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終わるアリスの刻 -Mystic Princess  作者: 真代あと
第一話 草葉影の狼
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序-2 マイナス八日目

 ――あの人の事、

 私は割と好きですよ。人間的に。

 だけども一人、あの人が何か危ない物事に首を突っ込もうとしている時。

 それを私は止められるのか。首根っこをひっ捕まえて、戻って来いと言えるのか――。

 ……考えてみても、仕方のない事ですね。実際にそんな状況になってみない事には。




 西暦二〇〇二年。夏も只中、八月の初め。

 一年を通して、他に類を見ない程長い長期休暇の中に、今私は居る。

 大学の夏休み。

 よく聞く話として。大学とは、入学するまでがとても難しく、だけど入ってからはとても楽ちんに過ごせる――という事を聞く。大学受験に受かるまでのハードルは高いのに、いざその大学に入ってみると、日々を気楽に過ごしている大学生の多い事。これが休みの時期ともなれば尚更だ。現に、休みとなってやたらとテンションが上がって遊び回っている学生を、私は校内で何人も見て来た。

 個人的な考えだけど、そういうものは単に努力意識の差ではないかと思う。大学に入って気が抜けたのか、或いは小学中学高校と、只課題を与え続けられる事に慣れ過ぎて、自ら行動する事に重きを置かないようになってしまった結果ではないのかと。故に、苦労をして入った大学で、その多くは馬鹿騒ぎをし、怠惰的に過ごし、大した結果も残さないままに形だけの卒業をしていくんだな、と。

 なんて事を思いながら、私はこの大学に入ってから三度目の夏休みを、同じく怠惰的に過ごしていた。

 日々をだらける毎日だ。寝て、起きて、食べてを繰り返して毎日を生きてる。昼間はテレビを流し見るか、ゲームなどをして過ごしているだけ。私は今通っている大学で文学系のサークルに所属してはいるから、暇を潰そうと思えば潰しに行けるんだけど、どうもそれは乗り気になる事が出来ない。

 スランプにあったんだ。

 物を書く、という事を生業として目指そうとしている私にとって、これはとても心苦しいものがある。なにせ書こうと思ってもなかなか書けない。天啓のように、頭の中に降りて来るお話のネタなんかも全然ない。今までに書き溜めてるお話の構想は幾らもあるのに、それらの話が全然書き進められないというのは、とてもつらい事だ。これはもしや夏バテのせいなのかなあ、なんて思いながら、私は近所でよく行くスーパーマーケットで、最近大きく宣伝をし始めた高級食材である鰻の蒲焼を、がきんちょがもの欲しそうに指をくわえて見ている、みたいな心持ちで遠くから眺めていたりしていた。

 国産鰻の蒲焼。一つ千五百円オーバー。

 つらい夏バテに効果ばっちり! なんて謳い文句が、その隣、切り抜かれた段ボールの置かれた所に書かれていたりする。

 これを食えばスランプも治ってくれるかなあ……だけどこの値段よ。田舎の地方から出て来た一人暮らしの貧乏学生としては、これに手を伸ばすという事は非常にためらいがある。けちけち生活を送っている私の食費の何日分だろうか。

 食べたいけどさ。

 そう、脂の乗った一匹分の鰻を、ほかほかのご飯の上に乗せて、そして蒲焼のタレをそこにぶち込んで――。

 めっちゃ食いてえ。

 手持ちはあるにはあるんだ。一応アルバイトはしてるから。

 それは私の住んでいる所のご近所に居る、とあるご家庭の小学生――その女の子の勉強を見てあげるという家庭教師の仕事だ。彼女とはもう半年程の付き合いがあり、ご家族さんからもなかなかに良い評価を貰っている。この夏も引き続き、色々と面倒を見てやって欲しいと言われたばかりだ。彼女はいい所――はっきり言うとお金持ちな所のお嬢さんであって、物静か、だけど素直で頭が良くてとても可愛い子。

 ……お金持ちな所の……。

 普段勉強を見てくれているお礼とか言って、うな重でもご馳走してくれるとかないかなあ……。

 駄目な思考に走りそうになる。

 そんな事がある訳ないだろと、頭に浮かんだその妄想を頭を振って追っ払う。それ程現状参ってるんだ。

 よそはよそ。うちはうち。

 実家からの仕送りもあるし、バイト代もそこそこいいし。お金はあるにはあるんだけど、だからあるだけ使ってしまえー、なんてやけっぱちな思考にはあんまりなりたくない。実家なんて、そんなに裕福な方じゃないんだし。

 加えて、私には弟が一人居る。二歳下の弟。今年になって、私とは別の所だけど大学に通う事になり、同じく実家から離れて一人暮らしを始めている。勿論弟だって経済的に幾らか親に頼らざるを得ない状況だ。つまりは二倍、両親は子供の一人暮らしの為にお金を使っている事になる。

 ――さて。それで仕送りが来たとして、それをパーっと使いたいと思うかね?

 敢えて明確な答えは出したくない。物事の考え方なんて人それぞれなんだし。貧乏でもカンフル的な意味で食う奴も居るかも知れない。今の私に出来る贅沢といえば、国産鰻の隣の隣くらいに置かれている、お値段半額以下の穴子の蒲焼に手を伸ばしてみようかなあ、と思案するくらいのものだ。

 精が付くものを――とか思いながらも、そもそもスランプの原因はそういうものじゃない気がする。

 夏。

 暑い。

 開放的。

 それだけじゃないんだろう。私達日本人の思考として、夏という季節には心の深い深い所に、とても重いものが沈んでいる。そんな気がする。

 その証拠は、この時期――八月始め辺りのテレビなんかを点けて見ていれば解ろうというものだ。歴史、特集、などと称して、この日本の色々な負の記録が映る機会が多くなって来る。

 白黒の映像。空からの爆弾雨。止めようのない焼けた街。白く黒い巨大な噴煙。そしてまっさらに、瓦礫しかなくなってしまった平穏。ぼろぼろになったこの国。

 そんな悲劇的な時代が終わって、今はもう五十七年が経っている。私は戦争を知らない子供だった。当たり前だよな。少なくとも私が生まれて二十一年間は、この国は戦争とは完全無縁だったんだから。

 なのに未だに、テレビや新聞などではこの国の敗戦を引きずり続けている。

 それを知るのは大切な事。だけどそれは嫌な事。あの戦争からもう六十年近くも経っているというのに、未だに自らを貶め続けて一体何が楽しいのか。

 楽しくさせろよ。

 今の私には、そうしたものが必要だ。楽しい何か。或いは刺激的な何か。それが足りていないが為に、今書く事に思い悩んでいるんだと、そう思う。

 ……或いは、そう。もしかすると。

 夏だから涼しい話を、っていう訳じゃないけど。もしかしたら何か妙なものに取り憑かれているっていう感じがしないでもない。勿論そんな事はない。それが原因だったとしたらとっくに解っている。なぜなら私は――。

 いや、よそう。夏場に怪奇現象を語るのは某稲川さんくらいのもので充分だ。

 じゃあ一体どうすれば、この原因不明な妙な心持ちが変わってくれるのか。

 それを考え続けながら、今日もまた、お勤め先の門を叩く。

 お勤め先。彼女の所へ――。

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