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怯えた横顔

 

「お姉様!」


 ドンドンとドアを乱暴に叩く音がして、私はサイリスからの手紙から目を離した。数秒遅れてその声がリリィのものだと分かった瞬間、その紙切れをベッドの下に隠し、深く息を吸ってからをしてから返事をした。

 彼女に、この動揺を気付かれてはいけないと思うと、心臓は大きくゆっくりと脈を打ち始める。

「リリィ、入って」

 私がそう答えると、彼女は勢いよくドアを開け、まだベッドにいる私へと直進してくる。近づいてくる彼女の眉間には、深くシワが入っているようで、何か機嫌を損ねることがあったに違いない。

「大丈夫!?」

 彼女は私の肩を力強く掴み、心配なのか怒っているのか分からない口調で話し出す。

「え?」

 突然のリリィの来訪と、サイリスからの手紙を同時に処理できるわけなく、私の頭はパンク寸前だった。


「サイリスお兄様が裏切ったって!」

 さっきまであの紙切れを握っていた右手に痺れたような感覚がして、強く拳を握る。

「もう一体何がどうなっているのよ。イギーに聞いても、知らないの一点張り。ヴァイオレットにだって会わせてくれないし!」

 私は、先日ヴァイオレットに会った。義母のレイチェルが何の予告も無しにこの城に連れてきたのだが、彼女はそれを知らない。

 彼女は肩が上下に動くほど、息を荒くしている。

「何よりむかつくのは、アイツよ!」

 と大きな声を上げた彼女は、開いたままのドアを指差している。そちらに視線を向けると、男性の大きな背中がドアの代わりになっていた。その立ち姿からして、彼は護衛兵だろう。

「護衛?」

「そうなの!」

「どうして護衛なんて」

「何の説明もされずに護衛をつけられたの。いつもはイギーと二人で行動できたのに」

 リリィは興奮気味に喋り続けている。

「イギーはどこへ?」

「彼女はナンシーと話している。本当にイギーは何も知らないのかしら。なんか隠している気がする」リリィは顔しかめながら、途中から独り言のように呟いた。

「お姉様には、変な護衛はついていないの?」

「えぇ、今のところいないみたいだけど」

「変ね。ねぇ、カルヴィン家と私の護衛って関係あると思う?」と彼女は声を小さくして、私の顔を覗き込んだ。


 護衛が付けられるということは、もういつ何が起こるか分からないことを示しているのだろう。そして、その緊迫した状況は否が応でも儀式の始まりを予感させる。もし、あの残酷な儀式が始まれば、目の前にいるリリィも、やがて生贄にされてしまう。この王国はいまや、存亡の危機を迎えているのだ。私が生まれてきてしまったから……。

「お姉様?」リリィは、顔をぐっと近づけた。

「うん?」

「私が傍に居ます」

「そうね、心強いわ」

 リリィは慰めるように微笑むと、世間話をし始めた。それが彼女なりの気遣いなのだろう。


 そんな彼女が身振り手振りを交えながら話す姿を眺めながら、父のあの言葉を心の中で繰り返す。あれはただ単に私が見た悪い夢だったんじゃないだろうか。それとも、成人した王女が国へと忠誠心を試すための試験のようなものなのかもしれない。父が話した儀式の内容はあまりにも非現実的で馬鹿げている。そんな野蛮な伝統が、この王国にあってたまるものか。


