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第7話 過去と今

 十月も半ばになり、長かった残暑も終わりを告げた。

 玄関の扉を開けば、爽やかな風が俺を迎える。

 鍵をかけ、一度だけ引いて施錠を確認した。

 使用した鍵は財布に入れた。しかし、俺の手にはもう一つ同じ鍵がある。


「はいこれ」


 それを先に家の前で待っていた菘に手渡した。


「これは、鍵?」

「そう、見ての通り。うちの合鍵。俺がいないと出入りできないとこの先不便なこともあるだろうから」


 昨日は菘が先に帰ると言い張るので俺の鍵を渡していた。しかし、毎回そのやり取りをするのも面倒なので、家の引き出しをひっくり返して合鍵を見つけたのだ。


「なるほどね」

「キーホルダーとかは自分でつけといてくれ」


 菘は俺から受け取った鍵を何故かじっと見つめていた。何もおかしなところはない、一般的な鍵なのだが。


「どうかしたか?」

「ううん、なんでも。ありがとう、失くさないように気を付けるわね」


 と言って、菘は大事そうに鍵を鞄の中へ入れた。その表情は見るからに晴れやかで、何がそんなに嬉しいのか俺にはわからなかった。

 

「それじゃ、行きましょうか」

「おう」


 二人で学校へ向けた、およそ十分足らずの通学路を歩き始める。

 それ自体はいつも通り、平常運転と言って差し支えない。特に語ることもない日常シーンに過ぎないだろう。

 しかし、今日はその意味が少し違った。

 いつもは、俺の家と菘の家――と言っても歩いて一分ほどの距離しかないが、その中間地点で落ち合ってから学校へ向かっていた。

 でも、今日は初めからその歩調を同じとする。同じ家から出発して、同じ場所を目指す。

 そこに大差はないかもしれないが、それでも何か感慨深いものがあった。


「涼、どうしたの? なにか嬉しそうだけど」

「菘と登校できて嬉しいなーって」


 そろそろ慣れてきたのか、俺もこんな歯の浮くようなことを簡単に言えるようになった。


「……? 毎日一緒に登下校してるじゃない」

「まあ、お前にはわからんさ」


 好きな女の子と同じ家から出ることの尊さはな。


「あら、意地悪ね。そんなだから振られちゃうのよ」

「もうその言葉には惑わされないからな」

「むぅ……」


 思ったより俺が動揺しなかったことが不満なのか、菘はむすっとしている。

 かと思えば、


「でも、そうね。こうやって一緒に登校できるのは嬉しいわね」


 と言い出した。意地を張って俺の言ったことを理解した振りでもしているんだろうか。


「無理やり納得しようとしなくてもいいんだけど」

「そんなことないわ。ほら、昔色々あったじゃない?」

「すまん、お前との昔は期間が長すぎて絞り切れない」

「あれは……、小学五年生だったかしら? 一時期、一緒に学校行かなくなった時があったじゃない」

「ああ……、あれな」


 菘の未だにざっくりとした説明。それでも俺は、菘が指している出来事を一瞬で把握をした。

 それは、俺が菘への恋頃をキチンと自覚することになった思い出でもあった。


☆ ☆ ☆



 男子小学生はアホだ。それも高学年となると輪をかけてアホである。

 一つ一つ羅列していけば枚挙に暇がないが、こと男女関係になるとアホさに拍車がかかる。

 もっとも、小学生に対して男女関係などと高尚な呼び方が正しいかどうかは些か謎ではある。けれど、女子に向ける感情や行動はそれまでと大きく異なる。

 それが何かと言えば、何かにつけては自分たち男子と比べ、侮り、特に理由もないくせに敵対意識を持つようになる。なにも男子だけの話ではないと言われるかもしれないが、俺は女子がどうだったかなど知らんのでここでは割愛させていただこう。

