2-6 入口と出口
白熊の家を出て、すぐ裏の森の木の陰。
白熊さんの話によると、私はここに倒れていたらしい。
そして、そこにあった。
黒い穴が。
ここに来る前に見たのと同じ、大体二メートルくらいの幅の、黒くて丸い穴。
これは帰り道だ。こうした異世界に行く時に、絶対に憶えておくべき場所だ。この中に入れば、元の世界に帰れる。勿論今帰る訳にはいかない。とばりを見付けて連れ戻さない事には。
「ねえ白熊さん」
「はい、なんでしょう」
「ここらにさ、変わったものがあったりする?」
「変わったもの、ですか……」
きょろきょろと、辺りを見回す白熊さん。
「何かあるんですか? ここ」
疑問の言葉を口にしてくれた。うん、やっぱりね。解っていた事だけど。
この穴は、誰にも見えない。触ったり出来ないし入る事も出来ない。
例外が、とばりと私だ。繰り返すけど、なぜかは解らない。とばりの方はアリス症候群プラスという理由が、一応あるんだけど。
私がこれを見えている理由、私が穴を通れる理由、
……ひょっとしたら、私もプラスなのかも知れないな。
「いや、なんにもないならいいんだよ。ごめんね変な事言って」
「いや構いませんよ。気にはなりますけど」
「気にしないで。さって、じゃあそろそろ行くわ。お世話になったね」
「お気を付けて。また会えるといいですね」
「ありがと。それじゃあねえ」
手を振って、私は白熊さんに背を向けて歩く。
まあまた会うんだろうけどね。出口がここにある限りは。
・
――あるーひー、もりのーなっかー――。
鼻歌など歌いながら、熊さんから教えられた猫の町までの道を行く。
その間に気になったのは、やけに周囲が薄暗いという事。
元の世界からここに飛び込んだのは午後、夕方近くだ。日はまだ出ている時間帯。
なのに今は夜の手前みたいに薄明るい。森の中の道という事もあるけど、それにしたって空は見えてるんだ。なのに太陽がない。月もない。星明りだってない。それでいて程良く周囲の様子が解る程度の明るさとは。
これはどういう事だろうか。
……単純に、日が暮れるまで寝てた。
一番納得出来る理由だ。というかそれ以外にまともな理由は思い付かない。
……まともじゃない理由なら幾つか思い浮かぶけど。
だってここは不思議の国なんだもの。熊が服着て普通に立って喋る所なんだぜ。太陽や月以外の謎の光で辺りが照らされてるとしても、何も不思議じゃない。なんだか人間としての常識力がどんどん削られていく気がするけど、そんなの気にしてたら異世界ではやっていけないぞ。
そういえば。熊が喋ったってだけで驚きで思考が麻痺してしまったんだけど。
……なんで日本語を喋ってたんだろうね。
いや英語とかならいいのかって問題でもないけどさ。因みに私は英会話は無理。精々が和製英語程度だ。ハロー。そしてグッドバイ。それくらいしか本家の人達と会話を成立させられる自信がない。この語彙力のなさは、高校時代以前にまで遡る勉強不足というツケのようなものだ。
だけどあの白熊さんは完全に私と会話をしていた。意思疎通していた。
疑問だ。
まあ、熊語でがうがう言われるよりはずっといいけどさ。もしあれがそんな熊だったら本当に卒倒していただろうし。
うん。深く考えないようにしよう。日本語万歳。言葉って素晴らしい。そう楽観する。
住人達の見てくれさえ気にしなければ、結構上手くやっていけるんじゃないかと。寧ろ人間社会よりもいいんじゃないか? と思ったり。都会だと色々と煩わしい事もあったりするしな。
……なんて、自分の存在意義まで疑問に思い始めた頃に、ようやく森の中までとは違う光景が見え始めて来た。
明かりだ。薄暗い中でぼやっと明るい所がある。もっと歩いて近付いていくと、その明るい所にかくかくした形のものが見えて来た。恐らくあれは建物だ。
白熊さんが言っていた、猫の町に近付いているんだろう。
でも大丈夫かな? 猫達の町と言ってたけど。いきなり人間がやって来て、「やあこんにちは」「本日もいいお日柄で」こんな和やかな雰囲気になってくれたりするのかな?
