第5話:迷走
暗澹とした森を背に聳え立つ廃墟は、湿った大地に影を落としていた。
「まだ動くな。フェルが戻って来てからだ」
茂みに身を潜め、“mC”の拠点である廃墟を監視する。
いつもなら普通通りに出入りしていたこの建物も、今日ばかりは畏怖の念さえ覚えるほどに禍々しい。
早羽は、いざ反旗を翻すというときに、初めてこの建物に入ったときのことを思い出していた。
入団して間もなくNo.持ちになり、凌介に連れられてここに来た。この廃墟は“mC”の日本基地本拠であり、初めて来たときは震えが止まらないくらいワクワクしていた。こんなにも寂れた埃っぽい廃墟が、壮大な大魔王の城のように見えた。
そんなことがあったのもはるか2年前。今では何の感慨も探求心も沸いてこない。
早羽は力が抜けたように笑って、手に持っていた銃のセーフティーを解除した。
−そう、これが“飽き”だ−
飽きてしまった。麻薬を売る遊びも、誰かの手下であるという現状にも。
こんなもんじゃない。自分たちならもっと大きなことが出来る。そう思うからこそ感じる退屈や窮屈さ。いつも妙に自信があって、何をやるにも迷いはしなかった。今もそう。
−凌介を殺す−
「“mC”は俺のものだ」
−早羽は裏社会のトップになればいい。そして俺は、正義の味方のトップになるんだ−
悠人の言葉が脳裏をよぎる。まるで魔法のようだ。この言葉を思い出す度に胸が高鳴る。ゾクゾクして、手のひらにじっとりと汗をかく。先が見えない恐怖と不安があっと言う間に楽しみに変わるのだ。
「早羽さん、フェルエールさんが来ました!」
その声に応じて振り返ると、頬を紅潮させ、息を切らせたフェルエールが立っていた。
「早羽、凌介さんは事務室にいます。一人のようです」
「よし、突入だ。しくじるなよ」
建物の中はとても静まり返っていて何やら不気味だ。総勢200人での大掛かりな作戦にも関わらず、なんだか拍子抜けだ。もっと派手に交戦がある予定だったのだが。
「静かすぎますね」
「ああ。何かおかしい…」
あっと言う間に事務室に着いてしまった。フェルエールがゆっくりとドアノブに手をかけ、合図と同時に扉を開け放った。
バンっ
「っっ!…」
「フェルっ!!」
扉が開くのとほぼ同時に、銃弾がフェルエールを襲った。
「大丈夫か?!」
「だ、大丈夫です…かすっただけですから。それより…」
フェルエールが見つめる先には、粛々と銃を構える凌介の姿があった。
「あんた、なんで…」
「やっぱりキミたちだったんだね」
クスクスと笑って、凌介は早羽を見据える。相変わらず小柄で華奢な身体だが、威厳は十分だった。まるで自らを威風だと称えるかのような鋭さと重さ。
「全部知ってたよ。いつ来るのか、何処に来るのか。まぁ、誰が主犯かは教えてくれなかったけど、だいたい予想はついてた」
「教えてくれた…?誰が…」
「誰って??それは教えられないな。俺たちの大切なお客様からの情報だからね」
「客…?」
早羽は少し頭が混乱していた。作戦はバレていた?誰がバラした?いや、内部密告ならまだしも、“客”だと?
