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12/兄貴分な鋼鉄処女(アイアンメイデン)

●スターカフェ/店内(夕方)


 俣野縁またのえにしの恋心に名前は付けられない。

 なぜかというと、好きという理由がたくさんありすぎるからだ。言葉として愛情という比喩でくくれても。1番好きなところはどこか、と考えると順番がつけられない。それは誰しも経験したことがあるのではないか。


 縁は江崎嵐えざきらんに恋している。

 5歳ほど離れた従姉関係でも。10年後の口約束をしても。今は疎遠になり、暮らす場所が違えた間柄でも。俣野縁は江崎嵐を好きな女性と認識し、過去の5年間、片思いを秘めてきた。

 

 ――笑顔が素敵で、毎日見ていたい。

 金糸雀の羨望。それが、初恋のきっかけだったと思う。

 

 ――凛々しい姿に惚れ、彼女を支えられる存在になりたい。

 薄紫の憧れ。それは、彼女が働きだした3年目あたりのこと。


 ――いつしか嵐と共に働きたくて書き始めた童話。

 唐紅の欲求。気づけば、それは”ボク”の5年目の恋を残したかったのかもしれない。


 時間の流れとともに、彼女に恋する理由の名称や色彩が変わる。寄り集まった感情が、深い深い心の底へ沈下していった。海底のような、光すら届かない暗闇。そこへ様々な宝石達が、ふらりと左右に揺れて落ちていく。

 深淵の底でも輝きを失わない宝石。いつしかそれらを大事にしまう、宝箱が現れた。

 

 それが、”ボク”という縁の恋心たからばこだ。

 

 また同時に――価値あるものを、盗賊だれかに奪われないために――黒い彼が生まれた。

 それが”オレ”。深海の宝が傷つかないように。誰の手にも触れられないように。”ボク”の淡い心を守るのが、彼の役割だ。


 1人の身体に、2つの人格。

 繊細な泣き虫の彼と、粗暴で思いやりがある彼。

 ”ボク”と”オレ”は、どちらも俣野縁として生きている。



<なぁキョウダイ、そろそろ帰ろうぜ……>


 と、助言になるのだろうか――かれこれ4時間は同じ席で待ちぼうけをくっている”ボク”に語りかける。優しく見守って、付き合ってくれる虚像の彼には日ごろから感謝しかない。

 傍らに重なる、ケースから溢れた伝票の束。次のコーヒーのおかわりは、胃がもたれて頼めそうにない。やっぱり5杯目の壁は高い。


「……うん。もうちょっといよう……ね……?」


 無意識に携帯へ視線が落ちる。終始、テーブルの隅で沈黙したそれ。手を伸ばし、画面を点灯させる。



>俣野縁

『終わった。まだ会社にいる?』


『忙しかったらごめん。少し時間潰してるから』


>江崎嵐

『ごめん。今、忙しいから』


>俣野縁

『そっか。いつ終わりそう? もしよければご飯でも食べない?』



 この後の新しい返信はない。最後の返信も数時間前のもの。既読にもならず、変化はない。

 寂しくないといえば、嘘になる。だが、仕事なら仕方ない。相手は社会人で、こちらはしがない学生だ。親戚とはいえ、我儘を突き通すのは迷惑になる。


<でもよ、それで未読スルーで4時間は待たせすぎだろ>


 日が傾きだした夕方に入店した縁。だが、時間は流れ、日は沈み月光照らす時間になっていた。深い紺色に染まった夜空に恥ずかしがり屋の星々が点在する。世間では夕食も終えている時間になるだろう。

 店員の視線も心ばかり痛い。胃にたまっていくコーヒーが重たく、ため息も幾分か大きくなる。


<毎度ながら、よくやるよ。本当に……>


 待ちぼうけは、これが初めてではない。約1か月に1回はこんな調子なのだ。

 縁は隣町の出版社へ、自筆の童話を持ち込む。その出版社とは、江崎嵐のそれだ。担当部署は違えど、持ち込みが終わった後に彼女への連絡は怠らない。しかし、いつも嵐は忙しいの常套句で彼の誘いをけむに巻いていた。

 その度にスターカフェで数時間、待ち望んでいるのだ。健気とも、愚かとも笑ってもらって構わない。店員さんの愛想笑いも、嘲笑と錯覚するほどに道化だ。


 ――少しでも話をしたい、だけなんだけどな……


 それだけの望みも叶わないのか、と。”ボク”は心底、泣きたくなる。

 最後に彼女に会ったのは、いつだろうか。年始の正月、親戚の集いで顔を合わせたくらいか。それも席と席がすごく離れたところで。

 数えられるほどの回数、うっすらと思い出す時間も要する数か月前の記憶に辟易してくる。


「やっぱり……避けられてるよね……ボク……」

<何を今さら。てか、なんでそこまでできるんだよ>


「うーん……」


 正直、言葉に窮する。好きな理由と一緒で、答えがありすぎるからだ。言葉で伝えようと意識すると、何が適切か曖昧になってしまう。

 宝箱の中から、1つ。燦々とした真珠色の思い出をすくう。壊れないように、赤子を抱くような手つきで。


『貴方が25歳になればその時、私は30歳。どちらもフリーだったら付き合ってあげる』


「好きな人との約束を守りたいから、かな」

<ああ、そうか……うん……>


 もう1人の縁が、落胆したような気がした。そして、まぁ、と肩を叩かれたような錯覚。


<理由はどうにせよ、自信を持てよキョウダイ。お前の初恋けついで”オレ”が生まれたんだ。お前の愛情は誰よりも深い。そして、それは誰よりも”オレ”がよく知ってるからさ――>


 独白を続ける黒い”オレ”。


<きっと嵐の従姉ねえちゃんも何かしら理由があるんだろ。本人から聞かねえうちから悩んでも仕方ねえだろ。悪いようにしか転ばねえぞ> 

「うん、そうだね……いつも……ありがとう……」


<感謝なんかいらねえよ。”オレ”はお前だ。純愛おまえをあと5年も支えるのが鋼鉄処女おれの役目なんだからよ>

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