……心配しても仕方ないか。とばりが居るかも知れないんだ。どのみちあの子の手掛かりがまだないんだから、どこへなりとも行ってみるしかない。
どんどん近付く。木々がどんどん開けてきて、町中への門が見えて来る。
……ファーストコンタクトの為に、何か考えておいた方がいいかな?
「やあこんにちは」
「本日もいいお日柄で」
独り言を呟いてみる。こんな感じで和やかに行ければいいなあ。
門が近付く。
どきどきして来る。
時間が時間だからか、騒がしい音とかはしないけど。明かりもある事から、誰かが生活している感じは伝わって来る。明かりがあるって事は、電気も通ってるって事なのかな。……或いは電気とは別の、謎の光って事も考えられるけど……。
どんどん近付く。門が直前にまで迫って来る。別に鬼とか蛇とか出て来るわけじゃないだろうけど。猫なら出て来るんだろうけどな。
……がさり。
その時、音がした。どこかから。
辺りを見回す。もう森の中じゃないから、左右にあった木々の壁はなくなっている。代わりに背の高めの茂みだけが、道を挟むようにある。
でも、がさりって音がしたって事は、そこには何かが居るって事じゃあないのか。道を行く最中に、風は殆ど吹いてなかったんだから。
がさがさっ!
大きく動く音が。そして突然、
でっかい猫っぽいのが何匹も出て来た。
「う、うわあっ」
直立歩行するいっぱいの猫が、茂みの中からわらわらと飛び出して来る。
みんな人間とそう変わらない体格をしていた。猫人間って言うんだろうか。猫達はそれぞれいろんな柄の毛並みをしていて、全員がしっかり同じ服を着ていた。妙にいかつい茶色の服。そして手には槍、みたいなものを持って、みんながそれをこっちに向けて来る。
「危ない、危ないって」
猫は好きだけど、物騒な得物なんて持っていると流石に怖い。槍で突っつかれそうな距離にまで近付かれると、もう両手を挙げて完全降伏するしかないぞ。
「大人しくするんだにゃ」
こいつらも日本語喋ってるし。なぜか「にゃ」って付いているけど。
「命ばかりはお助けをー」
両手を上げる。槍の先が目の前にある。よく見るとそれはしっかりと尖っていて、それで刺されると痛いだけじゃ済まないと思う、絶対。しかも回りを囲まれている。逃げ道はない。
こんな所で賊に襲われる――ああ、私の人生、ここで終わってしまうのかも。
「こらこら。降参宣言している相手をそんなに怖がらせるものじゃないのにゃ」
はっきりとした別の声。槍を構える猫達を掻き分けて、武器を手にしていない白い猫さんが歩いて来た。その声を聞いてか、突き付けられた槍は少し離れる。
模様の見えない、完全な白猫。やっぱり二足歩行していて、他の猫と同じく妙にいかつい緑色の服を着ている。
「いや失礼しましたにゃ。事情がありまして、新しく見る人間にはちょっと神経質になってしまっているのですにゃ」
どうでもいいけど、語尾に「にゃ」を付ければ猫っぽいとか、そんな安直な。
「いやいいんだけどね。驚いたけど」
「危険はなさそうですにゃ。すぐに兵を引かせますにゃ」
この猫達のリーダーなんだろうか。そいつが手を上げると、みんな私に突き付けていた槍を引いて、猫達も後ろに下がっていく。
助かった。
「はふう……」
安堵から、息が漏れる。へなへなと足が崩れてく。
「おっとっと……大丈夫ですかにゃ」
リーダーっぽい白猫さんに体を支えられた。
「ああ……うん、大丈夫。槍とか突き付けられるなんて今まで生きていてなかったからさ」
「お詫びしますにゃ」
「いいって、理由があっての事なんでしょ?」
悪い理由じゃないとは思うけど。金出せやーとか身代金だーとか。だとしても困るぞ。この世界のお金なんて持ってないし、私の身内もここには居ないし。せめて口封じされない事を心から祈る。
「色々と説明しましょうかにゃ。取り敢えず落ち着ける所までご案内しますにゃ」
手を引かれる。引っ張られるように私は立ち上がった。
「ああ、ありがと……」
腕に伝わる手の感触。それはとても柔らかいものだった。
……だけど、
猫っぽい姿で、猫っぽい手。だけど人間の言葉を喋って、服を着ていて、道具を使う知恵だってある。二足歩行だってする。
これは果たして猫でいいんだろうか。
……いいんだろうな。深く考えない事にしよう。どうせ不思議の国の事なんだ。




