EX-2 変えようのないもの
{
――あるのなら、ご褒美に少し機会をあげる。それを生かせるかどうかは、貴方次第だけどね。
}
――最初に疑ったのは、これは夢だろうという事。
だってそう、自分のアパートの部屋でごはん食べてたと思ったら、いきなり視界が真っ暗になって、そして気付いたら外。山あり緑の木々あり、田んぼなんかも見て取れる所に居たんだ。日は高くて、じりじりと暑い。
全然状況が把握出来ないんだけど。だけど、こんな状況になる、とある症状に覚えがある。
“アリス症候群プラス”。
……まさか。どういう事だ。もうとばりの症状はなくなった筈なのに。私だけ症状が残ってるのか?
「……うーん……」
ここがどこか。視覚情報だけで判断するなら、ド田舎だ。私が今まで居た所はそれなりの都会。加えて真夏だったけど、ここも太陽が高く見えるから、夏なんだろう多分。暑いし。
そして後ろを振り向いてみる。本来そうなら、真後ろにある筈のものが――。
「……またか」
唐突な事だから嫌な予感はしてたけど。
やっぱり、周囲には帰り道――黒い穴が見当たらない。
帰り道が見えないって事は、簡単には帰れないって事だ。何かをここで成し遂げないと帰さないってか。一体何をさせたいんだろうね、この状況を仕掛けた“奴”は。
「……乗るしかないっての?」
ここに只突っ立っていても仕方ない。取り敢えず必要なのは現状把握。それと日差しを防いでくれる建物的な所だ。飲み水などあれば尚良し。
癪ではあるけど、この場は本当、“奴”の思惑に乗ってやるしかないようだった。
あてなく歩く。元世界よりも夏にしては涼しく感じるけど、地域柄なのか、それとも時期的に若干季節がずれてるとかか。
だけど、
「なーんだかなあ」
のんきに歩きながら思う。この雰囲気というか、空気というか、どこかお気にな感じがするんだけど。
それより懸念はもう一つ。とばりは今、どこで何をしてるのか。
これが例の症状だとしたら、あの子もここに来てる可能性はなきにしもあらずだけど。
そういう情報もまるでない。私、ここでどうなっちゃうのかな。
「ん?」
ふと、遠くの方に何か建物のようなものが。
「お、やっと手掛かりか?」
ゆっくり駆け足でそこに向かう。なんでもいい。情報がそこにあれば、行動の指標も出来るってもんだ。それが建物なら尚更だ。暑い日差しを防いでくれるって事なら、本当ありがたい。
近付いていく。それは全部が木で出来た小屋だった。
「すみませーん」
声を掛ける。だけどなんの反応もない。
「誰か、居ませんかー」
呼び掛ける。待っていても返事がない。誰も居ないんだろうか。
引き戸を引いてみる。すんなりとその戸は開けられた。
中には卓と、背もたれのない椅子が幾つか、全部が木で出来たものだった。
どうやらここは待合所か何かか。でも落ち着ける場所があるのはありがたい。
「お邪魔しまーす……」
少し小さな声で、中へと入り込む。
そう広い訳でもない小屋の中。やっぱり誰も居ない。
よくよく考えると、今まで誰の姿も見えなかった。外でも小屋でも、人の気配のしない場所だったんだ。
取り敢えず、木で出来た四つ足の椅子に座る。作りはしっかりしていて、使う事に支障はない様子だ。
「麦茶でもないかなあ……」
何気なく、そう口にしてみる。暑い中を歩いて来たから喉が渇いたんだ。辺りを見回すけど、どうやら飲み物や、冷蔵庫のたぐいは置いてないらしい。というか電化製品自体がこの小屋に見当たらなかった。
……ないか。
と、卓に目線を戻すと、
「は?」
そこにガラスコップと、その中に茶色の液体が。
……何これ。こんなの今までなかったぞ。卓の上には何もなかったのは確認済みだった、筈。
……コップを取ってみる。うん、用心は必要だ。茶色の液体だからって、中が本当にお茶だとは限らないんだから。
取り敢えず、鼻を寄せて匂いを嗅いでみる。……特におかしな匂いはしない。
だからって素直に飲むには気味が悪過ぎるんだけど。明らかに怪しいし。だけど水分は本当喉から手が出る程欲しかったものだ。
「ん……」
コップを口に寄せて、少しだけ口に含んでみる。
……特に刺激などはない。というか、麦茶の味がした。
本当にこれ、麦茶? 望んだものが、突然湧いて出た?
……マヨヒガ?
そうとでも思わないと、この奇妙な現象は説明出来ない。その謎家は、家自体が来客を持て成してくれるという。
「じゃ、じゃあ――」
この世界の事が解る、何かが欲しい。
例えば――。
「新聞、新聞とかくれない?」
口に出してみる。卓の上を見続けていたけど、何も出て来ない。
……流石に、あてが外れたかな。いや卓の上にないだけで、どこかに新聞があったりするかも――。
辺りを見回す。小屋の中を漁ってみるけど、特に情報を得られるものはなかった。
「うーん……」
やっぱりないか。と麦茶を飲みに卓に戻る。
卓の上に、新聞があった。
……これは、私が見てない間にしか出て来ないとか?
