3-10 見えない明日
ベクセアさんが部屋を出て行ってから、少ししてレアちゃんが部屋に戻って来た。
「あ、お帰りなさい」
無表情で口数少なそうな女の子だけど、コミュニケーションは取れるに越した事はない、筈。
「……」
沈黙が返って来た。
「……あの、ええと、レアちゃん?」
話題が出て来ないって寂しい。とばりも口数は多くない方だけど、この子の寡黙さはそれ以上だ。
「……ベクセアは?」
質問をしてくれた。でもやっぱりその話題が最初に出て来るって事は、この子にとってベクセアさんがとても大事な人なんだって事なんだろう。
「さあ。なんだか、アフターケアがどうとか言ってたけど」
「……そう」
「うん」
……それから、また沈黙。
「……大丈夫なの?」
唐突に、そんな言葉がレアちゃんから出て来た。大丈夫……その意味する所が解らない。
「何が、なのかな?」
「ベクセアと一緒に居て」
あの女の人。別に問題はなかった筈。銃を持っているとか、そういう危なっかしい点を除いてだけど。
「何か問題でもあるの?」
レアちゃんは、少し考え込むような仕草をして。
「……あの人は、前から女を連れ込むのが得意だった」
「……はい?」
どういう事?
「言葉通りの意味」
言葉通り……。
つまりはあの人、そーいう趣味のお方なんだろうか。さっきもこの子の事、愛人とか言ってたし。
「貴方も気を付ける事」
気を付けるって、そりゃあ無理だ。本気で迫られたら、逃れるすべが思い付かないもの。だって銃持っているんだぜ。その前置きがある時点で、抵抗しようなんて考えられない。
……そんな行動に出てくれない事を祈りたい。私はあくまでノーマルなんだからさ。
ややあって、ベクセアさんが私達の所に戻って来た。
「お帰りベクセア。今度は何人?」
レアちゃんが、また意味の解らない質問をする。
「四人よ。一人は隠れていたわ」
――四人。一人は隠れていた――。
まさか――と思って、だけど考えるのはやめた。どうせろくでもない事だ。薮を突ついて蛇を出す、なんて事にはならないように、沈黙を通すのが一番いい。
「――さて。ひとまず脅威は去った訳だけど」
ベクセアさんが、私達の方を向く。ちょっと、さっきの女を連れ込む――って話が頭の中に引っ掛かっていて、何事かと身構えてしまう。
「貴方達は、これから元の世界とやらに帰るのよね」
――ああ、その話だったか。
「……ええ。ずっとここに居る訳にもいかないからね」
出来れば早くに。人が死んだり、殺されたりする光景なんて、これ以上見たいとは思わない。
「でもどうやってこっちに来たり、帰ったり出来るのかしら。私の知ってる限り、“表”への入口は一つだけだった筈だけど」
「多分、それとは全然別よ。私達は穴を通ってこっちに来た訳だから」
「穴……」
少し、考え込むような仕草をするベクセアさん。
「扉とは、違うのね」
扉――違うよなあ。私達は穴に飛び込んで違う世界を行き来している訳だから。
そして察するに、
「ベクセアさんは、その、扉を通ってこっちに?」
「そうよ。私とレアは、“表”と“裏”を繋ぐ扉を通じてここに来た。その扉を破壊しちゃったものだから、どうやっても帰れなくなったんだけどね」
帰れるかも知れない。この危険な世界から出られるかも。そんな淡い期待が、彼女の言葉にはあった。
だけど、残念ながらその期待は叶わないだろう。彼女らが、同じくアリス症候群プラスだとするなら話は変わるんだけど。
「折角だから、見せて欲しいわね。貴方達が来たって言う、その穴を」
そりゃ見たいだろうさ。平和に戻れるかも知れない、僅かな可能性なんだもの。
それはこの建物内にある。
案内するのは簡単だった。最初にここに来た時の部屋。そこに行くだけだもの。
そして、私達四人は、穴のある部屋へと戻って来る。
問題は――。
「ここに、黒い穴が?」
ベクセアさんが言う。私は頷く。
最初の部屋。そこにはやっぱり、私達が最初に来た時と同じく、部屋の隅の方に二メートル程の大きさの黒い穴があった。
「私達はここをくぐって来たの。貴方達の言う“表”と同じ世界かどうかは知らないけどね」
穴のある方を指差す。少なくとも私には、そこにはっきりと黒い穴が見えていた。私の横に居て、私の服の裾を摘んで立ってるとばりも、同じものが見えてる筈。
レアちゃんが前に出て、床を這う。床に落ちてる何かを探すみたいに手探りしてるけど、私から見ると、その女の子が黒い穴の上に浮かんでるように見えた。
「なんにもない」
レアちゃんがこっちを見て言った。やっぱり、見える者にしか潜ったり出来ないんだろうか。以前、見えない筈の穴に入って私達を追い駆けて来た奴が居たんだけど。そんな例外は滅多にないのかな。
とばりが穴に近付いていく。レアちゃんの居る所にまで行って、しゃがみ込んでからその穴の中に片足を突っ込んだ。
「っ!」
言葉にならない驚きを見せるレアちゃん。
「……驚いたわね」
静かに驚きを言葉にしてみせるベクセアさん。
「どう見えたの?」
私が実際に見たのは、とばりがマンホールみたいな穴に片足を突っ込んだってだけの光景だ。普通には危なっかしい行為だと思うけど、今更驚く程の事でもない。
「その子の足が、床に埋まったのよ。コンクリートの床にね」
成程、それは驚く。現実にはあり得ないような光景だろうもの。
現実にはない。
つまりは、見えない。くぐれない。
となると、この人達はやっぱり“裏”から出られない事になる。
そんな人達の前で帰っていくのは、ちょっと気が引けるんだけど。
だけど仕方ない。私達には帰る場所がある。
「残念だけど」
ベクセアさんが言う。
私ととばりは穴に入れる。この人達は穴に入れない。
それが事実。残念な結果。ベクセアさんとレアちゃんは穴が見えなくて、そこに干渉も出来ない。
つまり、やっぱり私達は帰れて、この人達は帰れないんだ。
……現実ってのは非情だ。
「ほら。貴方達は帰る事。折角帰り道があるんだから」
「……でも」
とばりが、小さく言葉を発した。
「二人はどうするんだよ。ずっとここに居るの?」
その後の言葉を、私が引き継いで言う。
これは解ってた結果だ。だけど、
「私達には帰り道はないみたい。きっと神様が罰を与えているんでしょうね」
ベクセアさんは、それでも微笑みを崩す事なく、私達を見やる。
「生きなさい。私達に構わず」
それは小さい、あまりにも小さなエール。未来の見える私達に向けた、明日の事さえ見えないこの人達からの。




