第6話 勘違い?
激動の夜を越え、カーテンの隙間からは光が漏れ出ている。結局、眠れぬまま朝を迎えてしまったようだ。
スマホで時間を確認する。六時をちょっと過ぎたぐらいだった。
隣の菘はまだ寝ている。あの後、ずっと抱きつかれたままになるのかと思ったが、流石にそのうち放してくれた。
――私も、涼のこと好きよ?
菘を見るたび、脳裏をリフレインする言葉。
俺は一睡もしていないので、あれが夢だったなんてオチは通用しない。あまりにも眠れなさすぎて幻影を見たのかもしれないが。
しかしその言葉が耳にこびりついている現状から鑑みるに、やはり気のせいだと捨てるにはあまりにも鮮明に記憶に残っている。
だが、だがである。
菘は俺の告白を、つい一昨日の夕方断った。それが一日もしないうちに心変わりすることなんてあるだろうか。
菘は明らかに寝ぼけていたので、何かと混同してそんなことを口走ったかもしれない。
……いやでも、思いっきり抱きついてきていた上に、その前に俺と話していることを明確に自覚していたはずだ。会話相手を俺以外の誰かと誤認していることはないだろう。
となると、もう一つの可能性は、好きの意味が俺とは違うことだ。
俺の菘への想いは異性としてだが、菘のそれは幼馴染に対するそれかもしれない。
というか、現状これが最有力候補だ。
本当に俺のことを好きな可能性は……、まあ捕らぬ狸の皮算用だ。あまり期待しすぎて落胆はしたくない。それにその場合は、やはり俺の告白を断った理由がいよいよ迷宮入りしてしまう。
「……起きるか」
ベッドから身を起こし、菘を起こさないように静かに降りた。
予期せぬ徹夜で疲労困憊だが、今日も学校はある。ぶっちゃけサボっても問題はないのだが、菘に心配されるのも嫌なので頑張って行こう。
一階に降りて洗面所で顔を洗う。流れる水はハッキリと冷たいのだが、残念ながらこの眠気を吹き飛ばすほどの力はない。
冷蔵庫にエナジードリンクとかないかな……、と探していると菘もキッチンに顔を見せた。
目をこすりながら、いかにもまだ眠そうな様子だ。
「おはよう、悪い起こしたか?」
「おはよう。ううん、大丈夫よ。普通にアラームかけてただけだから」
「こんな時間にか?」
リビングにかかっている時計は六時半を示している。
我が家から学校までは歩いて十分足らずだ。俺は毎朝七時半に起床して余裕がある。
なので起床するのには早すぎる時間だ。
「うん、色々あってね」
「そうか、女の子は大変なんだな」
「……なにか勘違いしてるみたいだけど、私はお弁当を作ろうと思っただけよ?」
「なるほどな」
余計なお世話だったようだ。
「でもその調子だといつもは起きるのもっと遅いんだろ?」
「まあ、あと三十分は寝てるわね」
「じゃあ無理して弁当まで作ってくれなくても大丈夫だぞ。購買か食堂があるんだし」
「いいのよ、私が作りたいだけだから。……と言っても、昨日の晩御飯作り過ぎたからメインはその残りだけど……」
申し訳なさそうに菘は言った。けれど、わざわざ早起きしてまで弁当を作ろうとする気概だけでも俺は感謝せざるを得ない。
「悪いな、そしたら俺もなんか手伝うよ」
「でも……」
菘は相変わらず俺が家事に手を出そうとすると渋い顔する。昨日の夕飯後の皿洗いでもそうだった。どうやら菘は、俺のことは全て自分がせねばならないという責任感に駆られているようだ。
「これから一年間、曲がりなりにも二人で暮らすんだろ? その家事を全部菘にやらせるのは面目が立たないんだよ」
「でも、私はおばさんから涼のこと頼まれたから……」
「好きな女の子の前でくらいいい恰好させてくれよ」
我ながらズルいとは思った。菘にだって俺を振ったことの罪悪感が多少はあるはずだ。告白の際にも「ごめんなさい」と口にしていた。これはそれに付け込む形になる。
「……わかった、でも涼はあくまで手伝うだけだからね? メインは私がやる」
「あいあい」
予想通り、菘は俺の体裁を守るために折れてくれた。
「そうしたら、涼は冷凍してあるハンバーグを解凍してくれる?」
「任された」
冷凍庫からラップで小分けにされたハンバーグを取り出して電子レンジへ。
……以上、すること終わり。
「朝ごはんにパンも焼いて欲しいわ」
「うん」
見かねた菘が更に仕事を割り振ってくれる。なんというか、やっぱり俺いらなくない?
しゃしゃり出て手伝おうとしたけど、菘が断る理由もなんとなく理解できた。
暇なので菘を観察することにした。手際よくほうれん草を切っていた。それを塩の入ったお湯にくぐらせている。
「……そういえば、夜のことなんだけど」
ビックリするぐらい下手な切り出し方に自分を呪いたくなる。
とはいえ、確認しない訳にもいかなかった。菘がふいに漏らした言葉の真意を。
「夜のこと……? うん、美味しい」
ほうれん草のお浸しを味見して菘は頷いた。
「ええと、菘お前夜中に一回起きてただろ?]
「夜中に? ごめんなさい、記憶にないのだけど」
「俺に思いっ切り抱きついてきて」
というと、流石の菘でも恥ずかしいのか顔を紅潮させた。
しかし、この反応を見るにやはり寝ぼけて無自覚だったのだろうか。
「わ、私そんなことしてた? 涼の勘違いじゃなくて?」
「俺も一応その可能性は考えてみたけど、やっぱり気のせいではないと思うんだよな」
「それは……。ごめんなさい」
「いや、謝られてもな」
むしろ俺がお礼を言うべきな気もするし……。
けど、つまり菘はあの時のやり取りを覚えていないということだ。
つまり最後に残した言葉。
――私も、涼のこと好きよ?
これは少なくとも菘の確固たる意志で発せられたわけではない。これだけは確かだ。
「私、変なことしなかった?」
「抱きつく以外には特になかったけど」
「けど?」
「なんか、俺のことが好きとかどうとかって……」
が、しかし。ここまでの俺が組み立ててきたのはあくまで仮説。一度告白して玉砕した身だ、直接に菘に問いただすのもありだろう。
ということで、昨晩のことを包み隠さず菘に伝えてみたのだが。
「それは……、やっぱり涼の勘違いじゃないかしら」
「ですよねー」
やはり、そんな都合のいいことはないらしい。
「……まあ、でも」
「ん?」
「もしかしたら、寝ぼけてそんな感じのこと言った可能性はあるわね。もちろん、寝ぼけて何か間違ったのでしょうけど」
「……そうか」
「ええ、そうよ」
「なあ、菘」
「何かしら」
「その鍋、大丈夫?」
「あ」
かくしてほうれん草のお浸しは煮詰まって塩辛く、とてもじゃないが食べられるものではなかった。結果弁当はハンバーグと米、それからなけなしの野菜となった。