「……あの護衛兵、ただ後ろを歩くだけじゃなくて、色々と注意してくるし。本当に嫌になるわ。いつになったら元の生活に戻るのかしら」

 でも、もし本当にサイリスがこの国に背いたとしたら。

「お姉様、気分転換に庭園へ散歩にいきましょう」

「そうね。でもその前に着替えさせて。ほら、まだ寝間着のままなの」

「もー、今日はずいぶんとゆっくりの朝なのですね」

「うん、久々に寝坊しちゃった」

 私はようやくベッドから抜け出して、腕を上げてストレッチをすると身体は軋んだ。

「ちょっと、護衛さん! そのドア閉めてくれない? レディたちの会話を盗み聞きするなんて失礼だと思わないの?」

「リリィ王女殿下、それは出来かねます」と、その男は背を向けたまま事務的に答える。

「はい?」

 リリィは口角をピクリと震わせてその背中を睨んだ。

「リリィ、それが彼の仕事なんだから。護衛さん、ご苦労様です」

 私は彼の背にそう言葉を投げかけた。すると、彼はくるりとこちらを振り向き、腰に下げている剣をカチャカチャと鳴らしながらその場に跪いた。

「ラナ王女殿下、初にお目にかかります。リリィ王女殿下の護衛に任命されましたロイと申します」

 ロイは黄色味の強い金髪を刈り上げて、その柔らかい顔立ちを精悍に見せているようだ。


「ロイ、リリィのことをよろしくお願いします」

 こんな恰好でいうことじゃないかもだけど、と私は付け加えた。

「御意にございます」

 そういうと彼はすばやく立ち上がり、私たちに背を向けてまた廊下の警備へ戻る。

「仕事熱心な護衛で安心したわ」

「私は好きではありません」

 リリィの護衛に対する愚痴がまた始めると、ロイが誰かに向かって大きな声で敬礼しているのが聞こえて、私たちは何事かとそちらにもう一度視線をやった。


「リリィ、なんでここに?」と少し驚いた様子でノアが部屋に入ってきた。

「ノアお兄様!」

「リリィ王女殿下、久しくお顔を拝見しておらず寂しい思いをしておりました。ご機嫌いかがですか」と言って彼は頭を深く下げる。

「なにそれ、わざとらしい言い方ね」

「いえ、本心にございます」

「もう、いつもからかってくるんだから」

 彼らの会話を聞いて笑う。それが習慣だったのに、未だ私の心はあの真っ暗な部屋に取り残されているようで、いつもの様に笑うことができない。

「ラナ、どうした?」

 一方のノアは、怖いくらいにいつも通りだった。

「なんでもないわ」

「そうか。あ、今日から俺がお前の護衛になった」

 ノアは気だるそうにソファに座ってそう言った。

「私の護衛?」

「こんな国の状況だからな。いつ王室が狙われても不思議じゃない」

「こんな状況ってどういうこと?」

 リリィは、ノアに駆け寄って問いただす。彼は、やってしまったという表情をして大袈裟にため息をついた。

「イギーには、俺が言ったっていうなよ。もし彼女がこの事について話し出したら、知らないフリをしてくれ。それが出来るのなら、話す」

 リリィは、「もちろん神に誓って!」と天井を指差した。

「スルレヒド帝国との関係が大きく悪化した」

「少しだけ距離が出来たとは聞いたけど」

「いいや」

 彼は頭の後ろで手を組み、彼女は大きくため息をついた後ソファから立ち上がり、テーブルに置いてあった砂糖菓子をひとつ口へ放り込んだ。そしてベッドの上に身体を沈めて、信じられないと呟いた。

 その彼女の行動にヒヤリとしたが、手紙は見つかるはずがないと自分に言い聞かせる。

「ノア、よろしくね」

「あぁ」

 ノアに瞳を向けられると全てを見抜かれてしまいそうで、怖かった。

「ねぇ、ノアお兄様。ちゃんと寝てる? 目の下のクマがすごいよ。顔色も悪いし」

「仕事が立て続けに入っていて、寝る暇がなかったんだ」

 そう言いながらノアは腕を上に伸ばした後、大きなあくびをした。

「そんな状態で、もしなにかあったらお姉様を守れるのかしら」と口を膨らませる。

 リリィは生意気な口を使うが、彼女の特別な愛嬌のせいでそれさえも可愛くみえてしまう。


「ねぇ、カルヴィン家が帝国へ寝返る前に……」

「なんだ、リリィも知ってたのか」

「サイリスお兄様と会う機会はなかったの?」

「なかったよ。もしあったら……」

 ノアは宙を見上げ大きく息を吐いて、「無理か」と呟いた。それにつられるように、リリィもため息をついてもう一度マットレスに身体を沈めた。ベッドの外に投げ出された足は、力なくブランブランと揺れている。