 とにもかくにも、高学年の男子小学生というものは自分は男だという自覚をびっくりするほど強く持つ。

 と、なるとである。女子と話しているのはもちろん、仲良く一緒に登下校などしようものならそれはもう煽られる煽られる。

 ここまで言えばもうおわかりだろうが、俺は思いっきりこの対象だった。

 仲の良い奴から名前すら怪しい奴まで、色んな人に菘といることを揶揄された。 

 菘と一緒にいること自体に疑問を覚えていなかった俺と言えば、それはもう驚きたじろいだ。菘はあまり気にしていなかったようだが、俺の心中は揺れることになる。

 端的に言えば、菘を選ぶか、それとも周りの男子に同調するかの二択だった。




「お、涼のやつまた長瀬と帰ってるぞ」「ヒューヒュー、熱いねえ」


 いつもと変わらない菘との下校途中。後ろから走ってきたクラスメイトが、俺たちを抜き去る間際にそう囃し立ててきた。

 もう、これで何度目だっただろう。学校でも、放課後でも。俺と菘が一緒にいるところを目撃したあいつらはいつも同じようなことを言ってからかってくる。

 別にいじめられているわけではない。話しかければ相手にされるし、なんなら普通に遊びさえもする。ただ、菘といる時だけああなのだ。


「……あの人たち、懲りないわね」

「そう、だな」


 はっきり言って、もうウンザリしていた。

 いくらその場限りであったとしても、毎度毎度指をさされ笑い者にされるのは不快だ。

 だから、俺は口にした。

 それを一瞬で解決する言葉を。


「俺さ、菘と一緒に帰るの辞めようと思うんだ」

「えっ……」

「それ以外も、学校ではあんまり話したくない、というか」

「……」

「ほら、菘もいやだろ? 毎回あいつらにあんな風に言われてさ」


 と、さも自分の考えが共通認識であるかのように、それらしい言葉を並べた。

 それに対して菘と言えば黙って俯いていた。

 しかし、少しの間を置いて、


「わかった。じゃあ、今日までね、一緒に帰るの」

「……うん」


 かくして、幼稚園の頃から続いていた習慣の一つは葬り去られた。


☆ ☆ ☆


「あの時の涼ったら、もうお前とは帰りたくないーだなんて。今だと嘘みたいよね」

「いや、まあ、その……。色々あったわけですよ、色々」

「ふぅん、まあでもあの後すぐに泣きついてきたわけだけど」

「……そうだったか?」


 なんか、若干記憶の齟齬があるような。


☆ ☆ ☆


 菘と共にいる時間を減らしてからと言うものの、それはもう快適だった。

 友達からはからかわれることもなくなり、安寧の日々を過ごしていた。

 放課後も今までとは異なり男友達とつるむようになり、その目新しさを満喫していた。

 菘と言えば、これっぽちも俺に近づこうとはしない。誰も全くの関係を捨てようとは言ってないんだけど……。

 まあ、菘なりに配慮してくれてるんだろう。それか、やっぱり菘も揶揄われるのが嫌だったとか。

 