「こうなるんじゃないかとは思っていたよ。だってキミのそういう目に惚れ込んでスカウトしたんだから。ねぇ、早羽?」
凌介は余裕の表情で話をする。早羽は、何がどうなっているのかまだ現状を把握出来ていなかった。
「今回は許す。だから早く退くことだ。次はないと思いなよ?」
何故こいつはこんなにも余裕ぶっているのか。多勢に無勢なのは変わっていないというのに。
「あんた、どっから情報を?」
早羽は構えた銃を下ろさずに聞いた。やれやれというような表情をして、凌介はまたクスクスと笑った。
「さっき言ったじゃないか。お客様だよ」
「だから!!その客がどこのどいつなのか聞いてんだよ!」
早羽はとても焦っていた。今失敗してしまえば次はない。今回早羽側についてくれた者たちも皆、凌介支持派に吸収されてしまう。また何年も構造を練りながら日々を送らなくてはならない。しかも、悠人との計画もダメにしてしまう。
ここで退くわけにはいかない。
と、そこでフェルエールがサーベルを抜いた。血が滴る左腕を少しかばっているようにも見えるが、構えはいつも通り。“悪魔の子”フェルエールの姿だ。
「私が今ここで凌介さんの息の根を止めます」
殺気をみなぎらせ、フェルエールは凌介を見据える。
「早羽はすぐにこの建物から出てください。さっき階段の方から足音が聞こえました」
「張られたのか??」
「そのようです。おそらく、もう無傷でここを出ることは不可能です」
フェルエールは凌介との間合いを詰めながら、早羽に早く行くよう促す。フェルエールも分かっているに違いない。この機を逃したら次はないことを。
「フェルエール、キミは一番冷静で利口だと思っていたんだけどね。死ぬつもりなのかい?」
凌介は相変わらず余裕の笑みを浮かべたまま、フェルエールに妖艶な視線を投げ掛ける。
「ええ。構いません。早羽が生き延びる可能性が少しでもあるのなら、私の犠牲などほんの些細なものに過ぎない」
フェルエールは本気だ。碧眼を煌めかせ、じっと凌介を見つめる。高々と結い上げた金色のポニーテールが揺らぐ。白く美しい指先が柄に食い込むほど強く、サーベルを握りしめている。
「...いや、ダメだ」
早羽はフェルエールの腕を軽く制した。幾つもの修羅場を乗り越えてきたはずのフェルエールの二の腕は意外にも細かった。相当力んでいたようで、少し震えていた。
「フェルは俺が援護する」
早羽は共に来ていた他の10人に目配せし、仲間を連れてここを脱出するよう指示した。その中で、一際背の高い男が早羽の指示に無言で頷き、仲間を引き連れて事務室を後にした。
早羽は改めて銃を構え、凌介の前に立ちはだかった。
「フェル、お前がいなくなったら、こんな計画おもしろくも何ともない。お前だけ残していくようなことは、絶対にしない」
凌介から目を離すことはしなかったが、フェルエールの肩からゆっくりと力が抜けていくのが分かった。いつも通りの冷静な空気を纏ったフェルエールが、そこにいた。
「へぇー…早羽は気が利いたことを言えるんじゃないか。随分と大人になったね」
「あんた、どうしてそうやって余裕ぶっていられるんだ?」
「...どうして?…どうしてって、それは…」
カタン…
「早羽っ!上です!!」
パンっ
フェルエールの声に助けられて、咄嗟に天井の空調口を撃つと、確かに人間を撃った生々しい感触が残った。数滴の血が滴ってくる。
「あー…見つかってしまったか。…ここにはね、俺が雇った戦闘のプロが何人かいるんだよ。いくら3000万の賞金首−“悪魔の子”フェルエールでも、プロに囲まれたら流石に逃げられないだろ?」
フェルエールは少し顔をしかめた。階下からの足音やその動向に気をとられ、息を潜めていた数人の存在に気がつかなかった。自分の不覚を悔やむと同時に、やはり早羽を先に行かせるべきだったと後悔した。
「さぁ、どうする??キミたちが少しでも動けば、彼らがキミたちを殺すよ」
そんなこと知るかよ
早羽は薄く笑って、凌介を見下ろした。
−あんたは今日、俺に殺されるんだ−
逆境の中で反発しあう本能と理性。絶頂を超えたその先に、早羽本人の真価があった。
躊躇うことも、弱気になることもないはずだ。だってこれは“約束”だから。
バンっ
「…う、うわぁぁ!!」
早羽は何の躊躇いもなく発泡し、その銃弾は凌介の右肩を貫いた。
「撃たれた!…撃たれたぁっ!!」
早羽の突然の発泡に取り乱す凌介。
「お、おい!話がっ…話が違う!俺を守るのが条件だったはずだ!」
至るところの壁や天井に向かって叫び続ける凌介の姿に、先程までの勇ましさや気迫は全く無かった。後ろ楯が無かったことに気づいた凌介は、まるでドラッグ常用者のように狂いはじめる。あまりにも惨めで、見ていられない。
「なんとか返事をしたらどうだ鳶影!!お前の主人とは盟約まで結んだ仲だぞ?!」
