目と雨と無人駅
「今日未明、千雄市内で両目をくり抜かれた男性の遺体が発見されました。警察は、猟奇連続殺人事件の6人目の被害者である可能性が高いとして、捜査を進めています。次のニュースです。今日から明日にかけて、記録的な大雨―――」
また、このニュースか。
こんな田舎町には不似合いな事件だと、つくづく思う。
イヤホンが私怨だとか、快楽殺人だとか、勝手な妄想を垂れ流し終え、毎年恒例の記録的な雨について語りだした。興味をなくした僕は、イヤホンを耳から引き抜き、雨の音に耳を澄ます。
……しかし、本当に誰もいないな。
何だろう、無人駅で独り電車を待っていると、どうにも自分以外の人間が存在するという事実に、懐疑的になってしまう。
しばらく、空を映すアスファルトを無心で眺めていると、ばしゃばしゃという異音と共に、ショッキングピンクの長靴が視界に押し入ってきた。こんな平日の昼間に、僕の他に駅に来る人間がいるとは、想定外だ。
そのまま長靴の人は、隣に座ってきた。
距離が近い。
僕は、基本的に人と話す事は得意では無い。しかし、この時は何故だか、長靴の人と話してみたくなった。
どうせ、電車が来るまでの30分だけの付き合いだ。
「こんにちは」
僕は勇気を出した。少し口角を上げて、俯きながら声をかけたのだ。
僕が声をかけてから一呼吸おいて、少し掠れた女性の声が返ってきた。
「私ね、風邪、ひいてるの」
「……そうですか、おだいじに」
挨拶に対する、風邪の自己申告。恐らく、お前とは話したくないという意思表示だろう。僕は気遣いという皮を被せて、会話を終わらせた。
いつの間にか、さっきまであった勇気も好奇心も消えている。やはり、不得手な事をするものではないな。
再び、雨音だけが場を支配する。
まあ、これはこれで乙な空間だ。会話なんか無くとも、問題ないさ。
駅の屋根を滴る雨のリズムが、最近流行している曲に似ている事に気がつき、少し愉快になっていた所で、長靴の人が話しかけてきた。
「何で風邪ひいたか、分かる?」
唐突な質問に、少し驚く。風邪アピールに、会話拒否の意味は含まれていなかったのだ。
これ幸いと、僕は会話続行の為に思考を回す。
何故風邪をひいたか? 普通に考えれば、雨に打たれたからだろう。しかし、わざわざ聞いてきたのだから、何か特別な理由があるのだろうか? 僕は少し考えこみ、ちょっとしたブラックユーモアを思いついた。
「返り血を浴びたから、ひいちゃったんですか? 風邪」
言った後に、初対面の相手に失礼だな、と後悔する。連続殺人鬼呼ばわりなんて、誰も良い気はしないだろう。最悪だ。
相手の言葉を深読みする癖に、自分は良く考えずに言葉を紡ぐ。僕が会話を不得手だと自覚する理由の一つだ。
口を真一文字に結び、そわそわと長靴の人のつま先を見つめていると、意外な言葉が返ってきた。
「正解」
僕は、長靴の人の問いに正解した。
僕がコミュニケーションで正解したのは、恐らく人生で初めてだ。自分が連続殺人鬼であるという、分かりやすい嘘に乗っかる事で、僕を正解させた長靴の人は、きっと会話が得意なのだろう。
「ははっ」
尤も、僕のそんな感謝と尊敬の念を纏って口から出たのは、乾いた笑いだったのだが。全くもって、自分の口が恨めしい。
「私が、連続殺人犯なの。君はもっと怖がった方が良いよ?」
「……怖がるついでに、殺害の動機を聞いても良いですか?」
「先に、ちゃんと怖がってよ。話はそれから」
なかなか、難しい事を言う。僕は、あまり感情を偽装する事が得意では無い。そして、偽殺人鬼に恐怖するほど、怖がりでも無い。しかたがないから、自分の両親の期待するような目を思い浮かべる。昔はこれで、どうしようもなく恐怖が湧いてきたものだ。
