1-13
「ところで、その鞄のもの? なんなんですか?」
うあ、あんまり触れて欲しくない所を。
目線を私から逸らして言う、京香のその目線を辿ってちらりと見るてみると、あのコロボックル人形がちょこっとスポーツ鞄の隙間から顔を覗かせているのが見えた。流石に大きく動いてくれたりはしなかったけれども。されても困るけどな。
「今流行の北の国から人形よ」
「北の国……?」
「ゴローさんっていうの」
「……ゴローさんそんな格好してました?」
ちょっと違うかも知れない。ゴローさんがアイヌ民族の衣装を着てたってのは見た事ないしな。でもまあ、嘘はあんまり言っていないし、北の国から来たってのも(多分)間違いじゃないだろうしな。文字で書けば似てるっぽいし。コロとゴロー。゛の所は紙に引っ付いているゴミです。ーの所は誤植でしょう。
「……都会って変なものが流行るんですね」
まったくだ。私だってそう思う。弟にこれを渡した人物は、何を思ってこれを手に取ったのか。是非ともお顔を見てみたいものだ。
「そういえばさ、早速だけど本題に入っていいかな?」
「そういえば、の部分が今の話とどう繋がるんですか」
「あんまり気にしなくていいよ。こっちの話」
「はあ……」
京香の目線が、若干下に、私のスポーツ鞄の方を見ている。そこにはやっぱりコロすけの顔が隙間から覗いていた。やっぱり何か、変なものを感じ取ってたりするんだろうか。不気味というか、不可思議的な感じを。確かに曰く付きな代物ではあるんだけれど。
コロすけには動くなとは言っておいたけれど、こうもじっと見られ続けているとあんまりよろしくはないだろう。この子にだって意思があるんだし。いつ動いて正体がばれようものなら――って考えると、焦る心も出て来るわ。
「三年前の事よ」
ずい、と顔を乗り出し、京香の意識をこっちに向けさせて、そうして掻い摘んで説明をする。
三年前。この子の通っていた高校に、同じく通う筈だった少女Aが亡くなったんだという話。
そしてその矛盾についても話をする。
その少女A。今から三年前の、それから更に二年前に事件が起きてから、昏睡、そして脳死判定を受けるまでになった。つまりは中学終わり頃から、ずっと寝たきりだった筈なんだ。
――なのにその間に、高校で行動している姿が見られている。
確かに、事件当時の十五歳、年齢表現で言えば、高校生とも取られる可能性はある。
高校に入ってから事件、そして休学って話なら解る。でも彼女の享年は十七歳。普通に高校二年辺りの歳だ。飛び級、なんて無茶苦茶がない限り、彼女が高校で動いている姿を見られる事はあり得ない。
新聞にも書いてあったよ。学校に現れた幽霊少女だって。ゴシップってのはデリカシーがないから嫌だね。
「……その話なら」
アイスソーダのストローを少しすすって、京香は口を開く。因みに私もアイスソーダを頼んだんだけど、早々にアイスの部分を食べてしまって、今は殆ど普通のソーダになってしまった。くそう、京香のアイスが残ってるのが羨ましいぜ。
「私も知ってます。死んだ筈の女の子を、学校で見たっていう噂ですね。実際にはその時には、まだ“死んでなかった”みたいですけど」
「死んでなかった、か」
その表現は、限りなく不正解に近い正解だ。
「そういえば。あの頃には色々と妙な噂が流行っていましたね」
遠い目をしながら、京香はぼそっと言葉を漏らす。
「妙な噂……ってどんな?」
思わず身を乗り出して、訊く。京香がしまった、という感じで私から目を逸らそうとするんだけど、もう遅い。私の好奇心は完全に今の言葉をロックオンしている。
京香もそれは解っただろう。好奇心に囚われた私には、何をしようと無駄だと。やがて京香は観念して、ふう、と一息吐いて話を始める。
「噂ですよ? 私の通っていた高校で何人かの女の子が亡くなってしまったっていう話なんです。勿論、噂ですから、実際には全員生きてたみたいですけど」
なんだいそりゃ。
「生きてる筈なのに死んでるって?」
「はい」
京香が頷いて答える。
訳が解らない。噂も何も嘘じゃないか。矛盾している。あの少女Aの話みたいに。……そういや一時期、いろんな芸能人の死亡説ってな噂も流れてたっけな。それは単にその時期テレビに出なくて見る機会がなかったってだけで、それだけの事なのに既に故人扱いになっていたとかいう。
只姿を見ないからという理由で。
それだと今、夏休み中に会わなかった連中は全員故人になっちゃうじゃないか。
「変な噂」
「ですね」
椅子に背を預けて、ソーダを一口飲む。ソーダって炭酸水って事だから、普通に甘みのあるこれはサイダーなんだろう。正しい表記になるのかどうかは知らないけど。
「でも、噂だったら」
グラスを置いて、言う。
「友達とかとも話題になってたんじゃない?」