−鳶影〈とびかげ〉?−初めて聞いたその名を疑問に思っていると、早羽が撃った空調口が開き、ドサっと一人の死体が落ちてきた。やはり早羽の撃った弾は命中していて、見事に額を貫いていた。
が、続いてまた一人分の死体が落ちてきた。それだけではない。一人、また一人と、あっと言う間に6人分の死体が積みかさなって山となった。
「ど、どういうことだ…」
次々と落ちてくる死体は完璧に武装していて、凌介に雇われた者たちであることを示していた。
そして最後に、小柄な影がひとつ落ちてきた。窓から差し込む光を受けて輝くのは、真紅のロングヘア。
「ア…キ?…アキなのか?」
「おう。迷惑をかけたな。とりあえず、間に合ってよかった」
アキは額に大きな絆創膏を貼っているものの、その他は外傷もないようで、強気な態度は普段と変わりない。
「な、なんで…なんでアキが??死んだはずじゃ…」
凌介の表情はとうとう壮絶なものになった。最初の余裕は見る影もない。
「くそぉぉっ!!どうしてだ?!どうしてこうなった?!鳶影!キサマを呪ってやるっ!殺してやるっ!」
あぁ、俺はこんな男の下にいたのか。そう思うとなんだか情けなくなってしまい、見るに見かねた早羽は銃口を凌介の額に向けた。
そのまま引金を引くと、銃弾は凌介の頭部に風穴を開けてすり抜けていった。
「これで“mC”も桜屋のものだな」
死体となった凌介の瞼をそっと下ろし、アキは淡々と述べる。
「先ずはここから生きて出ること。外で待機してたやつらは今応戦中だ。数では勝っているが、状況は悪いぞ」
「それなら、すぐに私たちも援護にいきましょう。早羽が無事なのを見れば、凌介さん側の者たちも諦めるでしょう」
「...そうだな」
とんとん拍子に話が進むことへの微かな違和感を、早羽は感受し始めていた。
凌介は何故アキが“死んだ”と思っていたのか。“死んだ”と思うには、アキが潜入先で負傷又は死亡したという事実を聞いていなくてはならない。アキが闇病院に侵入したのを知っていたのは早羽自身とフェルエールのみ。
「どうして……」
そしてアキはどうやって闇病院から抜け出し、どこから入ってきたのか。この妙なタイミングの良さ。
決して疑っているわけではない。アキのことも、フェルエールのことも、疑うはずがない。でも、何だかスッキリしない。このモヤモヤはなんだ?
何かが狂っている。
おかしい…おかしいんだ。
不確かな違和感は、早羽の中で、確かな疑念へと変わっていった。
果たして神はほんとうにいるのか?信じればいるが、信じなければいないというのは、いかにもインチキくさい信仰だ。
頼りたいときだけ神にすがり、都合のいい導きだけを聞き入れるのは、それこそ人間のエゴでしかない。
早羽たちが“mC”に加入してから数ヵ月後、巷ではとある新興宗教団体が着々と勢力を拡大していた。
その団体は“匪桜”〈ひおう〉と呼ばれる教祖が率いる教団で、『無神』を唱っている。教祖である“匪桜”はまだ幼さが残る青年だという。“匪桜”は話術が巧みで、その求心力は突出している。容姿は、とても儚気で繊細な優男であり、なかなかに綺麗だそうだ。セミロングの髪は軽く脱色されたブラウンで、眼力が人離れしているという噂。吸い込まれるようだと、信者が話していたのを聞いたことがある。
−神などいない。そんな不確かな存在に僕は依存しない−
“匪桜”が掲げるスローガンのひとつがこれである。
「本日のご講話、お疲れ様でした、匪桜様」
「うん。お疲れ様」
匪桜は、大ホールから裏道へ続く廊下を歩いていた。
今日も普通通りに講話が終わり、何事もなく一日が終わる。そう思っていた。
「それでは私はこれで。お気をつけてお帰りください」
「うん。宙もね」
【宙】と呼ばれた信者の男は軽く一礼し、匪桜の前から姿を消した。
匪桜はそのまままっすぐ廊下を進み、ホール裏にある公園へと向かった。
『お前さん、教団内じゃあ“匪桜”って呼ばれてんだねぇ。匪の中の桜だなんて、たいそう洒落た名前じゃのう』
「...ありがとう。日輪に誉めてもらえるなんて嬉しいよ」
真っ暗闇に閉ざされた公園は、木々たちの怪しいリズムの中で虚空を讃えていた。【日輪】と呼ばれた女性の声は、何処からともなく妖艶に響き渡る。風に流されて少し聞き取りずらい。
『“匪桜”としては上々じゃないかえ?お前さんの狙い通りさ』
「そうだね。やっとここまで形になったかな」
匪桜の声の調子は単調で、抑揚がない。何かのセリフを棒読みしているかのようだ。
『そこでのう、今日は世間話をしにきたのではないのじゃ』
「…うん。待ってたよ」
初めて匪桜の表情に変化があった。
『ああー、待たせてすまなかった。思いの外時間がかかってしまってのう。じゃが、儂の情報に不備などない。きっとお前さんにも満足してもらえるはずじゃ。のう、宗太?』
−匪桜−もとい、水乃宗太は、幼い頃からまったく変わらない淡白な笑みを浮かべ、木々のざわめきとともに風に吹かれていた。
「これでようやく、僕も“桜屋”に戻れるね」
第5話:迷走 end