EX-1 二人の暮らし
はい。継続はなんとやらという事で、遂に一万アクセスを突破致しました。真にありがたい事です。
ここまで付き合って頂いた皆様への感謝の気持ちとして、ちょっとしたミニシナリオを執筆、投稿致します。
時子ととばり、二人はあの後どうなったか、その部分に関わるお話です。是非とも、彼女達のちょっとした共同生活を覗き見してやって下さい。ありがとうございました。
・ 終わるアリスの刻 外伝
{
――貴方には、叶わない心残りはありますか?
}
・
じめじめしい暑さの纏わり付く、ある夏の日の事。
大学の講義帰りの私は、肩に掛けた荷物満載のスポーツ鞄を持って道を行く。白いシャツが体から出る汗をどんどん吸い込んでいくのが解る。べったり具合がどんどん強くなっていくんだもの。
途中、日課となっている近所のスーパーマーケットでの買い物を終わらせて、仕入れた食料を両手に一袋ずつ持って家路に着いていた。
店の中はクーラー全開! みたいな感じで涼しいどころか少し肌寒いってくらいに思えたんだけど、買い物が終わってまた外に出て歩いていると、空からの日差しが容赦なく私の体力や水分を奪っていく。
人間の六割以上の成分は水で出来ているっていうけども。
それを奪って来る空の日差しってのは、ある意味人間を殺しに掛かって来ていると言えなくもないよな。
日光ってのは大事なものだ。特に草木なんかにはまさに命に関わるものだしな。光合成って言葉があるし、それがないと私達生き物も困る事になろう。私達は空気中の酸素を吸うのだけど、彼らは二酸化炭素を吸う。それに日光を加える事で、私達に必要な酸素を吐き出してくれるんだ。
当たり前だけど、人間は酸素がないと生きていけない。だけど、酸素というものは最も身近な猛毒でもある。何事も採り過ぎると良くないという事だ。
世界の気候バランスが崩れているっていう話もあるし、温暖化等の異常気象も確認されている。人間は余計なものを多く取り過ぎたのかも知れない。そのツケによって、未来の人間達は苦労をする事になるんだろう。
まあ、今の私に必要なのは体を潤す水分が第一だ。このままだと、すぐにからからに干からびて死んでしまう。熱中症とか日射病とかでな。
という訳で。出来る限り速足で、だけど走るまではしないように道を進んでいく。走ると疲れる&暑い。加えて荷物が重い。どうせ帰る頃には汗だくなんだろうけど、無茶なんてする必要はない。
日陰は少ない。アスファルトからの照り返しも強い。道の先の方が陽炎で揺らいで見える。まさしくここは灼熱地獄。
だけど負けて堪るか。ゴール地点には、私の可愛い妹が待っているんだからな。
・
「ただいまあ」
やっとの事で、私の部屋の前、玄関の戸を開く。古めかしいアパートの二階部分、その端っこにあるのが自分の部屋だ。
「お帰りなさい。時子」
するとすぐに、涼しい空気と、女の子の小さな声での応えが。
「ふいー、暑いぜ暑いぜー暑くて死ぬぜー」
部屋に入って、ぐったりと、両手の重い袋と肩に掛けたスポーツ鞄を降ろす。
「またそんな大袈裟な……」
女の子は、部屋の隅っこで畳に座り込んで本を読んでいた。その目線だけが、帰って来た私の姿を見やる。
訳あって、私の部屋には身寄りのない一人の女の子を置いている。形式上、この子は私の妹という事になっている。浅木とばり。私と同じ苗字の、小学五年生の小さな子。長い黒髪に、白いワンピースを着ている子。
断っておくけど、この子は別に誘拐したのでも、家出少女を拾ったのとかでもない。私達が体験した事象、“アリス症候群プラス”というもので、いろんな過程を経た結果出来上がった関係だ。
「って言ってもさあ、やっぱり暑いよ異常気象だよって。とばりだってそう思ったりしない?」
