」
「……嫌なの? 私とお昼ご飯を食べるが」
「露骨に寂しそうにするな。それで俺の心が痛むと思ってるのか?」
「痛むんでしょうね」
「ああ、痛いよ。俺だってこんな質問するのは本望じゃない」
「だったら受け流せばいいじゃない」
「いや、気になるだろ。急に一緒に昼飯食おうとするなんて」
意外に思われるかもしれないが、俺と菘は学校で摂る昼食はそれぞれの友達と過ごしていた。俺は香澄と、菘は友達の弥生飛鳥とだ。
「埴輪ちゃんはいいのか?」
埴輪ちゃんとは弥生飛鳥のあだ名だ。由来は安直で、弥生時代と飛鳥時代の間である古墳時代に出土する埴輪から。なぜ間を取ったのか、更にはそこから埴輪に飛躍した理由は俺は知り得ないが、少なくとも中学時代からそう呼ばれているらしい。
「むしろ飛鳥が言いだしたのよ。私は涼と食べるべきだって」
「埴輪ちゃんが……?」
教室をぐるりと見回す。お目当ての埴輪ちゃんは一人で弁当を食べていた。
視線に気づいた埴輪ちゃんは、俺に何故かサムズアップしている。
……ははーん、なるほど。
俺は感謝の意を込めて、埴輪ちゃんに親指を立て返した。
ようは、俺が菘に振られたことを知った埴輪ちゃんが気を利かしてくれているのだ。ぶっちゃけ同棲することになったので、一緒にご飯を食べる機会は珍しくもなんともなくなったのだが、その心意気はありがたい。
ありがとう埴輪ちゃん。家に埴輪、祀っておくよ。
「……私、嫌われちゃったかしら」
冗談でもなんでもなく、菘は切実に言った。
まあ数少ない友人から、突然別々でご飯を食べようと言われたら驚くのも無理はない。
「いや、多分あいつのことだから何も考えてないと思うぞ」
詳細な理由はぼかしつつも否定してやる。
「だといいけど」
「それとも嫌われるような心当たりがあるのか?」
「……」
「なんで黙る? え、あるの?」
いや、埴輪ちゃんの様子から察するに絶対菘の気のせいなんだけど。しかし、菘が何をやらかしたと自覚しているのかは気になる。
「飛鳥って、山科君のこと好きじゃない?」
「ああ、そうだな」
ちなみに埴輪ちゃんは俺と同じ恋煩いを抱えている。
香澄と埴輪ちゃん――弥生飛鳥は幼馴染なのだ。いつからそうなのか、どれくらいの関係なのかは詳しくは存じないが、二人がそう言うのだからそうなのだろう。
そんな二人のうち、明確に好意を見せているのが埴輪ちゃん側だけなのだ。
まあ、俺の見立てでは香澄もただのツンデレなんだけど。
とはいえ、外見上は埴輪ちゃんが片想いをしている構図であり、そこが俺と被る。
俺と埴輪ちゃんが仲良くしているのは、もちろん菘という共通の友人がいるのもあるが、それ以上に同じ境遇に身を置いているからだった。あとは菘は可愛いという共通認識を持っているのも大きい。
そんな二人で、お互い幸せになれたらいいね……、と慰めあう日々を送っている。
「私、その想いが成就するようにお手伝いを申し出てるんだけど、まだ何もしてあげられてなくて……」
「多分それ菘が出る幕ないけどな……」
あいつらが引っ付くのなんて時間の問題だろ。
いや、もしかしたら俺みたいに振られる可能性も無きにしも非ずだが。
「とにかく、私は飛鳥のために何かしてあげたいのよ」
「それなら香澄に何かアプローチする必要があるよな……」
「俺がなんだって?」
などと会話していると、パンを片手に香澄が購買から帰ってきた。
二人並んで食事をしている俺と菘を見比べて、
「お前ら、本当に告白して振られるイベントやったんだよな……?」
と、顔をひきつらせた。
「あ、山科君ごめんなさい。椅子返すわね」
「あー、いいよいいよ菘ちゃん。こいつはあたしが預かるから」
菘が立ち上がり、香澄と入れ替わろうとすると背後から朗らかな声が届いた。
少し明るめに髪を染めた(埴輪色と言ったら怒られる)、大きな目をした快活そうな女の子。埴輪ちゃんが香澄を羽交い締めにして連行しようとしていた。
「あ、おい! なんだよ飛鳥」
「はいはい、涼君と菘ちゃんの邪魔しないの~」
「わかったから、自分で歩くから」
ズルズルと引きずられていく香澄。
……埴輪ちゃん力強いなあ。
「ええと、いいのかしら」
「いいもなにも、あれは埴輪ちゃんが香澄と飯を食べたいだけな気もする」
「なるほど、なら一石二鳥ね」
「一石二鳥? 何を二つ得したんだ?」
「なにって、飛鳥は山科君とご飯を食べられてハッピー。それから私も涼と……、涼が私とご飯食べられてハッピー」
「そうだな、超ハッピー」
「でしょ、だから一石二鳥」
言い逃げするかのように、菘は弁当をまた食べ始めた。
埴輪ちゃんの方を見ると、香澄とわちゃわちゃ、もといイチャイチャしている。
あーんを拒否した香澄の口にパンがねじ込まれているところだ。なんて微笑ましいんだろう。
「したいの?」
その光景を眺めていると、菘から主語を欠いた質問が飛んできた。
「何を?」
「……あーん的な」
「そりゃあ、男の夢だよな」
「山科君は悶絶してるみたいだけど」
「あれは悶絶じゃなくて窒息……。まあ同じか」
「はい」
すると目の前に差し出された箸でつままれた唐揚げ。そしてそれは有無を言わさず俺の口へと侵入してきた。
「むぐっ」
「はい、これで満足?」
「なんで怒ってんの?」
「……涼は今私とご飯食べてるんだから、他のことは考えなくていいの。それでも私のこと好きなの?」
「え、好きだけど」
ここ数日で何回こいつに好きって言った? 惚気にも程があるような。
しかし、言霊を信じるわけではないが、口にしていた方がいい方向に転びそうな気持ちになる。
「だったら、もっと集中しなさい」
「じゃあ、明日から別のところで食べるか。どっか探せば、誰もいないとこあるだろ」
「明日も一緒に食べるの?」
そう言われてみれば、たしかに今日は特例だ。あくまで埴輪ちゃんの好意で俺は菘と昼食と共にしていた。
でも、埴輪ちゃんとしても香澄と居たいだろうし……。
「菘がよければな。埴輪ちゃんは許してくれるだろ」
香澄は知らん。
「まあ、その……。涼がそうしたいって言うならやぶさかではないわよ」
「だったら、決まりだな。そしたら今日の放課後時間あるか?」
「スーパーへお買い物に行きたいぐらいね。何かするの?」
「飯食う場所探そうぜ」
「あくまで二人きりにこだわるのね」
「どうせならな。それに」
「それに?」
「お相手が、他の子に気が散ることを許してくれないもんで」
「……誰のことかしらね」
さあ、誰のことだろうか。