京香の方をじっと見据える。京香はちょっと、嫌な汗でもかくような(涼しいけども)表情をする。
「トキ姉さん……なんだかそれ嫌な予感がしますけど」
「あっはは、ご名答ー。当時の友達とかに当たってみて欲しいなー」
ふう……と京香は一つ大きく溜息を吐いた。
「まあ、どうしてもと言うなら協力はしますけど。高校の友達なども知っているでしょうから、詳しく聞いてみてもいいです」
「ありがとー。やっぱり持つべきものはかわいい妹だわー」
「それ、八幡君が聞いたら嘆きますよ」
「あいつは弟。あんたは妹。思いとしちゃおんなじ程なんだよ」
「……それはどうも」
顔を若干うつむかせる感じで、京香が答えた。
あ、これは照れたな。顔を赤くしちゃって、かわいいなあこいつ。同性が好きっていう百合百合思考な子だけど、ちゃんと普通の女の子の部分もあったりするんだ。長い付き合いだもの、それくらい解る。
「よしよし。今日はおねーさんが前お礼として好きなものを奢っちゃろう。欲しいものなんでも言ってみなさい」
席の脇にある、メニューを取って京香に渡す。
「なんでもいいんですか?」
「どーんと来なさいな。一番高いやつでも」
「超特盛りジャンボパフェ、二千五百円ってありますけど」
うぐっ。それはちょっときつ過ぎるかも。っていうか知らなかったよそんなメニューがあるの。
メニューを取って確かめてみると、確かにすっごい豪勢なイラスト付きで、“超特盛りジャンボパフェ 2、500円”って書いてあった。
一体誰が頼むんだろうなこんなの。学校とかでつるんでる友達大勢でとかかな? 或いは早食いチャレンジとかやってたりするとか? こんなの食べたらえらい事になりそうなんだけど。カロリー的な意味で。
京香がくすくすと笑った。私の若干引いた様子を察してか、
「アイスクリームでいいです」
と、とても遠慮した品物を選んでくれた。
ありがたい。だけどここで引いたらおねーさんが廃る。
「間を取って、普通のパフェで行こう。一緒に食おうぜ」
京香はまた笑った。「なら、それでいいです」って言ってくれる。
そう、京香はいい子だ。いい子だからこそ、逆に――。
・
解ってるんだ。自分のやっている事は、お墓荒らしとおんなじだ。
自分の好奇心の為に、死者を暴こうとしている。当時の真相がどうあれ、今彼女が故人である事には変わりない。それを暴こうっていうのは、痛む傷を無理矢理開くのと同じような事だ。
酷い奴だ。解る。でも今更変えられない。
私は知りたい。そう思う。
例えその先、墓荒らしをした結果に、祟りのようなものが待っていたとしてもだ。
からんからん。と扉に付いてる鐘の音を鳴らして、涼しい店内から、むわっとした熱気漂う炎天下の外へ。扉を通った途端にそうなるなんて、まるでここに通り抜け出来る薄い壁があったみたいに別世界だった。
「暑いですね……雲も全然ないですよ」
空を見ると、京香の言う通り、雲一つない青空が広がっていた。そして一つ、強烈な光を放っている太陽がある。
「涼しい分だけ暑くなるってのが、今の自然の摂理なんだよ」
暑いのは嫌だけど、その分涼しさが際立つって事でもある。アイスソーダ、アンド、パフェはおいしゅうございました。
「さってと」
帰るか。折角だから京香に付いていってやりたいし。もうちょっとこの辺りを歩き回っても良かったんだけど、京香の方であても出来たし。今急いでやるべき事は特には思い付かない。
「一緒に帰ろっかー」
後ろからがばっと京香に抱き付く。
「暑い時にそんな事をされると余計に暑いですから!」
じたばたともがく京香。確かに今人とくっ付いていると余計暑い。もわっとして来る。こっちにまで被害が及んで来たんだ。このスキンシップは夏場は封印しておいた方が良さそうだな。
「ごめんごめん。じゃあ行こう――」
温もりのある身を離して、一緒に歩き出そうとした。
その時、
ん……?
何か、妙な視線のようなものが私の背後に――。
……。
……?
「――トキ姉さん?」
……あれ?
前を見ると、京香が、なぜかずっと離れて前に居る。
「ああ――ごめん」
先に行かせちゃってのかな、って思ったけど。なんだろう。何かが気にはなったけども。何か妙な空白、みたいなものがあった気がする。
だけどそんな違和感は一瞬の事。
おかしな事なんて全然なくて。只ここで突っ立っていても、折角涼しい思いをしたのにそれがすぐに吹っ飛んでいく程暑くて。
只突っ立っていても全然得なんてない。
「……なんでもないよな」
少し後ろを向いて、呟く。
妙な感じ。
後ろ髪が引かれる思いがしたけども。まあいい。たったと走っていって、京香の方に追い付く。
途中、鞄の中を覗いてみる。コロすけが黒い小さな二つの眼を、じっとこっちに向けていた。
・
{
――あの子か。私の大事なものを探ろうとする不届き者め。
}