3.祖母
最後に表現を付け足しました。
ん…?朝、か?
瞼越しに明るい光を感じる。
「っそうだ学校!今日は、何曜だっけ?…あ、今日、土曜、か。」
飛び起きてから、改めて周囲を見渡すと、襖越しに光の差し込んでいる少し広い畳の部屋の真ん中に、グチャグチャになった布団がある。そこに寝ていたのだろう。畳の匂いが鼻を掠める。ここはどこだ?なぜここに?
頭の中の記憶を遡っていく。たしか、昨日俺はまっすぐ家に帰っていたはずだ。そして途中で、いい匂いがしてきて…?あれ?早く帰ろうと思ったはずなのに、帰った記憶がない。あれから、俺はどうした?もしかして、ぶっ倒れた…とか?
いやいやいや。体調は、いつもと同じだったはずだ。いやでも、そうとしか考えられない。だとしたら、病院か?いいや。病院に和室はないだろう。現状から考えて、親切な人が家まで運んできてくれたのかもしれない。一瞬、今まで手紙を破ってきた女達が何かしてきた可能性が脳裏を掠めたが、すぐにそれはないと否定する。生徒会長としての仕事やらなんやらで、彼女らとは下校時間がズレるようにしているし、だとしてもあるはずの意識を奪われる直前の記憶が俺にはない。可能性は低いだろう。
それに、もし何かされそうだとしたら、こんな部屋だ。簡単に逃げることはできる。
そういえば、祖父母たちに、心配をかけているのではないだろうか。くそ、無駄な心労はかけたくないのに。
周りが見えるわけではないが、大勢の人がいることがなぜかわかる。相当大きな屋敷なのかもしれない。
そう考えていると、襖側から歩く音が聞こえてきた。
ス------
襖が開くと同時に入ってきた光のまぶしさに目を細める。
入ってきた人物をみると、今どき珍しい着物を着ている。身長は160ないくらい…か?体格から見て、女性のようだ。逆光によって顔が見えにくいが、姿勢がきれいに伸びていて、年齢を推測することができない。襖がしめられたことで見えたのは、白髪の混じった黒髪をした顔に皺の刻まれた60代くらいの女性だった。
入ってきた女性の後ろに目を向けると、長い髪を後ろにひっつめた、いままでのあの表情の豊かさは何だったんだと問いたくなるほどに表情を消した真名夏の姿が目に入ってきた。
真名夏は下女のようにずっと顔を俯けている。真名夏が付き従う存在といえば、俺が知っているのは俺の祖母だという大神景子だけだ。まあこの状態から推察するに高確率で目の前にいる彼女が祖母であるのだろう。彼女は微笑んでいるが、どこか恐ろしいものの気配が感じられて背筋に冷や汗が流れる。
真名夏が敷かれた布団を隅に寄せ、二枚座布団を用意する。とりあえず正座で座ったが、真名夏の分がない。疑問に思って彼女の行動を目で追ってみると彼女は用意した後襖の外で待機するようだ。
真名夏がいなくなって二人きりとなった部屋には張り詰めた空気が流れる。
おい真名夏。聞いていた話と違うぞ。なんだこの圧迫感。めっちゃこえーよ。何が来ても平静を崩さないように身構えながら、しかし表面には一切出さないでいると、向かい側からクスっと笑う声が聞こえてきた。
「そう緊張しなくてもいいですよ。」
表に出していないのに、見透かされたことに驚いた。だが、警戒を緊張ととらえるということは観察眼に優れていて、ほばないはずの体の強張りをみられたのか。警戒されていることも分かっていそうだが。
しかし、空気が変わってやわらかくなったのを肌で感じる。さっきまでの空気はわざと出していたとしか考えられない。自分の立場をわからせるためか…?
考えても答えは出るはずがない。なにせ本人にはあったばかりなのだから。
今は呼吸しやすくなったことに感謝しよう。
「挨拶が遅くなり申し訳ございません。はじめてお目にかかります、大神家前当主の、大神 景子と申します。以後、お見知りおきくださいませ。」
そういって、丁寧に頭を下げる。やはり、この人が例のお祖母様か。
「こちらこそ挨拶が遅れて申し訳ございません。槇 幸治と申します。
何故ここにいるのかは検討もつかないのですが、大神様にはきっと助けていただいたのだろうと勝手にも想像しております。この度はありがとうございました。」
こちらもまあ無難であろう返事を返す。
彼女は微笑みを湛えたまま首を左右に振った。
「いいえ、感謝の必要はございません。私はただ夏に部屋をひとつ貸しただけです。もちろん、屋敷に部外者を入れることを許可したのは私ですが。詳しくは夏から改めてお聞きください。今は、せっかく会えたのです。手紙の件について今のうちにあなたの考えをお聞きしたいと思いまして。」
そこまでいうと、表情を自然な微笑みに変え、すこし体勢をくずして、
「それから、いらっしゃい。幸治。会えてうれしいわ。これから口調を崩すのを許してね。あなたもできれば崩してくれると嬉しいのだけど。私のことはおばあちゃんって呼んでくれてもいいのよ。いきなりは難しいかもしれないけれど、でも大神様とかそんなよそよそしい呼び方はやめてくれるかしら。」
といった。
おばあちゃん…真名夏がお祖母様と呼んでいることしか知らないが、その呼び方はさすがにヤバいだろうことはわかる。寂しいとかそんな理由からかもしれないが、ここまで俺の内側へ入ってこようとする理由はなんだ?俺が無駄な勘繰りをしているだけで、意外とただ孫に甘えられたいとか親しくなりたいとかそんなことが真実とかそんなことだったりするのか??
