7-19 遠い約束
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――そんな経緯があって、私はクリャの仕切っているEサークルにて過ごす事になったんだけど。
最初は大変だった。こんな幼子が、仮にも大学の一員として混ざるというのは。
でもそこは、年齢の割に豊富にあった知識量と、クリャ達の助けのお陰である程度馴染む事が出来たんだけど。
……歳を取らないんじゃないか。
そう思い始めたのは、このEサークルに入ってから数年後の事だった。
姿見を見ても、見た目がまるで変わっていない。
背も大きくなっていない。経過した年月からして、今はもう成長期に入っている筈なのに。
この姿は、未だ小さい幼子のまま。
これは一体どういう事か。考えても答えは出ない。
だけど、小さい――弱い立場のままというのは、考えてみれば色々と上手く利用出来る。
なにせ子供というのは、人生における弱者だ。基本的に、幼い子供は保護される立場にある。
「トバリは便利だね。まるでオカルトが目の前にずっとあるみたいだ」
いつの日か、少し歳の色が顔に出て来たクリャが、羨ましそうに言う。
……そう言われても、好きで子供のままになっているんじゃあない。便利と思った事も特にないし。
どうしてこんな事になっているのか、解らないけれど。
――くすくすくす――。
そんな笑い声が、どこからか聞こえた気がした。
震災を越えて、
戦争を越えて、
私はこの日本の衰退も繁栄も見て来た。
そして、それでも私は子供のままだった。
人の世を見る。知識だけが蓄積されていく。
そして、その分親しい人との死別も見て来た。
……果たして、そんな私の生に、どんな意味があるんだろうか。
……私は、一体なんの為にここに居る?
そう考えながら生きて来た。
だけど、それにも意味がある事だと、最近になって――私が生きて、百の年を数える頃になって解って来た。
それが、ある少年との出会い。
“彼”と、あの人形――ブルカニロが言っていた、その生まれ変わりであるという少年。
――私には不思議な力がある。
アリス症候群プラスと呼んでいる、不思議な能力。
その力は、彼を元の時間軸へと帰す為に――。
“彼”の名は、倉崎千那。
倉崎という名は、戦前から今に残る財閥の一つだ。
私はその母の事を知っている。倉崎悠――かつてEサークル絡みの事件で知り合った彼女は、当時児童養護施設に居た千那を引き取って、自分の養子として“彼”を迎えた。
千那は、倉崎本家からは決して歓迎されているとは言えない子供だった。なにせ突然現れた、倉崎家とは血縁でもなんでもない子供だ。もしも彼が、倉崎家の権力や資産、それらに手を付けられる地位になってしまったとしたなら、本家の連中からひんしゅくを買うのは当然の事だっただろう。
義母となった悠は、そんな大人達から千那をずっと庇い続けたけれど、ある時、悠は本当に突然、妙な病気をこじらせて息を引き取ってしまった。
この時高校生だった千那は本家から保護を受ける事もなく、見放されたまま一人外の世に放り出された。……いや、正確には、千那は本家の手が入る前に、自分から家を出ていったんだ。
私は、そんな千那を追って、彼を保護する為に動いた。突然悠の家から消えた千那を探すのに少々手間取ったけれど、なんとか見付けてしばらく一緒に行動した。
その間に、“彼”が生きて来た軌跡を知った。倉崎千那とは少し違う、いや魂的な同一人物とでも言うべきか。それが“アスナ”と呼ばれていた、千那の本来あった筈の存在である男の子。
それは奇しくも、私がずっと前に見て来た――。
……“彼”を本来の時間軸に帰したあとで、考える。
私は“彼”の足跡を知っていた。だけどそれは、私一人で見て来た訳じゃない、筈。
誰かが居た。誰かが私の傍に居た。
“――とばりは、好奇心旺盛過ぎなんだからさ――”
百年も前から憶えていた、その言葉を思い返す。
私はその人を、知っていた筈だ。
「……×××――」
私の名を呼ぶ、大切な人。その名前が、今になって――。
――ああそうだ。こんな単純な事を、どうして今まで思い出せずにいたんだろう。
あの声、あの姿。そのたったの三文字を思い出すのに、百年もの時間を費やすなんて。
会いたい。
会ってお話しをしたい。一緒に同じ時間を過ごしたい。
私に付き従う者はいっぱい居るんだけど、
私を想ってくれる人は、今には数える程度にしか居ないんだから――。
――今の刻は、西暦二〇〇三年、三月三十日。十七時三十分過ぎ。
やっと、やっとこの時が――。
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こっちに帰って来てから、料理も食べず、お酒を飲む気にもならず。
ホームパーティーもお開きの時間となって。
「じゃあ、浅木さん。また宜しくお願いしますね」
お母さんとの、帰りの挨拶。結局ずっと「浅木さん」って呼ばれていたままだった。
表向きには、愛想がいいと見えるような対応をしていたけども。
それも佐倉家の門をくぐるまでだった。
外に出て、どっと気落ちした。
そうして今、一人とぼとぼと家路に付いている。
……また宜しく、か。そりゃあ仕事だから、続ける事に変わりはないんだけど……問題はあの子の事。
見も知らない女の子……向こうは私の事を知ってるみたいだけど、そんなちぐはぐな関係で上手くやっていけるのか?
……それにあの子は、とばりじゃない。
とばりの色々なものが、彼女には当て嵌まらない。とばりの仕草、趣味、思考、姿だってそうだ。
全くの別人である彼女を、私は認める事が出来ないでいる。
とばりと違う誰かが、とばりの代わりに居る。
なんだか……それが我慢ならない。
仕事は続けるさ。生活の為にも。それはいいんだけど。
私は、あの子の事を知らない。
これで良好な関係を――っていうのは、無理があるかも知れない。
……どうしても、考えがそこに行き着いてしまう。
何度もそう考えてしまう。
何より、あの部屋に居ると、
「……とばり……」
今は居ない、あの子の事をどうしても思い出してしまう。
なんだか解らないけど、あの部屋があの知らない子の部屋なんだとしたら、とばりの部屋はどこなんだ。
佐倉とばりの居場所がどこにもないんだったら、私の記憶にある佐倉とばりは、なんの為にあるんだ。
「……とばり――」
なんだか、涙が出て来る。
帰り道、日の暮れた町中で、
今更ながら、拭っても拭っても、涙が止まらない。
……くそ。
忘れるもんか。
あの子を知っている人間が、この世でたった一人きりだとしても。
私は忘れない。
忘れて堪るか。
そして、まだ私にアリス症候群プラスの気があるのなら。
――絶対に探し出す。どんな手段を使ってでも。
佐倉、とばり。
とばり――。