ともかく、これは幸い。これでこの世界の事が解るかも。一体どうしてこんな所に飛ばされたのかもな。
新聞はちゃんと日本語で、だけどそれを開き読んでいて気が付いた事が。
なんだか物々しい文章。或いは物騒なと言ってもいい。もっと言えば、乱暴に強引に、己の国を持ち上げよう――そして相手の国を貶めようという意図が見て取れる文字が幾つも並んでいた。これはあれだ、西洋の言葉でプロパガンダっていうやつだ。
かなり過激であるとは思ったけど。だけど問題はそこじゃない。
紙面の隅、日付を見てみると、昭和から始まっていた。
「は……?」
昭和二十年、八月九日。
つまり、西暦の一九四五年?
「五十八年前!?」
私が居たのは西暦二〇〇三年だった筈。だとすると、今は終戦間際なのか。大抵の事には驚かないつもりでいたけど、まさか。今度はタイムトリップだなんて。
しかも、この日って、
「……だよな」
言葉に出さずとも気が重くなる。この日は長崎に、新型爆弾――いわゆる原爆が落とされた日じゃないか。
幸いにも、新聞の記事などから察するに、ここは長崎じゃない。岩手のどこかだという事みたいだけど。
複雑だ。
過去を変えてはいけない。それは解ってるし、私に変えるすべなんてない事も解ってるけど。
この日、大勢の人が死ぬ。
そう。今日はアメリカが日本にとどめの一撃を喰らわせる日なんだ。
解ってる。だから気持ちが暗くなる。長崎に知り合いが居るとか、そういう事じゃないんだけど。
「……なんでなんだろうね」
どうして私はこんな所に居るのか。だって私には何も出来ない。戦争の顛末を変える、なんて事ならもう遅過ぎる。例えば今、岩手からいきなり長崎に瞬間移動出来たとしても、そこで「今から原爆が落ちるから逃げて下さい!」なんて言って信用する人がどれだけ居るか。憲兵にしょっぴかれるか、原爆の爆発に巻き込まれるか、どっちにしても最悪を見るだけだ。なのに何かしらの意図が働いているとするなら、その“意図”したものは何を考えて私をここに?
……なんだか意地の悪さを感じ取れるんだけど。あの時の謎人形のように。
気を取り直して、新聞をじっくり読んでみる。すると記憶にある地名が幾つも見て取れた。
……もしかしたら、ここ、
「私ん家の辺り?」
正確には実家のある辺り。とすると納得。雰囲気や空気がなんとなく気になったのは、つまりそういう事なんだとしたら。
「所縁の場所、か」
実家、私の育った所の過去。私が居る理由が、なんとなく見えて来た。
――不意に、外から何か音が聞こえた。
音。自然に聞こえる音じゃない。それに続いて小さく声も聞こえる。
「人?」
外に誰かが居るみたい。いや、やって来たってのが正解か。まさか突然湧いて出たって訳でもあるまい。幽霊とかじゃない限り。
――聞こえて来る声は、察するに子供っぽい声だ。
構わない。ここに来ての初めての人だ。接触するに越した事はないだろう。
外に出る。子供が一人、小屋の外でうずくまっていた。
「こんにちは」
寄って行って、挨拶をする。
「おー、こんにちはー」
私の方を見て、子供は元気良く挨拶を返した。小さい子だ。モンペ姿で短髪のその子は、どうやら女の子らしい。
「何してるのかな? 貴方」
身を屈めて、努めて優しく声を掛ける。この子は小学生かどうかも解らない、でも間違いなくとばりよりは小さい子だというのは察せられる。
「あそんでるー」
いろいろな遊び道具を入れた道具箱を持って見せて、女の子はにへっと笑んだ。
情報を引き出すには、この子は幼過ぎるかなあ。この辺りの情報とか、詳しく話せるとはちょっと思えない。なら。
「ねえ。おねえちゃんも一緒に遊んでいい?」
「おー、いいぞー」
了承を貰った。
「なにしてあそぶー?」
「うーん。何があるのかなそこに」
女の子の道具箱を指差して、訊いてみる。
「んーとねー」
女の子は、道具箱からいろいろ物を取り出した。ベーゴマやめんこ、ビー玉やあやとりの紐などが見て取れた。
「たからものー」
そう女の子は言うけども。
この頃の遊びって、こんな感じか。遊び道具があるだけ貴重だとも思える時代だけど、そう思うと本当にお宝だよなこの道具は。
「よし、じゃあ全部やろう!」
「おー、ぜんぶかー!」
私だって田舎育ち。こうしたたぐいも一通りの心得はある。とはいえ相手は小さな子。いい塩梅での加減は考えないとな。それでいて楽しく、そこが一番重要なところだろう。