7-20 本当のエンド
――泣き虫なんですね。時子。
……声。
聞き間違い、かと思った。けど。
前を見る。道の先。電信柱の影。
そこから、人が一人歩み出て来た。
小さな女の子だった。
腰まで届く長い黒髪の、白いワンピースを着た少女。
「とばり……?」
幽霊――幻覚――そうじゃないかと思ったそれに、呼び掛ける。今日、消えてしまった時と同じ格好――見間違える筈がない。
「……お久しぶりです、時子」
とばりは、私をじっと見据えて言った。別れた時と同じ、だけどどことなく緊張しているような声色だった。
「とばり!」
でも思わず叫び、駆け寄って、しっかりと抱き締めた。温かい。幻じゃない。本物だ。
ちゃんと、とばりがここに居る。居てくれてる。
「……抱き付く癖も、相変わらずみたいですね」
なんだか感慨深そうに、とばりは言うけど。
「今までどこに行ってたんだよ。久しぶりって……」
「久しぶりですよ。おおよそ百の年を数えるくらいには」
百の年――。
「百年!?」
身を離す。そしてしっかりと見る。再会の喜びより、驚きの方が先に来た。
「百の年って――百年前に!?」
「そうです。あれから私が居たのは、一九〇三年。明治三十六年のI県でした」
そんな馬鹿な。信じられない。百年も前の世界に行った、それはアリス症候群プラスの症状として解らないでもないけど。
それから百年、ずっと生きて来たって事は。しかも姿も変わらずなんて、
どういう事か。とばりの言う事だ。嘘はないと思う。だけど。
「今、逢えて良かったです」
――とばりの方から、私に抱き付いて来た。
こんな事、なかった。
「時子には、少しの間の事だったでしょうけれど……」
いや、なんだか、凄く嬉しいけど。
泣きそうになる程に。
「……貴方に会う為に、今まで生きて来たんです」
……雫が、一つ、二つと落ちていく。それがどちらのものなのか、どうでもよかった。
「我慢をして――我慢をして、貴方がここまで育つのを待っていて――」
――言葉の代わりに、ぎゅっと、私もとばりを抱き締める。
「もしも、貴方まで私を忘れていたら、どうしようかって……」
「とばり」
とばりは、ちゃんとここに居る。百年も経ったらしいけど、今はそんな事関係ない。
「このおねーさんが、忘れる訳ないでしょう」
抱き合う感覚。あったかいのが、ちゃんとここにある。
「……とき、こ――」
詰まった声が、とばりの口から漏れる。
私達は、二人して一緒に――。
……今が全部だ。
私達はここに居る。
一緒に居る。
確かなのは、それだけで充分なんだという事――。
――落ち着いてから。考えたんだけど。
とばりが居たのは、百年前だと言っていた。
百年。
私にとっては、ほんの一瞬の時間でしかなかったけれど、
とばりにとっての百年は、どれ程長かったんだろう。
「どうやって、百年も?」
疑問を、訊いてみる。
「……見て解るでしょうけれど、私は歳を取らないみたいです。外見的には」
それは、解る。私と離れ離れになった時から、全く変わった様子のない姿。
だけどなんで。とばりはお話に聞く、八百比丘尼にでもなっちゃったとでも言うのか。
「だから、私は各地の小学校を転々として暮らして来ました。ちょっとした、後ろ盾もあったので」
「後ろ盾?」
とばりを支援する人が、誰か居たんだろうか。
「Eサークルという、とある大学で出会った人達です。流石に今は、最初のメンバーはもう亡くなっていますけれど」
「亡くなってるって……」
見届けたのか。こんな小さな子が。
百年の間、そうやって。
震災とか、戦争なども乗り越えて。
人が生きるよりも、もっと長い時間を、
一人、ずっと子供のままで。
そう考えると、もうなんとも言えない。
だけど、そうして百年経って、とばりは私に会いに来てくれた。
……私を、生き続ける拠り所にしてくれたんだ。
「……これから、とばりはどうするの?」
気になった疑問を、一つ問うてみる。
「さっきも言いましたけれど、私には後ろ盾があります。私の生活を支援してくれる人達です」
「生活の支援……?」
「流石に、この姿で普通にお金を稼ぐのは無理ですから」
そりゃあそうだ。小学五年生、十一歳になったばっかりに見える子が、まともな職に就ける筈がない。だけどお金は必要だ。でなきゃ人間の、文明のある世界では生きていけない、筈。
「だから、代理人を立てて、その人達に表に出て貰ってお金を調達していました」
「どうやって?」
「具体的には、株式投資です」
――株!?