「……まあ、否定はしませんけれど」
「だよね? 毎年毎年こんな暑いなんてさ、太陽に殺されるよこれじゃあ」
「毎年の事なら、それは異常とは言いませんよ」
「お、言うねえ。じゃあ見てよこの汗で濡れたTシャツをさあ」
汗だらけで、肌に張り付いた真っ白なTシャツをとばりに見せ付ける。ブラまでうっすら見えるくらいの汗具合だ。これで外を歩いていた訳だけど、羞恥心なんてものは異常な暑さの前ですぐにかき消えた。……見られて喜ばれる程大きい訳じゃないけど。
「……まあ、洗って外に干しておけばすぐに乾きますよ」
そりゃそうだ。暑いって事は熱があるって事。洗濯物の水分が消え失せるのもすぐだろう。代わりにここは涼しさで満ちている。その場にずっと居たこの子には、外の灼熱地獄度は解るまい。
「うりゃー、ほら汗だく攻撃ー」
真っ白シャツにべったり付いている汗付きの我が身を以て、とばりに迫る。
「やめて下さい特に夏場は本当に!」
とばりは手を突き出して、私の接近を阻止する。
そりゃあ普通嫌がるよ。だけど事実として外は死ぬ程暑かったんだから。もう外に出たくないと思う程に。
それに比べるとこの部屋の気温よ。大体二十四度に設定されている我が部屋。これこそ人類が生み出した対夏場における最強の冷却機器、エア・コンディショナーの力だ。今までは扇風機と窓からの自然の風しか、この部屋に涼しさを提供する手段がなかった訳だけど。
快適だ。このボロアパートに住んでから、今までに体感した事のない夏が今ここにある。
まあそれにも理由があって然り。とばりがこの部屋に住んでから初めての夏を経験した際に、「暑いんですから、エアコンくらい付けましょう」というギブアップとも取れる鶴の一声によって、我が部屋には最新式のエアコンが導入された。因みに私はこの件でお金を全く出していない。それ程の持ち金もなかったし。だからその資金の出所は不明。とばりが何かしら動いた、という事くらいしか解っていない。
――因みに、とばりの戸籍もちゃんとある。浅木とばりと記された戸籍。年齢は十一歳。それが作られた経緯は少し裏的な事情が働いている訳だけど。
とばりが、過去から今までの人生で築いたもの。それは私が思うよりもずっと大きな形らしい。私なんかが触れられるような、手に負えるものじゃない事は確かだ。一介の大学生である私程度には。
私の名前は浅木時子。性別は女。年齢二十二歳。S県在住の文学系大学四回生。
現在は物書きを目指して活動中の身。小説家じゃなくて、物書きになるというのがポイント。好んで重たいのや硬い小説を書こうとは思っていない。目指す所は、某漫画家が書いた某漫画家の如く、“私は読んで貰う為に筆を持つ。それ以外はどうでもいい”というもの。
私には夢がある。一度きりの人生、夢というものが見えたのなら、それに向かって邁進していくべきだ。それこそが、人生における価値、或いは勝ちへと繋がるものと、私は信じている。
人は止まるべきじゃない。動かないものは熱を失い、緩く冷たくなっていく。だから可能な限り、なんでもいいから動くべきだ。夢の為に、熱を放つべきなんだ。そんな信念の元、私は物を書き続けている。
もしも、一つ作品が当たれば、とばりに少しでもいい思いをさせてあげられると思うけど……どうやらそう思うまでもない程には、とばりには余裕があるらしく。
とばりは裏で、小さな財団を建てているらしい。私と出会う今まで、身寄りがなくとも生きて来られた理由の一つがそれだ。お金はあるらしい。少なくとも、とばりが一生を何もせずに過ごせる以上には。
その過程や理由は、ややこしいのであまり記したくはない。どうせ話を聞いても信じる者は居ないだろうし。強いて言うなら、それも“アリス症候群プラス”が関わっていたが故、という事で留めておく。