とりあえず呼び方は様とかはだめそうだし、景子さん、とかそこらへんが妥当かな。口調を崩すのはあとで不敬とかいって貶めるとかないよな…する必要ないしな。それでもわずかな不安はぬぐえない。
「じゃあ…景子さん、って呼びます。さすがに言葉を崩すのは勘弁してください。」
そういうと景子さんはゆったりとうなずいて満足そうに目を細めた。
「それから、あの、今の日付と時刻を教えていただけませんか。あと心配させていると思いますので家に連絡を入れさせて欲しいのですが。」
多分土曜であるはずだが、一応確認は取っておきたい。時間も午前中ではあることしかわからない。もしかしたら話が長くなる可能性もあるし、連絡は取っておきたい。今ほど祖父母にどこにも不調がなくてよかったと思ったことはないな。
景子さんは少し眉をあげると、
「あら、ごめんなさい。伝えるのを忘れていたわ。安心してね。あなたの祖父母には人を手配して話は伝えているわ。ゆっくり帰ってきなさいとのことよ。
今は17日の日曜の朝のだいたい七時ね。長話になる予定だから、今日はここに泊まっていきなさい。学校の準備も足りない分も夏に聞いて部下に取りに行かせたから。」
周りを見ることに必死で気が付かなかったが、服も着替えさせられている。これは…浴衣?
なんで今まで気づかなかったんだ。いつも着ているようになじんでるのが原因だろうが。俺は今まで浴衣なんて着たことないぞ。
それよりも、だ。祖父母は何もされなかっただろうか。今は願うことしかできないが。
しかし丸一日以上寝ていたのか。どういうことだ。これも聞いたらわかる事柄なのだろうか。
「それは何から何まで本当にありがとうございます。しかしできるだけ早く帰りたいのでできれば今日中には帰らせていただけると助かります。それから手紙の件ですが、もう一回説明してもらっても?父親のくだりは大丈夫ですので。」
「じゃあ、そうね、詳しく話すには今回あなたが倒れた時に起こったことを説明してからのほうがわかりやすいと思うから、夏に来てもらいましょう。それと、今日帰りたいというのなら、その通りにするわ。帰りは部下に送らせてね。」
俺が帰られることに内心でほっとしていると、なぜか景子さんは少し目をつぶった。するとすぐに襖のこすれる音がして、頭を下げた真名夏が姿を見せた。
なにかしたのか?
「いかがいたしましたか。お祖母様。」
「こちらに来なさい。夏。」
「は。」
真名夏は静かに景子さんの隣に座る。
「幸治にあなたが見たことを説明してくれるかしら。」
「畏まりました。」
そう顔を上げた真名夏とここに来てからはじめて目が合う。
すると真名夏は少し眉をあげた。
しかしすぐに、その目は冷たく、何の感情も読み取ることができなくなった。
そして真名夏の口から出てきたのはにわかには信じがたいことばかりだ。
さすがというか、真名夏の感情を一切抜きにした第三者視点のわかりやすい説明ではある。
あるんだが…人が狼になるとか普通信じられないだろ。でも、ここで嘘をつく必要はない。どちらかというと、この一族に関わることは隠しておきたいだろう。
監視されていた点についてはその可能性も視野に入れていたからそこまで驚くことではない。が、走る速さが獣並みだったって?
確かに俺は足は速いが学生の範囲だったはずだし、まるでスリのような技術なんてものを身に着けた覚えはない。
「なんだってそんなことに…。」
混乱からつい言葉をもらしてしまったようだ。
真名夏が口を開こうとするが、それを遮って景子さんが口を開いた。
「狼になったことについてはこちらでおおよその推測だけど、説明できるわ。でもなぜあなたが狼を一匹とはいえ単独で倒せるまでの技術を持っているのかはあなたしかわからない。幸治はどこでそこまでの技術を?」
俺は首を左右にふる。
「わかりません。そもそも動いているときのことを全く覚えていなくて。少しも思い出せないんです。」
景子さんはすこし探るような目をすると、軽くため息をついて
「嘘は言ってないようね。わかっていたかもしれないけれど、私、嘘を見破るのは得意なの。
では一族のことから話しましょうか。夏は……そうね、そろそろあなたも知っておいたほうがいいでしょう。ここにいなさい。」
真名夏は無言で景子さんを見つめていただけだが、どうやら意志は伝わっていたらしい。今までまるで人形のようだった真名夏から感情が漏れ出して、こいつは本当に景子さんを慕っているんだなと納得する。
しかしそうか。こいつは何も知らされていないにもかかわらずあそこまで徹底的に景子さんに付き従っていたのか。ただ拾われただけなのにそこまで慕うことができるものなのか。それとも何か別の理由があるのか…まあいいか。知ったところで何も変わらない。
「まずこの大神一族についてよ。一族の祖先は狼だったと伝わっているわ。事実、わが一族の者は条件を満たしたものは狼となることができる。証拠として普段は秘匿しているけれど、狼の力を得たものは、…このように目の色が琥珀色変わるの。まれに先祖返りのように血が濃く、力の強いものには水色が現れることがあるらしいけれど、本当に稀でここ何代かは生まれていないわ。」
そういった景子さんは目からコンタクトと思われるものを外した。ふたたび顔を上げた時には、強く輝くような琥珀がその目に輝いていた。
「驚いているわね。でも…この鏡を見てみなさい。」
そういって景子さんは懐から手鏡をだすと、俺の目をその鏡で写した。
「その色は水縹と呼ばれる色よ。力が強いほど色は薄くなる。その年でしかも目覚めたばかりにもかかわらずその色なのはすごいわ。水色というだけでも素晴らしいのに。」
景子さんが初めて表情を崩し、わずかに感情を高ぶらせているが、俺はそれよりも目の前の事実から目を離せずにいる。
見つめる先の鏡からは、明るい水色の瞳が二つ俺を見つめ返していた。
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