6/酒乱の女豹
●居酒屋”ごくらく”/アルバイト先(夜)
酒は、身も心も軽くする。辛い出来事も、重たい気持ちも、タンポポの種のように宙に舞う。それゆえ、昔は酒を医薬品として扱っていた時期もある。
適度なアルコールは、今日の嫌な事を白く塗りつぶしてくれる。加えて過剰なアルコールは身も心、そして意識も真っ白になる羽目になるだろう。
「……宮子さん、大丈夫ですか?」
2人連れの男客が退店した後。その客の食器を片付けながら、横目で伺う俣野縁。4席ほどあるこじんまりしたカウンター。そこにうつ伏せで顔を隠す女性がいる。
蒼天寺宮子。時折、揺れるショートカットの黒髪。そこから覗く、赤い耳朶。最後の酒を飲み干してから、しばらくカウンターに伏せていた。
「あー? だいじょーぶ、だいじょー……ぷッ!?」
と、右手をひらひらと泳がすがすぐに止まる。両肩がせり上がり、もだえる様はまさに酔っ払いのそれ。片手で嘔吐を必至に抑えている。
何があったかは知らないが、今日も今日とて飲みすぎなのだ。席についた途端、中ジョッキ3杯。刺身やツマミに舌鼓を打ちつつも、酒は休む事なく焼酎をお湯割りで数杯。
ちなみに数杯という表現については、縁自身もあまり覚えていないからだ。縁がフロアの接客や料理を運んでいる最中、気づけば新しい杯や違う酒類を胃に流し込んでいた。
その酒乱に、厳つい顔の店主も眉を顰めるくらい心配する。もちろん縁も口には出していなかったが、フロアにいる時は彼女の様子にも気を配ったつもりだ。
そんなこんなで酒を飲み続けて1時間、うつ伏せ30分ほど。流石に閉店間近という事もあり、そろそろ彼女の処遇も決めかねていた時だ。
「縁、今日は上がっていいぞ。その泥酔女も一緒に連れてけ」
「いいですか、おやっさん?」
通称おやっさん。縁のバイト先”ごくらく”の店主。色黒な肌に、三分刈りの坊主頭。彫りが深い顔立ちで、泣く子も黙る三白眼。
余談だが、若い頃は近所のヤンキーなどからよく絡まれていたらしい。その古傷が、今も額に残っている。
「気にすんな。もうラストオーダー終わって、あと残ってるのはこいつ含めて常連のヤツばっかだ」
片付けくらい手伝わせるよ、と奥の席で飲みかわす初老の集団に目をやる。定年を終えた、近所の老人達だ。こうして嫁に呆れられながらも、逐一、皆で集まっている。
まさに阿吽の呼吸というのだろうか。あちらの老人達の数人、こちらに対して微笑んで頷いている。
「いいんだよ、縁ちゃん。コイツにこき使われるのは慣れてるから。なぁ!」
「ああ、店の事は気にすんな! それよか泥酔した女を送り狼するのも若モンの特権だぞ!?」
ここぞとばかりに、はやし立てる老人達。それにため息をつく店主。
「おいお前ら、そんな口は店のツケを払ってからいえってんだ!」
違えねぇ、と腹を抱える老人達。
「それなら、お言葉に甘えますね……」
「ああ、さっさと上がって、こいつを連れて帰れってくれ! 店の後片付けより、泥酔女の後処理の方がよっぽど面倒なんだからな!」
●住宅街/宮子の自宅(夜)
「宮子さん、ぜっ~たいに!! 吐かないないでくださいね!!」
バイクの運転をしながら、背後にのせた宮子に念を入れる。いつ吐いてもおかしくない人間を、背中にのせる時ほど恐ろしいものはない。慎重に宮子の自宅へ向かい、口から吐しゃ物が出ない事を祈るばかりだ。
次の信号。その角で、揺れを抑えながら減速して左折する。そんな小さな車体と身体の傾きでも、小さくえずく宮子。気にしていたらキリがないが、できるだけゆっくりと走る。
