序-1 プラス×××日目
このお話は、私が書いた物語の外伝、或いはその後、もしくはifのお話です。
ちょっと訳解らないんだけど、と思われる場面もあるかも知れませんが、そういった場面は恐らくは主人公もよく解っていない所でしょうから、あまり深く考えずに読んで頂ければ幸いです。
本編より外伝が先か、と思われる方もいらっしゃるかと思われますが、そこもあまり深く考えずに読んで頂ければ……。
とにもかくにも、面白い話、楽しんで読んで頂ける話を突き詰めていきたいと思いますので、どうかお付き合い頂ければ嬉しく思います。
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――それは、あの暑い夏の日から始まった。
世界は未だ滅びの気配を見せないまま、年月は経過し続け、一時期世を騒がせていたあの噂も、人々の記憶の波にどんどんさらわれていってしまっている。
だけどあの時は、あのたった一年の出来事は、未だに私の心に大きな楔を打ち込んでいる。
それは“彼”がまだ居た日の事。“彼女”がまだ生きていた日の事――。
}
・ まえがき
――これはお話だ。物語ではない。
と、そんな前置きを小説でしていたなら、読み手はこれをどう受け取るだろうか。
お話と物語、二つの具体的な差異を調べようとは思わない。この前置きは単なる思い付きだ。
違いがあるとすれば、恐らくはその言葉のニュアンスだろう。“お話”とするなら、それは軟らかい内容として、“物語”とするならばそれよりも硬めの内容になる印象がそこに生まれる。
私は一体、何を書いてるんだろう。と、ふと思う。今の私は駆け出しの物書きなどやらせて貰っているんだけど、今まで書いて来たものの中で「これは物語です」と胸を張って言えるものは――、
ない。じゃあ私が今まで書いて来たものは低俗なものなのか。
いいえ。私は金やちやほやされる為に物を書いているんじゃない。
“私は読んで貰う為に文を書く。それ以外はどうでもいい”
これは私が尊敬している、某漫画家、が書いた某漫画家の台詞を自分なりに引用したものだ。その台詞には、己の確固たる信念と、自らへの誇りが込められている気がする。漫画と小説。ジャンルは違えど、同じく物を書く事を生業として目指す私にとって、彼の考え方は非常に共感出来るものがある。
漫画が低俗なものと言われていた時代は確かにあった。その時には、小説はそれと比較して高尚なものとされて来た。
それは今の時代にも根付いている偏見だろう。実際に、ウォルト・ディズニィより出来の悪い哲学映画なんて幾らでもある。手塚治虫漫画より低俗と言える小説だって幾らでもある。
別に私は高尚と言えるような者じゃない。素は結構いい加減な人間だ。
だから文章を書いていても、高尚なものを演じて書こうとは思わない。私の書くこれらは、只の“お話”なんだから。だけど私は、みんなにこの不可思議な“お話”を読んで貰いたい。そう思う。
私の名前は浅木時子。性別は女。年齢二十一歳。S県在住の文学系大学三年生。
取り敢えず、ここで最低限の身分証明を済ませておこう。更に書くべき事といえば、作家志望という、これだけだ。最初の人物像としてはそれだけでいい。あとはこれを読んでくれる誰かが、このお話の所々で私という者のイメージを補完してくれればいい。
そしてこれは、私、浅木時子が体験した、ミステリにもならないミステリィなお話だ。だけど――ミステリィと銘打っておいてなんだけど、私はそのミステリィの答えを、ここに用意する事が出来なかった。はっきり言うと、“私は提示された謎を解決する事が出来なかった”んだ。その時点でこのお話は破綻している、と言えなくもないだろう。完全に筋の通っているお話じゃない。心残りとしてはそれだけなんだけど、それはさしたる問題じゃない。
私の目的は、読んで貰えるお話を書く事。それだけだ。そのつもりでこれを書き、そしてこのお話を、今ある世界の端っこに残そうと思う。いつかの未来に、このお話を少しでも話のネタに出してくれる人が出て来てくれる事を願って。
・ あとがき
もしもこのお話を“物語”と捉えてくれる者が居たならば。
私は物書きとしてレベルアップしたものなのか、或いは“お話”も書けない低レベルな物書きでしかないのか。
非常に悩ましく思うけど――。
読んで頂きありがとうございます!
皆様に少しでも面白いお話と思って頂ければ、私としては幸いです。
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