第3話:始動
1週間後、早羽が施設を訪ねたときには既にアキとフェルエールがいた。
「やっぱり来たね」
あの小柄な男が早羽を出迎える。
「俺は“mC”のNo.3、村瀬 凌介。これからキミたちとは長い付き合いになるだろうね。よろしく」
【村瀬 凌介】と名乗ったその男は、油断も隙もないような笑みを見せる。とても不気味だ。目元も口の端もしっかり笑っているのに、瞳の奥、暗く沈んで見えない部分がまったく感情を持っていない。墨で黒く塗り潰しただけのような虹彩が、余計に蠱惑的だ。
「フェル、お前も来てたんだな」
早羽の右隣に佇むフェルエールは、少し躊躇うような口調で話す。
「...僕は、あなたについて行きます。あなたの側以外に、僕の居場所はありません」
そう言って、彼はすがりつくような視線を早羽に投げ掛けた。
きっとこれは彼の精一杯のメタメッセージなのだ。僕を一人にしないでくれと、心で泣き叫びながら。
フェルとは何年も一緒にいたのに、こんなことを言われたのは初めてで、なんだか照れくさい。
「フェルが一緒だと、俺も心強い」
とてもむず痒い気持ちだった。自分は非違な人間だ。人との繋がりは利害関係のみで成立するものだと思っていた。実際、“桜屋”の連中とつるんでいたのも、それぞれが負の方向に特化した技術を持っていて、それが使えると思ったからだ。
フェルエールがなぜそこまで俺に執着し、関心を持つのか。それはよく分からない。
しかし、あいつも俺を認めているし、俺もあいつを認めている。そういう思いがあったのは事実だった。
部屋の奥の方では、アキが腕組みをして立っていた。挨拶がわりに軽く手をあげると、アキもそれに応えて手をあげた。
「悠人がいないのにお前はいるんだな」
「そうだが、何か?」
「いや、別に。目的は?」
「…私はただ、もっと広い世界で動いてみたかっただけだ。“桜屋”は居心地はよかったが、何しろ規模が小さ過ぎるからな」
「まぁな。俺も同感だ」
アキは結構行動派なのだと知り、改めて彼女の芯の強さを感じた。女だからどうとか言うつもりもないが、アキ以上に肝の座った女など見たことがなかった。
「悠人が来てないのは確かに意外だ。あれだけ騒いでおいて…」
アキは少し考え込むような素振りを見せた。アキも悠人がいない理由を知らないようだ。
「...おかしいな」
あんなにも乗り気でいた悠人がいない。人には言えない理由があったのかもしれないが、「来なかった」というのが事実。互いに深入りしないのが“桜屋”のルールだ。
「“mC”は階級制だから、〈No.〉をもらっているヤツにあったら先輩だと思えよ?」
凌介は3人を先導しながら、弾んだ口調で話す。
「まぁ、もともと違法組織だから何でもありだけどね。キミたちの力量しだいでいくらでも上に行ける。大きな声では言えないけど…」
彼は振り返って早羽を見据えた。なんだか意気洋々としている。
悪巧みをするガキみたいだとは、俺が言えた立場じゃないが。
「殺しもありだ」
その瞬間、早羽はこの男の本性を見た。意外にも、この男の思考は自分に似ている。始めは、組織のトップクラスにいるだけで満足する程度の男だろうと思っていた。
−この男の中にも夜叉がいる−
ますますおもしろくなってきた。もうイタズラレベルではないのだ。
本格的な“犯罪”の世界。アウトローの中でのサバイバルに、俺たちは足を踏み入れた。
「早羽、あなたにお客様です」
「俺に?」
「はい。とても懐かしい方ですよ。僕も少し話してきました」
日の当たらない小さな研究室で、早羽はドラッグの調合作業をしていたところだった。
早羽たちが“mC”に入団してから5年が経った。今では3人とも〈No.〉持ちになり、凌介はこの頃ついに組織のリーダーとなっていた。