10分くらい走った頃。宮子の自宅が見える。分譲住宅らしい、似たデザインの建物が軒を連ねている。その1軒に『蒼天寺』と石造りの表札が飾ってある。家の中に照明はない。
当然か。両親が海外で働いているため、この家には彼女しか暮らしていない。親の放蕩、放任主義を口を挟むわけではないが、いささか不用心かもしれないとも思う。
「……まぁこんなに綺麗だしな……」
バイクを止め、寄りかかった宮子の顔を眺める。細い眉に、煌めくまつ毛。若干、薄着のその体格は滑らかな曲線を描いている。くびれた腰や尻がどうにも艶めかしい。
しかし、ヘルメットを外した彼女から臭う酒の香りは、この上ない。おやっさんの言葉を借りるなら、本当に泥酔女である。
「うーん、むりー、あるけなーい」
唸り、いや寝言に近いその声に微笑する縁。
「はいはい、わかりましたよー。んじゃ、またちょっと我慢してくださいねー」
と、玄関脇の植木鉢を浮かせて、底に隠した鍵をとる。それを玄関の扉に指し、半開のまま泥酔女のもとへ戻った。
そしてだらんと垂れ下がった手を首に、豊満な両足を両手で担ぐ。宮子をおぶさって玄関へと運ぶ。
「おじゃましまーす」
勝手知ったる知人の家。不揃いの靴が散乱する玄関。
縁、靴を脱いで慎重な足取りで2階へと向かう。階段すぐの手前の部屋、宮子の自室を見つけて照明をつける。背負ってきた宮子を丁寧にベッドへ寝かしつけた。
アロマの香りが、縁の鼻をくすぐる。軽い眩暈がしそうな、甘い香りに頭を左右に振る。毎度ながら、この部屋はいい匂いすぎる。常連の老人ではないが、送り狼になりかねない。
――いかん。これは作業。慈善作業。ただの人助けだ。
と、念仏を唱えている最中。宮子の細い腕が、縁の頭を捉える。そのまま抱きかかえた形で、胸へ押し付ける宮子。
「ねぇこのまま、一緒に寝ちゃおうか?」
「……冗談よしてくださいよ」
「冗談じゃないってば……もう……」
「……離してくだ、さい……」
「さっき『綺麗』っていってくれたでしょ……? ね……?」
「…………あれは、その……」
「縁」
「はい? なんですか?」
「アタシね、今日……カレシに振られちゃったんだ……慰めてよ」
「いいですけど……」
この展開で、この言葉。まさかと思うが、傷心を癒すために身体を重ねて欲しいのだろうか。縁自身、この後の展開を予想できないほど馬鹿ではないし、それほど子供でもない。信じたくはないが、そういう事だろう。
「お誘いは嬉しいですけど”オレ”に好きな人いるって知ってるでしょ?」
「うーん、知ってる。片思いの人がいるとかー相談されたしー。でも、こんな可愛い男を放っておくのも、なんか勿体ないじゃーん? 片思いの人も残酷な人だよねー、5年も片思いしてる人を放っておくんだもん」
「――そうですね、ええ。その通りです」
と、無理やり腕を解いて、掛け布団をかける。その後のやり取りは深く覚えていない。だが、縁はすぐに宮子の家を後にした。
理由は、明確にはわからない。別に宮子の事が嫌いなわけでもない。自分の5年間を侮辱されたからでもない。男して可愛いといわれたからでもない。
ただ――そう、ただ従姉さんを貶した事が、無性に腹が立った。それだけかもしれなかった。
読了ありがとうございます!
じっくりと、作風の味を出せていけたらいいと思ってます。
もし面白いと思った方、続きが気になる方、
どうぞブックマークや評価を押していただけると幸いです。
上がったテンションを、作品にぶつけていきますので(笑)