「着替えてくるわ」

 彼らの会話を聞いているとあの手紙のことを話してしまいそうで、私はその場から逃げるように衣裳部屋の中へ向かった。


「サイリスお兄様が、お姉さまを置いて行ってしまうなんて」

「あぁ」と彼は息を吐きながら相槌する。

「ノアお兄様は、どう考えてる?」

「カルヴィン家の策略」

「スパイってこと?」

「俺は、そう信じたい」

 そして彼らの会話は止まった。


 震える指先で、用意された深い青のドレスへと手を伸ばした。ドレスを身に纏ってから白色のコルセットを自分で締め、パールのカチューシャを頭に付ける。少し前に、サイリスが似合うと褒めてくれたものだった。


 ――迎えに行く


 鏡で自分の姿を確認しながら、その言葉をまた口の中で反芻した。

 彼が考えていることが少しも分からない。ノアが言ったように、彼はスパイとして帝国側に潜入しているのではないか。そしていずれ任務を終えたらラグべリアに戻ってくるんじゃないか。だって、彼は私たちを置いていくはずがない。


 でも、もしそうだとしたら、彼の手紙に書かれていた言葉と辻褄があわない。


「お姉様?」

 衣裳部屋から出ると、リリィは心配そうな顔をして私の名を呼んだ。

「うん?」

「顔色が悪いぞ」

「お姉様……。大丈夫です、サイリスお兄様は近々戻ってきますから」

 彼女は駆け寄ってくると、私の手を握った。



 ふとドアへと視線をやるとそこにはナンシーが立っていた。

「失礼致します」

「あぁ、ナンシー。俺、今日からラナの護衛になったから」

「はい、存じ上げております」

「じゃぁ昨日のうちに、言ってくれればいいのに」

「ラナ様、昨日はとてもお疲れだったようで、お話するお時間がございませんでした」と説明するナンシーに、私は「そうね」と返事して彼女の顔から目をそらした。もうこれ以上昨晩のことを思い出したくなかった。

