3-8 少量の希望
それにしても、とばりが戻って来る気配がない。
あの人の相棒の人が追っていったっていう話だけど、まさかそれを怖がって逃げ回っているとかじゃないだろうな?
気持ちこっそりと、“今”の本を開く。今とばりと私とを繋ぐものは、これしかない。
“今、とばりはこちらに向かって来ている”
そんな文が浮かんで来た。
とばりが戻って来る。
つまりは誰にも触れる事なく、無事に居るという事か。
だとすると、良かった。安堵の溜息だって出て来る。
「どうかした?」
ベクセアさんが、私に訊いて来る。
「いや、とばりがこっちに帰って来てるって」
「へえ……そんな事が解ったりするの?」
「あ、まあ、そうね」
「以心伝心?」
ちょっと違う気がする。
「発信機みたいなものね」
適当に答えてみる。私にだってよく解らないものなんだ、この本は。
まあ、これの正体についてはあとで考えればいい。
それよりもとばりだ。もうすぐ会える。
安心感も生まれるってものだ。
「嬉しそう」
「まあね」
ここで憩いがあるとすればそれだ。あの子が無事で居る事。
そして二人で帰るんだ。このスリル大ありの非日常から、退屈だけど、平和な日常へ。
「時子」
その時、戸が開いて、幼げな声が私を呼んだ。
「とばり!」
とばりの姿。長い黒髪の、白いワンピースを着た少女。
それを見た瞬間、すぐに駆け寄っていく。
抱き付く勢いで、私はとばりの体を包み込むようにした。
「大丈夫だった? 怪我とかしてない?」
「心配掛けてごめんなさい。怖い所だった」
そりゃそうだよ。
いきなり銃が出て来るわ、誰かに触ったら死ぬとか宣告されるわ、
穏やかな所な訳がない。
感動の再会、その横で、小さな女の子が私達の居る部屋に入って来た。緑色の短髪。黒い上下のちょっとぼろっちい、膝とか擦りむいているような服装をした、どこか感情の薄そうな無表情の女の子が。
「おかえり。今日は何人?」
その女の子に、ベクセアさんが微笑みながら声を掛けた。
「……三人」
「そう」
二人だけで通じる話をしてる。三人って、なんの事だ?
「……ベクセア。その人は?」
知らない女の子が私の方を見て言う。
「お客さんよ。表側のね」
「――そう」
それだけ言うと、女の子は私の方を見なくなった。興味がなくなったらしい。“表”から来たっていう意味、解る筈だとは思うんだけど。
「この子の事は気にしないで。人見知りなの」
とても無口な子だ。
その子は私達に構う事なく、さっさとこの部屋を出て行ってしまう。
……なんだかどことなく、とばりに似ている気がするなあ。雰囲気的に。
「あの人はどういう?」
「私の相棒、いえ、愛人かしら」
「は?」
愛人? とか聞こえた。
女×女?
そーいう趣味なんだろうか。冗談かも知れないけど。
「ふふっ」
ベクセアさんがこっちを見て笑う。これはひょっとしてからかわれたんだろうか。
だけども、大切な人ではあるんだろう。そのニュアンスだけは伝わって来た。
そして、ベクセアさんも部屋を出ていく。あの女の子を追って行ったんだろうか。残されたのは、身をくっ付けている私達二人。
しばらく二人で抱き合っていたんだけど、とばりが「苦しいです」と言って来たので、名残惜しいけど体を放す。
「ごめんごめん。でもそれくらい心配したって事だよ」
「心配する程私は苦しくなるっていう事ですか」
「うちの家じゃ、親を心配させ過ぎるとげんこつが飛んで来たりしてたんだけどね」
「私は、今までげんこつを貰った事はないですけど」
「あ、親父にもぶたれた事ないのにってやつ?」
「はい?」
首を少し、斜めに傾けるとばり。
「ごめん、今の忘れて?」
どうやら世代が違うらしい。ネタが通じない時程、むなしい気持ちになる事はないだろう。
「そんな事より、良かった」
「……何がです?」
「誰にも触られないで。無事に居るって事だもん」
「ええ、あの女の人から聞きました。なんでもこちらの人に触れるのは危ない事だとか」
「どうやらそうみたいね」
二人して言われた事だ。それは間違いとかじゃないんだろう。
「おっかない所だわ、本当」
「……時子は、早く帰りたいですか?」
私の方を見上げて、とばりは言う。
「そうね。帰れるんなら早くに越した事はないわ」
「……そうですよね」
なぜか顔を伏せ、呟くような声で言う。
どうしたんだろう、とばりは。ここに来る途中で何かあったのか?
それとも、もしかして――、
「……あの二人は」
やっぱり。とばりもその事を考えるのか。
“表”から“裏”に来たという、あの二人。
色々お世話になったし、悪い人達じゃない。それは解る。だけど――。
「解らないわ」
そう答えるしかない。ここがどんなに危険で、希望のない所だったとしても、
「あの穴が見えるのなら、まだ戻れたりも出来るのかも知れないけど」
見えなければ、彼女達は置いて行くしかない。だってどうしようもないんだもの。出来ない事はどう頑張っても出来ないんだ。百パーセント無理な事に、責任を持つべきじゃない。
「……なら、あるかどうかを見て貰うだけでも」
――それに答えるのに、少し言葉が詰まった。
あの穴に入れるならいい。少なくとも、誰かに触れば消えてしまう、なんて危険な日々を送る事もなくなるだろう。只、銃を持った人間が、銃刀法違反という法律のある日本に出て来てしまう、という問題はあるけど。死んじゃうよりはずっといい筈。
だけど入れなかったら?
それは彼女らの希望を潰してしまう事にならないか。
一度持ち上げておいて、また落としてしまうなんて事は、
「……時子?」
呼び掛けて来る声。心配そうな、彼女の目がある。
「ああ、うん。見て貰う、か……」
あまり気乗りはしないけど。
「時子。話をしてみても、いいんじゃないですか?」
それは考えた。ベクセアさんも私達がどこからどうやってやって来たのか、興味がありそうではあったし。
「……そうね」
少なくとも、今より悪い事にはならないだろう。穴が見えて、入る事が出来れば解決する話だ。
勿論最悪もある。穴が見えずに、入れない場合。
その時は、残念だけど――私達は力にはなれない。
じゃあ、どうして私達はあの人達と関わってしまったんだろう。
そこに意味はあるのか。そもそもアリス症候群プラスである事自体、何かしらの意味があっての事なんだろうか。
解らない。私達はその謎の症候群に翻弄されているだけだ。
「……じゃあ、少し話をして来ます」
とばりはそう言って、部屋の戸の方に歩いていく。
「可能性さえ、ゼロなのは嫌でしょう」
そう、ここには限定的ながら、違う世界に行ける可能性がある。
こんな危なっかしい世界に居続ける理由もなくなるかも知れない。
とばりは、それを諦めたくはないんだろう。
助けたい――そんな確固たる意志を持って、とばりは部屋を出て行った。
勿論……助けられるならそれに越した事はない。
平和な世界で、銃なんか捨てて平和に過ごせたら――。




