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焼け野原と白い翼

 窓が雨に打たれて、バチバチという激しい音が部屋中へ響く。黒くて厚い雨雲が空を覆って、外は真っ暗になっていた。もしかしたら雷もなり始めそうだ、と未だ冷静な頭の片隅で思った。


「血が必要なのですか?」

 声に出した後、また頭の中で単語を繰り返す。儀式、私たち、そして血。簡潔な言葉たちが並び、その意味も理解できた。もし血が欲しければ、今この瞬間にでも指先に針でも刺して血を出すことは造作もない。

 だが、彼の様子から、私たちの思い描くそのイメージに大きな相違があるに違いない。

「一体どのような儀式なんですか?」

 父は、気力なく首を横に振った。

「私はこの国を守るためなら何でもします。心配は無用です」

 という無責任な私の言葉に、父は頭を抱えて「そんな簡単なことじゃない!」と突如声を荒げた。


 父は顔を伏せながら、「すまない」と弱々しい声を出したが、私は彼に掛ける言葉が見当たらず、立ち尽くすしかなかった。だが、もし父がこのまま私に隠してきた事実を話すのを諦めてしまったらと思うと、私は自身を奮い立たせて話を進ませねばならなかった。もう何も知らずに、ただ出来事に飲まれるだけの子供ではいられない。

「お父様、私をこの国の王女としての役割を教えてください。絶対に全うすると、国に誓います」


 しばらく雨の音だけが聞こえていた。

 すると突如父は顔を上げ、口を開いた。その表情は、今までの葛藤を手放したように虚ろとしていた。

「お前と妹二人の命を引き換えにしてでもか?」

 私は、彼の言葉を理解することができず、自然と眉間に力が入る。

「父上、仰られている意味が理解できません」

「本当にすまない、こんなことになるとは想像もしていなかったんだ。自分の娘たちをまさか生贄にしなければならないなんて……」

 首を垂れる父と、受け止められずに浮遊していく言葉たち。目の前の世界がどんどん歪んでいく。

「仕方ないんだ…私にはどうしようもできないんだ。許してくれ」


 これから起こるであろう出来事が頭の裏を駆け巡る。段々と頭に血が巡りはじめると、その言葉たちが形を変えて身体を射る。脈を打つ度に、大量の血が傷口から流れていくようだ。視界が段々と色褪せて、ついには暗闇になっていく。

 許してくれ、許してくれと赦しを請う行き場を無くした言葉が頬を掠める。


「私たちは、殺されるのですか」

 王は否定してくれない。

「生贄には、私だけではいけないのですか?」

 やはり父は何も言わない。

「父上!」と私が吠えると同時に、後ろのドアが三度叩かれる音が響いた。

「少し待って頂けますか?」とドアに向かって声を荒げるが、向こう側にいる人は私の言葉を受け取ろうとはしなかった。

「お話し中ところ、失礼致します」

 そう言って強引に扉を開けたのは、タリアという名の父の執事だった。

「タリア、もう少しだけ時間をください。今、とても大事な話をしているのです」

「ラナ王女殿下、申し訳ございませんが陛下は今すぐ大事な会議に出席しなければならないのです」

 普段と変わらない冷たい視線を私に向けた後、彼は父に耳打ちをした。すると、父はまるで操られた人形のように立ち上がり、「また後で話そう」と躊躇うことなく部屋から出て行こうとする。その背中は、ただ私や妹の存在から逃れたくてたまらないようだ。

「父上!」

 タリアは父の背をそっと押し出した後、くるりと私のほうを向いてこう言った。

「すぐに例の儀式について、専属の従者が参ります。彼が詳しく説明するので、少々お待ちください」

 そして彼は小さく会釈して、私に有無を言わさずに部屋を出た。


 まるで、生気も希望も焼けつくされた焼け野原に取り残されたようだった。足元が崩れるように床へと座り込む。じわりじわりと得体の知れない恐怖が、つま先から侵食していく。ゆっくり時間をかけて、その恐怖は私の首へと到達し、そしてそっと縛り上げてくる。息を吸おうとしても喉は塞がっていて、肺に空気を送り込めない。どんなに勢いよく空気を吸い込もうとしても、その苦しさからは解放されない。

 落ち着かなければという唯一冷静さを保っていた意識も、その膨張した不安に押し殺されてしまった。

 孤独だった。

 近い未来、こうやって一人で世界から消えていくのだと想像すると全身から力が抜けていく。

 視界が薄れていく中で、ふとナンシーの顔が脳裏に浮かんだ。そうだ、自室に戻ればナンシーが待っている。でも、脱力した身体では立ち上がることさえ出来ない。窓を打ち付ける雨音はけたたましく鳴り響く。そしてその音は鼓膜に突き刺さり、立つ気力を奪っていく。もうどうすることば出来なくて、痺れている指先で耳を塞ぎその鋭い音から逃げるように身体を丸めた。もう少ししたら、と何度も口の中で呟いた。