脳裏を両親の目でいっぱいにする。
目、目、め、め。
……頑張ってはみたものの、両親の目を、今はもう怖く思えなかった。
「すみません、怖がる事に失敗しました」
無力感に苛まれる僕の事が可笑しかったのか、長靴の人は少し笑った後に、とつとつと語り始めた。どうやら、怖がらなくても殺害動機を拝聴する事は可能らしい。
「私、ね。目が好きなの。」
「目……ですか。僕は、嫌いです。」
「へえ、何で? 奇麗じゃない、目」
「目と目が合うと、自分の行動が全部観客の為の演技みたいに感じるんです」
本当に、怖くて、緊張して、自分の従うべき感情が何か分からなくなる。
「君は、ちゃんと目を見た事が無いのよ。あんなにツルツルしていて、尖った部分なんて何処にも無くて、繊細に毛細血管が巡っていて、器用に開閉する瞳孔もある。そんな宝石みたいな、魔法みたいなモノがカラフルな世界を見ているの。欲しくなっちゃってもしかたがないの。ええ、しかたがないの……だから殺して、集めてるの」
ほら、と長靴の人がスマホを見せてくる。
画面には、ずらりと目の画像が並んでいた。二重の目、一重の目、青い目、充血した目、瞳孔の開いた目、何処かを見ている目、目、目、目、目!
狂気すら垣間見える長靴の人の目への愛を目の当たりにして、そんな訳がないのに、少しだけ、本当に連続殺人鬼なのではないかという気持ちが過る。
「本当に、目が好きなんですね」
「ええ」
俺が絞り出した声に、心底嬉しそうに返事をする長靴の人が、僕はどうしようもなく羨ましくなった。
なんともやるせない心持ちで、暗雲の立ち込める空を見上げる。はて、上を向けばポジティブになれると何処かで耳にしたが、どうやら僕には当てはまらないらしい。
どうにか逃げ場を見つけようと、用もないのにスマホに目を落とす。電車が来るまで、あと10分。あと10分で、長靴の人ともお別れか……少し寂しい。
長靴の人との、わずか20分の思い出を反芻していると、連続殺人鬼を自称する彼女は、僕の目も欲しいと思うのか、ふと気になった。
「貴方は、僕の目も欲しいですか?」
「……君の目は、黒色の世界しか見えていなさそうだし、いいかな」
「なるほど」
僕の目は、長靴の人から見ても魅力的ではないらしい。まあ、納得だ。
「なるほどって……君、反論とか無いの?」
「いえ、自分に魅力があるとは思っていませんから」
「……君は結構、魅力的だと思うよ」
目狂いに気を使われてしまった。その事実が何ともいたたまれなくなって、僕は俯きながら曖昧な笑みを浮かべる事しかできなかった。結局こうなるのなら、会話など試みなければ良かった……。
僕は素直に後悔し、五分後に訪れる電車を待つ。
ん?
視界いっぱいに人間の顔が広がり、僕の脳は混乱する。
何だ? 唇が嫌に生暖かい。
長靴さんがすごく近くにいる。僕を見つめている。僕を、見つめている。
ニッコリと、歪んだ目だ。
「キス、しちゃった。風邪、うつったかな?」
悪戯っぽく歪んだ目だ。
「もう一度言うけど、君は結構、魅力的だと思うよ」
長靴の人の目だ。
音が遠くなる。
僕の服が、いつか感じた生暖かさに濡れる。
長靴の人の雨合羽も、同じ色に濡れている。
開いた瞳孔を湛えた丸い目を近くから見つめて、先ほどまで感じていた恐怖と混乱が消える。
僕は、落ち着いて濡れた服を着替える。
電車に乗る為に、階段を上る。
電車が、ちょうど到着する。
電車には、誰もいない。
長靴の人を、おぼつかない思考で思い出す。
顔は、とても奇麗だったな。
彼女の、目を見つめる。
僕には、やはり奇麗だとは思えなかった。