「じゃあなー」

「おーう」


 級友たちに別れを告げて家路につく。今日は公園でサッカーをしていた。菘といると、こうしてスポーツに興じるのは難しい。あいつ、運動嫌いだからなあ。

「……」


 俺は、なんで菘のことばっかり考えてるんだろうな。

 さっきだってそうだ。サッカーをしている時、菘にもさせたらどうなるんだろうとか頭の中で考えていた。多分、コートの隅で縮こまってるんだろうな、なんて……。

 そんなことを思っていたからか、目の前を一人で歩く人影は菘だったことに気づいた。

 さっき、あいつらとは別れたし今なら話しかけても大丈夫だろ……。

 俺は歩く足を早めて菘に近づいた。

 けれど、その足は菘に声をかける前に止まった。

 気づいてしまったのだ。菘が、泣いていることに。出会ってから十年弱が経つが、菘が涙を流しているところなど、夜にトイレへ行くのをビビッている時ぐらいだった。

 つまり、悲しさからの涙を見るのは初めてだ。

 そしてその原因が何かなど、考える必要すらなかった。ここ最近、菘の身の回りで起きたこと。そんなもの一つしかない。


「……菘」

「えっ、涼?」


 驚いたように菘は肩を竦めながら振り向いた。やはり、目は充血し鼻も赤くなっている。

 それでも、必死に目をこすって菘は涙を隠した。それで隠し通せるわけがないのに。


「ど、どうしたの? 私に話しかけて大丈夫?」

「……」


 ああ、なんて自分は馬鹿なんだろうか。こんな風に、無理に笑う菘を見てやっと気づかされた。我ながらとんでもないことをしたと。


「菘」

「なに?」


 なんて言葉をかけようか。何を言っても、うすら寒い言い訳にしかならない気がした。

 それでも、動かなければ事態が進展することはない。


「ごめん」


 で、結局口をついて出た言葉はこれ。


「涼は悪くないわよ。ただ……、そう仕方がなかっただけ」

「だとしても、俺があんなこと言ったから……」

「言ったから?」

「菘が、泣くようなことに」

「泣いてないけど」


 などとしたり顔で言う。その目は、未だに赤いままだ。

 これは菘の優しさだ。俺に責任を感じさせないために言葉の上だけでも取り繕っている。

 そんな優しい子を泣かせてしまったことに、強い罪悪感を覚えた。俺のせいで泣いているのに、俺の為にまた嘘をついて……。


「俺、菘と一緒にいたい」


 だったら、せめて俺だけでも誠実であるべきだろう。今更かもしれないが。


「え、でもそれじゃあまた揶揄われるわよ?」

「それでもだ。というか、本当はずっと菘のことばっかり気にしててな。もうこれなら一緒にいればいいかなーって」

「そ、そうなの……」


 菘は俯き、顔を赤くした。いや、泣いていたので顔は元々赤いか……。


「まあその、涼がそういうなら」

「また、一緒に帰ってくれるか?」

「……うん」


☆ ☆ ☆


「今にして思えば、あれ告白みたいなものよね。小学生ならではのド直球」

「まあ、そうですね」


 実際、その一件で菘に対する恋心を自覚したところはある。

 その後は、しばらくの間またクラスメイトに揶揄われる日々が続いたものの、飽きたのかそのうち止んだ。


「でも、俺が泣きついたってのは語弊があるのよな。泣いてたの菘だし」

「泣いてないわよ」

「まだ言うか……」

「もう十年以上も前のことだもの、涼だって記憶があやふやなんでしょう」


 あくまでそういうことにしておきたいらしい。

 俺から仲良くすることを拒まれて泣いていたその過去を。

 ……あれ?

 あの当時、俺は申し訳なさから見落としていたが、そもそも菘は何故あそこまで泣いていたんだ。なんて、理由は一つしかない。


「お前、俺と一緒にいられないのがそんなに辛かったのか?」

「……あの時はね。あの時だけよ?」


 肯定。


「俺のこと好きだったとか?」

「そうだったんじゃないかしら?」

「なぜそこで他人行儀」

「小学生の頃の感情なんて、今は関係ないでしょう?」

「ま、それもそうか」


 小学生の頃から今までずっと両想いだと言うなら、俺の告白は成功しているはずだ。

 つまり、俺はあの段階で告白をしていれば菘と付き合えていたのだろうか。

 まあ、恋について右も左もわからぬ小学生にそんな甲斐性などあるはずもないのだが。

 しかし、これは大きな情報だ。

 菘には過去、俺のことを好きだった期間が存在する。それだけで希望が見えた。

 もし仮に、そもそも人間として端から好きになる要素がない、なんて思われていたら詰んでいたが、過去一度でも俺をそんな風に想っていたのならそれはないだろう。

 勝機、ここに見出したり。

 頑張れ、俺。


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