そんなとき、早羽のもとを訪れたのは、見慣れない制服を着た一人の男。
「お前…ゆう…と?」
「うん。久しぶりだね」
普通の警官とは少し違う暗緑色の制服は真新しい。綾祈 悠人はかつてと変わらぬ笑顔で、扉の前に立っていた。
「…何の用だ?」
「...実は、5年分の言い訳をしに来たんだ」
「言い訳?」
「ちょっと時間もらってもいいかな。早羽にはどうしても話しておきたいことなんだ」
早羽は薄暗く埃っぽい研究室に悠人を招き入れた。無造作に置いてある椅子を二つ向かい合わせにして、悠人に座るよう促した。
「わざわざここを調べたのか?」
「うん…まぁ」
「…警官にでもなったのか?」
「まだ見習いだよ」
早羽には悠人の行動の真意が分からなかった。“mC”が非合法組織であるのを知っている上で、そこにわざわざ制服姿で乗り込んでくる。
「あと何年かしたら、本物の警官になる」
「…それで?俺たちを捕まえるとでも?」
「違うよ。そうじゃない」
悠人は淡々と語る。
「俺もみんなと一緒に“mC”に入りたかった。ずっと憧れてたしね。でも俺は考えたんだ。“桜屋”が何か大きなことをしでかす、そこに真理がある」
「…どういうことだ?」
5年前と変わらず、ずる賢い発想をしているようだ。悠人は少し身を乗り出して早羽に訴える。
「“桜屋”は俺たちが初代。何のためにみんなが“桜屋”に集まったのか、一番よく知ってるはずだよね?」
なぜかと言われれば、それはきっと「平凡な日常」に飽きてしまったから。
単調な日常に激動を、隠された才能に開花のチャンスを、飽和したこの空間に変革を。
“桜屋”全員が、〈普通〉から抜け出すきっかけを探していた。
「“くだらない日常に変化を”。今こそそれを実行するときだと思うんだ。だからそのためには、みんなが同じ場所にいちゃいけない。いろんな方面からそれぞれの“才能”を生かすことが必要だよ」
「じゃあそのためにお前は警官になったのか?」
「うん」
悠人は力強く即答した。
−こいつの頭の中にはどんな思考回路が張り巡らされているのだろう−。早羽は呆気にとられたようにポカンと口を開け、思わず黙り込んでしまった。
「早羽たちが違法組織にいるなら、合法組織にも味方がいたら便利でしょ?万が一捕まっても逃してあげられる」
次から次へと悠人の口をついて出る言葉は、ここ最近なかった興奮を呼び覚ます。この疼くような心の昂りはとても懐かしい。
「……お前、おもしろいな」
「そうでしょ?」
「でもお前の話の流れからいくと、お互いに組織を指導する側の人間になる必要があるだろ?」
「…まぁそうだよね」
悠人はまだ二人がそこまで高みに上り詰めていないということを忘れていた。しかし、相変わらず飄々とした様子で話し続けた。
「そんなに時間はかからないと思うよ。だって早羽は“mC”っていう枠組みの中だけじゃ満足できないじゃん」
「オイオイ…なんでそこまで言い切れる?」
「俺が早羽でも満足しないからだよ」
何の根拠もないような理由付けに、思わず吹き出しそうになった。悠人の瞳は燦然と輝いている。
「早羽は裏社会でトップになればいい。そして俺は“正義の味方”のトップになるんだ」
悠人が言わんとするところが見えてきた。これはひとつながりの壮大な計画なのだ。
「“正義の味方”が実は悪役でしたーなんて、ありがちだと思うかもしれないけど」
「規模が違うだろ?俺たちは現実にいる。ドラマやマンガじゃないんだ」
いつの間にか早羽は手のひらにびっしょりと汗をかいていた。
実際にそんな計画が上手くいくのかどうかは分からない。予測不可能だ。
でも、やる価値はある。
“mC”は俺がもらう。
早羽は改めて強く心に誓ったのだった。
第3話:始動 end