「株やってるの!?」
思わず驚いてしまう。
そんな私に向かって、とばりは小さく笑った。
「未来人としての、特権です」
いたずらっぽい笑みだった。でも確かに。そうでもしないととばりがお金を稼ぐなんて事は出来なかっただろう。例えば、未来――今よりも過去に、どんな出来事が起きるか。歴史、事件、それによって企業がどう動くか。知っていたら、株式によって幾らでも稼ぐ事は出来るだろうけど。
半ば反則的な手だけどな――いや、それはまあいいとして、
「でも、これからは?」
今から先は、とばりにとっても未来の筈だ。知識や経験が豊富であるとはいえ、おんなじように稼ぐ、なんて事は――。
「私の役目、やるべき事が終わった今、私の時間も通常のものとして流れ出します。……そう教えられました」
「教えられた、って?」
「“流れる時に留まる存在”――本人はブルカニロと言っていましたが」
「あいつか……」
あの日本人形みたいな奴。流れる時に――っていうのはなんだか解らないけど、ブルカニロ――あいつのせいでとばりは長い時間を生きる事になって、
でもあいつのお陰で、こうしてここでとばりと会えた。
それをどう表現したものか……良かったっていうのか、それとも、こんな変な今になったって事で、あいつを恨むべきなのか。
……解らない。今、とばりの両親は、ここでは関係のない他人になっちゃっていたりするし。接点が、私しか居なくなっちゃってるみたいだし。つまりは殆ど天涯孤独の身だ。
となると、
とばりを見守るのは、同じくアリス症候群プラスを持っている、私の役目なんだろう。
「……ねえ。これから先、もしあてがないんだったら、一緒に暮らさない?」
「……、いいんですか」
とばりの声は、少しためらうような。それでいて、もしかしたらその言葉を待っていたかのような。
複雑なニュアンスが込められてる、そんな気がした。
「うん。良ければとばりのお話も、色々聞きたいしね」
それは本当。百年を生きたとばりのお話。“彼”のお話。“あいつ”のお話。
聞きたい事は、山程ある。
「そうですね。お話しする時間はたっぷりあります。なにせ百年分です」
「うん。そうだね」
これは、また、
長いお話になりそうだ。
・
「――そういえば」
家路を歩きながら、とばりが唐突に話しをし出す。
「今から丁度百年前に、初めて“不思議の国のアリス”が映像化されたんですよ」
「そうなの?」
百年前。一九〇三年の事。とばりが過去に飛ばされたという時代の事。
「良ければ一緒に見ませんか。原盤を持っているので」
百年前の原盤――フィルム。
それはそっくりそのまま、とばりが生きて来た道筋と被ってるのか。
百年前に生きていた人達。
今にはもう、その殆どが居なくなってしまってる筈。
……そんな歴史を見るのも、感慨深くていいだろうな。
「うん、一緒に見よう、とばり」
「じゃあ、行きましょうか、時子」
手を繋いで、一緒に一歩一歩、歩き続ける。
ここには、とばりと繋がるものが何もないけれど、
今には、私が居る。
アリス症候群プラス。
それによって繋がった私達。
私達は、これからを生きる。
――これで、今回の二人の旅は終わりです。
本来は、これは本編とリンクする外伝に位置するお話ですが、一応は一区切りを付ける事が出来ました。
本編の方も鋭意執筆中ですので、いずれここに載せる事が出来るものと思われますが。
何はともあれ、ここまでお付き合い頂いた皆様には感謝を。
そして、更なるお話を追求していけるよう、お力を貸して下さった様々な人にも感謝を。
長くはなりましたが、これからも応援をして頂ければ幸いに思います。