只、とばりと一緒に暮らすにあたって、私はその財団とは極力関わりを持たないと決めている。人生一度きりだとしても、棚から牡丹餅とか、強くてニューゲームみたいな人生なんてつまらないし。もし一気に大金を持てる立場なんだとしても、それじゃあ堕落していくだけだ。とばりの方もそれを受け入れて、精々ぎりぎりの生活費程度しかお金を使わないようにしている。財団の運営の方は、今はとばりの右腕的な人物に任せてあると、その程度は聞いた事がある。逆に言うならそれ以上、財団の事は知らない。右腕的な人にも、会った事はないし名前も知らないし、男か女かも解らない。メッセージだけは伝え聞いた。
「とばり様を宜しくお頼み致します」と。
それでいい。私は私の進む道があるんだし、とばりにはとばりのこれからがある。それが数奇な交わりを持った結果、同じ時間を一緒に居ると。只それだけの事だ。
嬉しい話ではある。私はとばりを、本当の妹のように思ってるし、一緒に暮らすのだって大歓迎。
……でも懸念がないという訳じゃない。
とばりは本来、佐倉という姓を持って生まれて来た。だけど彼女は、今はそれとはなんの関わりも持たずに生活している。
とばりは元の家族の事を、あまり大きな事として捉えていない。確かに、佐倉家――とばりの生まれた、という事になっている筈のお金持ちの家は、今は全く関わりがなくなってしまっている。“こちらの”佐倉家には子供が出来ず、おばさんが通っている孤児院から子供を一人預かっている、という話は聞いた。そこにとばりの居場所はない。それは今はおばさんさえも知っていない事だ。
だけど、私は知っている。だからとばりと一緒に暮らすという事を選んだんだ。一人は寂しく、そしてつらい。とばりに孤独を味わわせるなんて事は、もうさせたくない。
「とばりー、夕飯の材料台所に置いとくねー」
買い込んでいた食材を、台所に。足が速そうなものは冷蔵庫に仕舞っていく。
「また、カレーですか」
「そーだよ。夏に元気にって事なら、やっぱカレーでしょ」
「……辛口はもう食べませんからね」
ああ、トラウマになってる。以前、とばりは(無理して)辛口カレーを食べてから、涼しい部屋にも関わらず汗がだらだら止まらないという事態に陥った。それ以来、とばりははっきりと「辛いものは嫌です」と宣言した。
「でもとばりん、甘口にしたって嫌がるでしょ?」
む……っと、とばりが私の言葉に露骨なしかめっ面をする。
「わ、私には中辛が一番合っているものと、そう思うところですので」
……背伸びしたいお年頃なのかなあ。
「まあいいわ。ヤなものを無理強いなんてしないからさ」
とばりをいじる事はあっても、嫌がる事なんて絶対したくはないし。
「どっきりで辛口仕込むとか、本当嫌ですからね」
「大丈夫だって。あたしも辛口は苦手だから」
食べられない事はないけど、どうせなら私も甘いものの方がいい。カレーは程良く、中辛が鉄板だ。
「――さて、じゃあ腕によりを掛けますか」
とはいえカレー作りを失敗するなんて事、ほぼない事と思うけど。火に掛け過ぎて焦がすとか、或いは隠し味だとか、プラスアルファで余程変なものを入れない限りは。
「時子、私も」
台所に向かう私に、後ろの方からとばりの声が掛かった。
「ん? 本の方はいいの?」
振り返ると、ちっこい背のとばりが私の後ろで上目遣いをしていた。
「……今は、時子と一緒に何かしたいです」
うーん甲斐甲斐しい。やっぱかわいいわとばりは。
「おけー。じゃあ一緒にカレー作ろう。お手伝いお願いね」
「解りました」
表情の変化があまり見えないとばりだけど、その時少しだけ微笑んだように見えた。
共同生活、いいものだよなあ。とばりと一緒に居たいとは願ったけど、こんな形で叶うなんて。