4/丸っこい字の童話
●芽衣沙のマンション/501号室(朝)
――この世の中は優先順位で成り立っている。
如月芽衣沙は、ひとえにその言葉を信じている。
特段、それは著名人の名言ではない。彼女の知人が発した言葉でもない。ただ、彼女が実感した経験や感情を”あえて”言葉にしたモノだ。
だからこそ、彼女は起床してすぐに本を読む。スッキリとした、空っぽの脳内に情報を詰め込むのだ。それは朝特有の儀式。夕方や夜には絶対に味わうことのできない、彼女の習慣だ。
その日、大事をまずこなす。それが彼女の読書。朝イチの習慣だ。
なぜなら1日という時間を過ごす中を分解してみて欲しい。すると、どうだろう。食事、通勤、仕事――司書の仕事は慣れてきた程度だが――というルーチンばかりだ。大きなイレギュラーはない。
そしてルーチン作業をするにあたって、考えたり学んだりする機会があるだろうか。あっても、効率よく得られない事の方が多いのでは。
では、効率よく学びを得られるのはいつだろう。それが彼女にとっての朝読書であった。
いわば自分を構築する単語のインプット。人間や動物が生きていくために食事をとるように、彼女の人生も知識や刺激を求めているのだ。
そして、最近の刺激ある朝読書は目下のところ、この童話である。
「……ふふ。あの後、どうなるかしら……」
と、原稿用紙を丁寧にめくる。赤ん坊の柔肌を触るように、注意を払ってゆっくりと。そこには丸い字の羅列。敷き詰められていた、小さな字に吸い込まれていく。
――ああ、いいな。ああ、ここも。
絵本のような文脈は、とてもわかりやすい。優しく語りかけてくる母親のような温かさがある。
外連味あふれる、登場人物。思わず声色を変えて、そのセリフを喋りたくなる。
軽快に物語が進み、ページをめくる手が止まらない。忙しなく動く眼球、手書きの原稿用紙に釘づけだ。
脳内で流れる想像、映像、偶像。その心象背景。
――どうして、心惹かれちゃうのかな。
答えは明白。この童話に、自身の憧れを重ねているからだ。
××××× ××××× ×××××
大学の司書である、如月芽衣沙。
彼女は、かつて小説家を目指していた。
物心ついた頃から、漫画や映画、小説などの創作物が好きだった。無我夢中でフィクションに触れ、いつか自分も同じワクワク感を子供達に与えたいと願っていた。
そう、願っていた。これは過去形の話である。
自分なりの小説を書き続けた彼女。それはいつしか自己満足な、凝り固まったそれになっていった。
何かのきっかけになるかと、出版社にも通った。話を構想するためにその都度、勉強した。書いて、書いて、書き続けた。
それからも彼女の作品は、明るみに出る事はなかった。芽衣沙は自分の作品に失望し、筆を持つ事をやめたのだ。
だが、錆び切った気持ちが露呈したのは偶然だったのかもしれない。
司書の仕事をしている時、昔の自分のように――よく本を借りていく青年を見かけた。
毎回といっていいほど、借りていく本のジャンルがまちまち。これは意図してやっている事だと気づいた時には、彼に話かけていた。
「いつも違う本ばかり借りていくけど……何か小説でも書いてるの?」
確か、そんな話題の切り口だったと思う。話しかけられた青年は、いいにくそうにしながら、頬をかく。
「まぁその……似たようなモノを少々……?」
「似たようなモノ?」
後で聞いた話だが、予想は大正解。これまで借りていた本は童話を書くための参考資料だったらしい。
「あ、オレじゃないです。知り合い……みたいヤツに頼まれて本借りてるだけなので……」
「……その知り合いさんが書くんだ?」
そんな感じです、と目を反らして答える青年。居心地悪そうにそっぽを向くその姿に、笑みがこぼれる。きっと居たたまれなかったのだろう。
「あ。ごめんね、急にこんな話して……でも、私もね昔、小説を書いてた時があって……」
「そうなん、ですか……」
いつも返却日しか伝えない司書に、話しかけられて困っていたのだろう。いや、きっと何をいっていいのか困っていたに違いない。
しかし、それがきっかけとなり、俣野縁と知り合う事ができた。
それから数日後、彼から話しかけてきた。
彼いわく、”知り合い”が書いている童話を読んで添削して欲しいという内容だった。
――そして彼女は、その童話にかつての憧れを取り戻す。
男っぽくない、丸っこい字。読者側にも、筆者側にも夢が詰まった童話の物語。原稿用紙、数十ページにも及ぶ熱量。胸躍るキャラクター達。夢中になる事は必至。
この童話こそ彼女が思い描いていた、かつての夢。それを具現化させたこの作者に羨望を抱く。
この作者に会いたい、と。
この作者と話してみたい、と。
それは恋心に似た、熱い願いだった。
読了ありがとうございます!
じっくりと、作風の味を出せていけたらいいと思ってます。
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上がったテンションを、作品にぶつけていきますので(笑)