「リリィ王女、イギーが部屋の外で待っておりますので……」

 ナンシーはそう含んだような言い方をすると、リリィは首を横に振った。

「お姉様がこんな時に、離れられないわ」

 リリィがそっぽを向くと、イギーがそうなることを予想していたように部屋の外から「リリィ様、お帰りの時間ですよ!」とタイミング良く声を上げた。

「もぉ、イギーってば!」

 リリィが「イギーって本当に分からず屋なんだから」と声をひそめると、「聞こえていますよ。お約束はお守りくださいませ」とまたイギーが吠えた。

「しかも、耳がとても良い」とリリィは口だけを動かした後、がっくりと肩を下ろした。

「ではお姉様、また近いうちに来るわ。それとノアお兄様、お姉様のことをお願い」

 任せておけ、と示すようにノアは拳で自身の胸を叩いた。

「次はお泊り会をしましょう」と提案すると、「楽しみ」と彼女はいつもの様に満面の笑みを浮かべた。


 リリィの背中が見えなくなった途端、私は彼女の背中を追った。もし、本当にあの儀式が始まったらと想像すると、どうにもならない不安が身体を突き動かす。

 階段を下りようとする彼女へ駆け寄り、あまり背の変わらない彼女抱き寄せた。

「ラナお姉様! 一体どうしたの?」と、リリィは驚いた様子だったが、彼女も私の身体を抱き返してくれた。

「これから何があるか分からないから、気を付けてね」

「はい」

「イギーにロア、リリィをよろしくお願いいたします」

 彼らは力強く頷いたが、儀式のことを思うと何も信じられなかった。



 彼らを見送った後、部屋に戻りノアの隣に座った。話しかけようとしても、言葉は出てこない。

「ラナ、大丈夫だ。ロアもイギーも腕利きだと聞いた」

「えぇ」

 私はノアと目を合わすことに何故か気まずさを感じ、どこに送ろうかと空中を彷徨った視線はナンシーへと着地した。

「どこに行ってたの?」

「イギーと共に避難経路などの確認をしておりました」

「そう」

「ねぇ、いつリリィに会えるかしら?」

「ラナ様のお気持ちは理解できますが、またしばらくは難しいのではないかと」

「でも、こんな状況でバラバラ過ごすなんて気が気じゃないわ」

「お気持ちは痛いほど……」

「リリィが城に滞在できるように調整係に掛け合ってもらえない?」

「しかし、ラナ様……、残念ながら厳しいかと」

「こんな時だから一緒にいたいのに」

「こんな時だからこそ、だろ」

 とノアが声を上げた。

「万が一のことが起きたら、個々で動いているほうが安全だ」

「ノア様の言う通りです。ぜひ、ここは辛抱してくださいませ」

 そう二人に説得されると、分かったと頷くしかなかった。


 部屋がしんと静まり返ると、その時を見計らっていたようにトントンと微かにドアが叩かれた。

 その不自然なノックの仕方に、ノアは機敏に立ち上がり、ドアの前へ進んだ。私の目を見てその場から動くなと人差し指で床を指した。私は床に腰を下ろして、じっとノアの背中を見守る。彼がナンシーの顔を見てドアを指差して首を傾けると、彼女は素早く首を横に振った。

 ノアは腰にかけている剣の柄を握り、「誰だ?」とドアの向こう側にいる人間に問いかけた。ナンシーは私の一歩前へ出て、ブーツの中に隠してあったナイフを手に取り、臨戦態勢に入る。私は、その緊張感に圧倒され息が上手くできない。

「ノームガルデからの使者でございます」と返事が聞こえた。

 なぜノームガルデの人間が私の部屋に来るのか理解できなかったが、敵でないことに安堵した。しかし、彼らの背中は未だ緊張感を保っているように見えた。

「……何の用だ?」そう問いかける彼の声が、一瞬狼狽するように揺れた。

「御届け物にございます」


 ノームガルデは、ラグべリア教を統率するための組織である。彼らは国教の運営だけを目的としているが、彼らが父に忠告をし、国の指針を決めているのは周知のことだった。

 この組織は、この城からさほど遠くない鬱蒼とした森の中に身を隠すかのように建てられた古城を拠点として活動している。王室の子供は、成人するまで年に一度にあの古城へ行き、丸一日かけて祈りの儀式を行うことが伝統だった。ノームガルデと王室は、密接な関係だったが、今まで一度もノームガルデの人間が私の部屋に来ることはなかった。


「なぜノームガルデの使徒が直接私に?」私がドアへと歩き出そうとすると、ナンシーは私を制止した。彼女はドアから視線をそらさずに、まだだめだと首を横に振った。

「……本当になんでだろうな」とノアの右手は剣の柄を握りながら、左手でゆっくりとドアを開けた。ドアが軋みながら開くと、そこには紺青色のマントを羽織った恐らく男性と思われる男が跪き、黒いボックスを頭上へと差し出している。顔は深くかぶったフードで男の顔は隠れていて、それが余計に不気味な雰囲気を出していた。ノアはその男を見るなり、その場からふらつくように数歩下がって絶句していた。

 異様な光景だった。

 それまで太陽の日差しが部屋を明るく照らしていたのに、その男が現れた途端に外は薄暗くなっていく。


 ノアもその男も、何の言葉も発しない。意を決して、「ねぇ、それは何?」と私は彼らに問いかける。するとノアは、はっとして振り返り、私を見た。彼と目が合うと、その瞳にひどく怯えた色が滲んでいた。咄嗟に彼の名を呼ぼうと口を開いた瞬間、彼はその男のほうへ歩き出し、「その箱はなんだ?」と正気に戻ったように言葉を投げかける。