 うるさい雨音の中で、軋む音が聞こえた。廊下の光が部屋に差し込む。誰かが、部屋に来たのだと理解することはできたが、その方向へと顔を向ける余裕など無かった。

 足音が近づいてくるのが聞こえた。その人はゆっくりとこちらに歩み寄り、優しく私の肩にそっと手を乗せた。

「ラナ」

 その声は、まるで悪夢から目を覚ますようにと鳴らされた聖なるベルの音のようだった。

「ノア、私……」

 私の声はひどく擦れて言葉にもなっていないのに、彼は分かっていると示すように頷いた。

 そして彼は「部屋に戻ろう」と呟き、私を抱き上げる。

 もしこんな姿を誰かに見られでもしたら、また駄目な王女だと言われてしまう。彼に下ろすようにと、首を振って意思を示すも、彼は「会議でこの階には誰もいない」と言った。

「私ここで待たないと」と声をふり絞る。

 しかし彼はまた、「安心しろ。大丈夫だ」と答えるだけだった;


 自室へ戻ると、ナンシーがぐったりとした私を見て、小さく声を上げたのが聞こえた。そして彼女は私に声をかけることはなく、ただノアに耳打ちした後部屋を出て行ってしまった。パタパタと遠ざかってしまう彼女の足音に、私は一人だけ悲しくなる。

 ノアは私をベッドに下ろした後、私の顔を覗き「水、飲むか?」と聞いた。

 私が頷くと、彼はチェストの上に置かれたウォーターピッチャーを見つけ、コップに水を注いだ。ふと窓の外に視線を移すと、雨は先ほどの勢いを失っていたが、未だしとしとと降り続けているようだ。


 自室へ戻ってきたはずなのに、閉塞感は消えてくれない。

 これからのことが思い浮かばない。せめて妹たちだけでも、とそう思う一方で彼女たちも王女として国民を守る義務を担っていることも理解出来ていた。私がこの髪を持って生まれてしまったばかりに、潔白な彼女たちも巻き添えを食らう。そして、そのどうしようもない冷血な儀式が始まってしまう原因は、この私だ。


 目の前に水の入ったグラスを差し伸べられると、私はその水を一気に飲み干した。彼は少し驚きながら、ベッドの隣に置かれた椅子に座って、私の様子を注意深く見ていた。彼にお礼をすべきなのに、今は声を出す気力もない。身体と精神がバラバラになってしまったみたいだ。

「落ち着いたか?」

 その問いに、ゆっくりと頷いた。

「たぶん聞いてるだろうが、サイリスが国から出た。帝国側へ寝返ったみたいだ」

 私は手の中にある空っぽのコップを見つめるだけで、何も言えなかった。

「たぶん、アイツの親父さんの策略だろう」

「でも……」

「あぁ」

「彼が何も言わずに私たちから離れるわけないわ」

 こんな擦れた小さい声でも、私の言葉はノアに届いている。

「俺もそう思うよ。さぁ、今日はもう寝たほうがいい」

 その言葉に甘えて、ベッドに横になるとノアは安堵した表情を見せ、私の頬に軽く手を添えた。

「今日は城に泊まるから、明日の朝起きたらすぐ来る」という言葉に、私も未だ硬直している口角を強引に引き上げて、「おやすみ」と部屋から去っていく彼の背中を見送った。


 しばらくするとメイドが部屋に入ってきて、寝間着への着替えを手伝ってくれた。ナンシ―はあれからまだ帰っていないらしい。

 部屋にまた一人になると、またあの得体のしれない恐怖が暴れ出す。なのに身体は重く、瞼は重い。まるで胸の上に誰かが乗っているみたい息苦しい。怖い。

 目を閉じるのが怖くて、天井をじっと見ていると自然と涙が溢れ出してしまう。何度も何度も寝間着の袖で拭うが、涙は止まらない。

 次第にその動作にも疲れてしまい、ただ息をひそめて朝が来るのをじっと待つことにした。起きていれば、大丈夫なような気がしたのだ。



 突如翼が羽ばたく音と硬い何かが窓ガラスを叩く音が聞こえ、私はハッと目を覚ました。すでに外は明るく、あの後眠ってしまったようだ。

 私を起こした白い鳩は「窓を開けろ」と言わんばかりに、窓辺から赤い瞳をこちらに向けている。

 窓を上へ押し上げると、その鳩の脚に紙のようなものが巻きつけてあるのを見つけた。私は鳩の身体を脇腹で抑えながら、その紙を取り外した。そして鳩を外へ戻すと、彼は仕事を終えたことを悟ったように静かにそこから飛び去っていった。


 私はその白い翼を悠然と羽ばたかせる背中を見送った後、その紙の切れ端を開いた。

「迎えに行く」

 とだけ書かれてあった。

 署名はされていなかったが、この筆跡には馴染みがある。あぁサイリスだ、と分かった瞬間、形容できない安堵感が身体の真ん中からじんわりと広がっていく。私たちは彼に見捨てられたわけではない。彼もこの国のために考えてくれているに違いないと希望に満ちた思いが駆け巡ったが、もう一度彼の言葉を読み返すと、舌の上でザラリした感覚がした。



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