 すると、男は丁寧にその箱を開けて内容物を彼に見せつけた。

 そしてしゃがれた声で「ラナ王女に、スバートのダガーをお持ち致しました」と言葉を吐いた。

 ノアは呆然と目の前に差し出された物を眺め、その背中から力がふと抜けたような気がした。

「ノア? どうしたの」と、ナンシーの制止を振り切って彼に近づくと、その横顔から血色が失われている。

「ねぇ、顔色が悪いわ」

「いや、大丈夫だ」

 ノアは、私の両肩を掴んでその場から数歩下がるように言った。そして、彼はその黒い箱の蓋を閉じて男の手からそれを受け取ると、男は何も説明をせずにその場から煙のように去っていった。


 ノアはその箱を片手に持ち直しドアを閉めた後、一番近くにあった棚の上にその箱を置いた。彼が青白い顔を険しくしてその箱を睨んでいる理由は分からなかった。そんな初めて見る彼の表情に不安を覚え、逃げるようにナンシーへと視線を送ると、彼女も同じように無表情にその箱を見ている。

「ねぇ、これは何?」

「これは……」ノアの声は擦れ、後の言葉は出てこない。

 私は、その異様な空気に耐え兼ね箱の蓋を開けた。そこには、刃の部分も柄の部分の皮も全て黒く塗りつぶされたようなダガーが、赤いベルベッドの布に置かれていた。その小ぶりなダガーの柄につけられているチャームには、合計三つ宝石を嵌め込む空枠があり、一つはすでに深い青色のサファイアが埋め込まれている。

「これを私に?」とそのダガーに手を伸ばした瞬間だった。

「触るな!」とノアが叫ぶ。

 私は伸ばしかけた手を引っ込ると、彼はその箱の蓋を乱暴に閉じた。彼の怒った声やその気迫に、一瞬呼吸が止まる。

「ごめんなさい、てっきり触っていいものだと思って」

「いや、すまない。怒鳴るつもりなんてなかった。でも、この箱の中身に触らないほうがいい」

「どうして?」

「それは……危ないから」

 明らかにノアは嘘をついていた。ナンシーでさえ、なにも語らなずに呆然としている。

「危ない?」

「あぁ。後で返しに行くから、大切に保管しないと。ナンシー、この引き出しは空いているか? それと鍵を掛けたい」

 ノアは、棚の一番下の段を指差した。

「空いております」

 そうナンシーが答えると、彼はその引き出しに箱を入れた。

「後は施錠してくれ。その鍵は君がしっかり保管して。誰の手にも渡さないように」

「承知致しました」

 ナンシーはいつのまにか鍵を手にしていて、すばやく引き出しの前に屈んだ。長い間使われていなかった鍵穴は待ち構えていたように鍵を飲み込み、彼女が鍵を右に回すとガチャンと歪な音を立てた。

「色々と状況を確認しに少し外へ行く。外に護衛兵がいるから俺が戻るまで部屋から出ないでくれ。ナンシー、頼んだぞ」

「仰せの通り」

「気を付けてね」

「ラナも」

 そしてノアは、部屋から飛び出した。するとナンシーは、「あぁ、ノア様にお話があるのを忘れておりました」と言って彼を追っていった。

 部屋には誰もいなくなりシンと静まり帰ると、私は黒い箱が入っている引き出しから目を離せなかった。



 その引き出しの隙間から、目には見えない黒い霧が漏れているような気がした。

 その霧を吸い込んでしまわないようにと、数歩下がりそのままソファに腰かけた。だが、その引き出しからは目が離せない。

 ノアのあの怯えた横顔が忘れられない。

 もしかして彼は儀式のことを知っているのだろうか。まさかそんな訳がない。私だってあの儀式の存在について昨日知ったばかりだ。

 勝手にあの黒いダガーが自分の首を切り裂くイメージが脳裏に流れてくる。なんの躊躇もなく、そのナイフは私の首へゆっくりと入り、温かい血がドレスを濡らしていくと私は徐々に呼吸ができなくなっていく。

「ラナ様?」

 ナンシーはいつの間にか戻っていたらしく、私は彼女の声でそのイメージから解放された。

「少し眩暈がしただけよ」

「お顔の色が……。少し横になってください」そう言って私の腕に触れたナンシーの手は、冷え切っていた。


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